9・予想外の展開④
ところが、結局霧夜は優兎にとどめを刺せず未遂で終わる事になる。熱風が吹き抜けていくような魔力の奔流を感じて、霧夜は手を止めた。
「テメェの思い通りには……させねえぞ……、むざむざ殺させて……たまるか……ッ!!」
戦闘不能にしたはずの一人が、首の装飾に爪が剥き出した手を掛けながら、霧夜を凝視している。人の身でありながら、人間らしからぬ爬虫類の片鱗を覗かせるその両目はギラギラとしていて、縄張りを荒らす者を脅かそうとする、力強い肉食獣そのものであった。
(……潮時か。時間をかけすぎたな)
静かにふっと溜息を吐くと、霧夜は剣を形作る魔法を分解し、ローブを翻して出口を目指した。機材やコート一帯の床、大穴やひび割れなどでそこかしこ損傷したホール内に、気を失った生徒二名、背中に血のシミを作って倒れている者と満身創痍の重傷者、敵意を最大限に剥き出した、人間のフリをした者……これらすべてを置き去りにして、その場から立ち去った。
回り道である方のルートを選び、授業が現行している最中の、静寂と平常に包まれた校内廊下を歩いていく霧夜。けれども、まだそう遠く離れていない場所で足を止め、振り返った。放棄したはずのホールの扉の先に、何か後ろ髪を引かれるものがあるらしかった。
するとその時、霧夜の進んでいた道とは別の、トレーニングホール直通の廊下側から、騒がしい声で掛け合いする一人と一匹がやって来た。
「まったくもう! あんた、まだロクに施設の場所を覚えてないクセに、デタラメに突っ走りすぎなのよ! 地図も洗濯物の中とかいう間抜けっぷり! ゆーと達が大変な状況だってのに、信じらんないっ!」
「ごめんごめん! でもあたしが遅れても、先生を連れたミントちゃんとカルラちゃんが先に到着するだけよ!」
「そーいう問題じゃないでしょ、このあんぽんたんっ! いち早く駆け付けて止めに入るのが肝心なの! 何もかも手遅れになってたら、ぜーーーったい許さないんだからあっ!」
ぎゃあぎゃあ叫び散らしながら、シフォンとキャロルが駆けて来る。その間、霧夜は立ち止まったまま。ホール手前に辿り着いたシフォンが、扉を開けようと手を伸ばすと、勘の良い彼女は案の定視界の端の人影に気がついた。窓のない壁に挟まれて、冷たい影が薄ら取り巻く通路にぽつんと佇む、黒衣の少年に。
振向いた矢先、目が合った。
「霧夜、君……?」
シフォンの目はみるみる広がり、顔を綻ばせる。
「やっぱりそうだわ! その辛気くさい仏頂面、間違い無い! あなた、こんなところに――」
無意識に距離を詰めかけたシフォン。だがキャロルの手が伸びて彼女の袖を引っ張ると、我に返ってそちらを向いた。
キャロルは怯えていた。先ほどまでの元気が嘘であるかのように縮こまっていて、果てはシフォンの髪の毛に身を隠してしまった。キャロルの異常な変化を計り兼ねていると、霧夜は止まっていた時が動き出したかのごとく、踵を返して遠ざかっていってしまう。
「待って! ちょっと! 待ちなさいよ!」
動揺を見せ、大声で発する。霧夜は引き止める声に従う事なく、濃い霧と共に姿を消してしまった。感情の行き場を失ったシフォンは軽く舌打ちした後、足を踏み鳴らした。
――9・予想外の展開 終――




