7・優兎vsアッシュ①
材料を採取し終え、〈ハルモニア大陸〉から学校へと戻って来た優兎、ミント、カルラ、シフォン。帰宅早々校内の誰もいない調合室に籠ると、四人は分担して薬を作る作業に入った。
優兎は合成ゼリィの入った陶器のすり鉢に、紫ゼリィを溶かした液体を加えて、乳鉢で練っていた。半透明の合成ゼリィがほんのり紫に色づき、棒に絡み付くような粘りが出て来たところで、レシピの本を確認。そばに置いてあるビーカーから、ピンセットでリッテの葉を取り出し、二回に分けてビーカー内の薄緑色の水を加える。すると、合成ゼリィはまた色を変えて、鮮やかな緑色になった。
「よし、色も粘り気もレシピ通りだ。――ミント、出来たよ。これをどのすり鉢に入れたらいい?」
「紺の入れ物の横に置いてくれればいいわ。ありがとう。今日はもう部屋へ戻っていいわよ」
優兎はイスから立ち上がって、離れのテーブルにいるミントの元へとすり鉢を置きに向かった。ミントの周りには本や調合道具の他に、材料を混ぜ入れられた小皿やすり鉢がたくさん集まっている。同じタイミングでシフォンとカルラも自身に割り当てられた作業が片付いたらしく、優兎のすり鉢の横に試験管やフラスコを置きにやって来た。
「あたし達もこれで完了ね。用意されたものをただ単に混ぜただけなんだけど、こんなもんでいいの? もっと遠慮なく使ってくれていいのに」
「これだけやってもらえれば充分よ。それに、分量を細かく計ったりだとか、変色する数秒以内のタイミングで原料を投入しなくてはならないだとか、手間と時間をかける作業も控えているから、アタシの為にそこまで疲労を伴うような負担はかけさせたくないのよ」
ミントはぐーっと背伸びをしてから、イスの上に膝乗りして、ぐつぐつ煮え立つ小鍋を棒でかき回した。窓の外はとっくに日が落ちているのだが、本人はまだまだやる気らしい。
「だけど、こんなに長時間調合室を独占しちゃって大丈夫かな。巡回する先生に見つかったら怒られるんじゃないかな」
優兎はチラッと時計を気にしながら言った。時計の短い針は五時を越えていた。
ミントはそんな不安を吹き飛ばすようにふふっと笑った。
「心配ご無用よ。鍵を閉めて出て行かなくちゃいけない時間はとっくに過ぎているけど、六時までは使ってもいいって、特別に許可は貰っているの。ここにある道具は備品じゃなくて、全部持参だしね」
「ここの責任者って言うと、サマンダ先生か。――あ、ひょっとして、ゼリィ玉の調合実習の時に?」
「勘が鋭いじゃない。ご明察よ。あの時は騒ぎを起こしちゃってごめんなさいね。今やっている事に比べれば、ゼリィ玉作りなんて初歩も初歩なのに、遅くまで調べものをしていたせいでしくじっちゃったのよね」
「そういう事だったのか」
因みにその際、サマンダにスムーズに許可を得る為、ゼリィ玉(赤)のもっと簡単な材料で作れるアレンジレシピを提供するというのも交渉材料にしたとミントは話した。既存のレシピに捕われず、より手軽な方法・材料を用いて薬等を作成するのが彼女の趣味の一貫らしいのだ。
ふと、「ゼリィへの負担を抑えつつ、ゼリィ玉を作る事も可能なのかな?」と優兎が思い付いた事を言ってみると、彼女は「それ、挑戦し甲斐のありそうな発想ね」と目を光らせた。
まだ所在不明の材料があるので、情報を掴み次第、また手を貸して欲しいとミント。他三人はこれを了承し、お疲れ様と言い合って調合室から出た。明りが漏れ出す調合室のドアを閉めて、天井の灯りが等間隔に灯った日没の廊下を歩いて行こうとする。が、カルラだけはすぐに足を止めた。
優兎とシフォンが振り返ると、カルラは二人に向けてひらひらと手を振っていた。彼女の行動にやや戸惑いつつ二人も応じると、カルラは踵を返し、ドア横の壁を背に留まった。
「やっぱり。カルラちゃん、ミントちゃんの事がとっても大事なのね」
歩行を再会し、辺りの静けさに合わせて話しかけるシフォン。そうだね、と優兎が返すと、シフォンは堪った疲労を発散させるように伸びをした。
「んー……! いいなあ、青春を謳歌してるって感じ。あたしったらいっつも仲介役の真似ばっかりやってて、自分の事なんかさっぱりなんだもの。だから切ないけど、ちょっぴり羨ましいかも」
「羨ましい?」
「そう。トゲトゲした人間関係を見てると、あたしが何とかしなくっちゃ! って気になっちゃうから、その代償ではあるんだけど。あー、あたしも人生一度くらい、ラブロマンスの主人公になってみてーっ!」
「今日も一日疲れたー!」みたいな語感で吐き出すシフォン。だがその言葉に、優兎の心臓はドキッと跳ねた。周囲に素早く目を走らせてみれば、暗闇から飛び出す人影は一つとして見当たらない。カルラとの距離も充分に開いているし、半休校状態の廊下はこの世に自分と彼女しかいないのではないかと錯覚させる。
話の流れと状況が味方した今、思いを告げるには絶好のチャンスではないだろうか。
「……、ぼっ……、あ……」
ダメだった。心の扉の入り口でよく分からない感情の塊がつっかえてしまって、まるで言葉が出てこなかった。焦りのせいで途端に額や手の平から汗が吹き出して来て、不快という雑念を抱く程に体温が上昇する。
結局、「僕も、ファンタジーの世界の主人公になりたい……」と、味方したすべてを裏切るような、自分が最もラクになれる解答を出してしまう優兎。ズレた内容と消え入りそうな声色の返しに、シフォンは一瞬瞼をパチッとさせたが、「そうね、そう考えると、魔法界って優兎君にとっては夢にまで見た世界なんでしょうね」といった言葉で紡ぎ、微笑む。――そういう流れにしたかったわけじゃないのになあ……。優兎は自身の意気地のなさにほとほと呆れるのだった。




