6・副校長室へ③
とはいえ、ジールの考えがクラスの総意になろうとも、完全な服従モードに入ったわけではなかった。リブラがなぜ優兎達に一言の挨拶もなく去ってしまったのかという疑問が残っている。理由を探るべく、優兎達は放課後になると、大量に課された宿題を一旦女子に任せて、優兎とジールは副校長室を、便乗する形でアッシュも職員室を訪ねる事にした。
「僕、副校長先生に会うのは初めてなんだよね。それらしい人にも出会ってないと思う。どんな人なのかな」
一階の玄関口を出て、ジールを先導に裏庭を歩きながら、これから会いに行く人物の事を尋ねる優兎。外に連れ出されたのが意外だったのだが、校長室もおかしなところにあったので、そこまで驚きはしない。
「一言で言い表すと、しょぼくれた隠遁爺さんって感じかな?」
「学校勤めで、隠遁?」
「うん。校長先生は飄々としていて明るいけど、副校長は引っ込み思案で、端っこで黙々と作業している方が好きな人なんだ」
ジールが学校を通い始めた頃は、入学式と卒業式に出席して二言三言発する事もあったが、いつの間にか出席率が減り、今ではかろうじて姿を見せる程度になっているのだそう。受け持つ教科も偏っていて、副校長が教鞭を執る機会は三年合わせても一度きり。なので優兎のように、「そんな人いたの?」と驚く生徒も少なくないとか。
因みにジールがそのような不透明な人物をよく覚えているのは、自然物に興味を抱く同士として親近感があるからだ。
「趣味がキノコの研究なんだよ。部屋の照明は壊れたままで、自分で育てたキノコの明りを頼りにしてたっけ。食事もキノコと雨水で何とかしてるみたい」
「変わってるなあ」
「受け持つ教科っていうのもそれ。森の中で普通に生えてるものだから、まあ一応知っておいた方がいい事ではあるのかな」
「うわあ。出会う前から、どんな人物なのかあらかた想像出来ちゃった。学校でのあだ名はもしかして?」
「そう。『キノコじじい』」
「僕が浮かんだのは、『じじい』じゃなくて『先生』の方だったんだけど」
「小さい子の付けるあだ名って直球だよね。見た目は仙人って感じだけど、キノコを首の後ろと人差し指の骨頭に寄生るし、間違いでもないかな」
「はい!?」
一気に興味がそそられたところで、二人は件の部屋――ではなく、建物に辿り着いた。場所はなんと、裏庭の更に奥地にある二階建ての旧職員寮。現在の職員寮は校内の六階に位置するわけだが、昔は離れにあったようだ。副校長が好んで住み着くようになった為、壊さずに尚も残しているような状況らしい。ベクトル違いだが、奇妙さで言えば校長室とどっこいどっこいだ。
建築から相当な時間が経過しているようで、いつ倒壊しても不思議ではない外見の建造物。壁面は枯れた植物に飲み込まれていて、屋根には真っ黒なカラスが何羽かたむろしている。玄関ドアを開ける動作をすると、ドアが外れて寄りかかってくる始末。こうなって来ると、興味の矛先が宿主よりも、無事に学校へ帰還出来るかとか、そういった方面を気にするようになっていた。
「ほら、足元を見てご覧優兎。子供達が訪問しても迷子にならないように、『粘菌ロード』が張り巡らされてる」
「粘菌ロードって何」
「使われてない部屋も展示場みたいに改造してあって、グロテスクなキノコがたくさん飾ってあるよ。どれもよく育ってる。きっとこういうところが校長先生のツボにハマったんだろうね」
「空調設備どころか、マスク付きの防護服まで備え付けてあるんだけど。ジール、僕が怖がってるのを面白がってない?」
ウォードの箱のようなテラリウムケースのそこかしこに、注意事項が張られているのにビクビクする優兎。「見学する時は一メートル以上離れましょう。死にます」とか「手を入れないで下さい。死にます」だとか……。自分達は副校長室を訪問しに来ただけのはずなのだが。おっかなびっくり博物館を見物しに来たわけではないのだが。
ひいっ! 体中にキノコの生えた人体模型を展示した部屋なんかもあるぞ! 廊下を歩く者へ見せつけるように、傾斜を付けて並べられたガラスケースに優兎は度肝を抜かれ、ジールの後ろに隠れてしまう。
「あああ、あれれれれあれ何!?」
「書いてあるじゃん。このキノコを食べると、菌が血管を巡ってこういう目に遭うよってのを教えてくれる展示だよ」
「『被害者A』って書いてあるーーーッ! 怖いーーーッ! 帰りたいーーーーーッ!!」
「俺について行きたいって言い出したのは優兎なんだから、責任持って。この展示が見えたらすぐだからさ」
不気味なチェックポイントを過ぎると、ジールの言った通り、突き当たりの部屋に行き着いた。後から取り付けたらしい札に『副校長室』と書いてある。
「副校長先生ー! 俺達、学校の生徒です。いらしたら、このドアを開けて下さーい!」
ジールは呼びかけて、ドアをノックする。優兎は呼び鈴か何かがついていないか探したが、見当たらなかった。
「お尋ねしたい事があって来ましたー! 先生ー!」
「反応がないね。留守なのかな」
「俗世から離れた生活をしてるせいか、まだ寝てるのかもしれない。手紙でアポを取れば良かったかな? 優兎も試してみてよ」
「分かった。――副校長先生ー! いらっしゃいませんかー!」
位置を交代すると、ジールの真似をして声を張ってみた。力一杯ノックすると、玄関の時みたいに外れてしまうかもしれないので、拳を緩く握って叩く。
が、何度呼んでも副校長が優兎の眼前に現れる事はなかった。ドアに耳を当てても、誰かがいる様子はない。
「ここまで来たら会ってみたかったけど、ダメみたいだね。これは日を改めて出直す必要が――うん?」
諦めて振り返る優兎。しかしその場にジールの姿はなく、彼はすでに元来た道を戻り始めていた。優兎を置き去りにして。
「ああっ!?」と優兎がジールの小さくなった後ろ姿を認めると、悪巧みがバレた事を知ってか、駆け出していく。
「ジール! 何で僕を置いて行っちゃうの!? 一人にしないでよ!」
ゾッとする場所に取り残されてしまったと理解した途端に、ガラス戸を叩く冷風の音や、キノコが胞子を吹き出す音、展示場の明りがぶつんぶつんと切れかけている音なんかが耳に障り始めて、そそけだって来た。いてもたってもいられなくなった優兎は、恐怖をかき消すように「やっぱり面白がってたなあああああッ!?」とジールに怒りをぶつけて、副校長室を去った。
――6・副校長室へ 終――




