3・兎にも角にも自由時間③
「よし! とりあえず今日はこんなもんかな」
散らかった文字がいっぱいのノートを両手で閉じて、優兎はふぅっ! と息を吐くと、機械を機能停止させた。ダウンしていく音と共に、コートを覆っていた水色の防壁が消えていく。
「部屋でも出来る事は、夕食を食べ終わった後にしようか。ここからがまた楽しいところなんだよなあ~。今日は徹夜かもな、フフフ~」
ノートを小脇に思いっきりニヤニヤする。自身の憧れの一つが成就するかもしれないと思うと、破顔せずにはいられなかった。
「! ユニも読み終わってたんだね」 体を反転させた優兎は、手ぶらのユニを見るなり表情を明るくさせた。「魔法界に来る時に持って来た最新の方も読んだ?」
「そんなもの、とっくだ」ユニは片目を開けて閉じ、気怠げに答える。
「そうなんだ。で、その……僕の書いた小説、どうだった? 何か改善する為のアドバイスとかってない?」
優兎は逸る気持ちを胸に、玉座へと歩み寄った。今まで妹にしか見せる相手がいなかったのだ。小説を読まれていると意識してからは、自分の成果よりも小説の方の感想が聞きたくてうずうずしていた。
とは言え、相手が相手だ。「感想なんぞない」だの「くだらん」だの、果てには「死ね」などと一蹴(二重の意味で)される事も覚悟して次の言葉を待った。
ユニは前髪を掻き揚げ、煩わしそうに溜息をついた。
「母国語を一から学び直して来い」
「ええっ、そこからあ?」
素っ頓狂な声を上げる優兎。ユニはフンと鼻を鳴らした。
「貴様、適当に書き順や送り仮名を覚えているだろう。勢いに任せている上に本来の形までもが崩れる事で、文章を読ませるどころか解読作業に至らせ、余計にクソたらしめている。解読不能は嫌気を始めとした雑念の余地を招くぞ。小難しい表現や思想・倫理観の齟齬によるストレスで敢え無く逃げ出すような連中を相手にせねばならんのに、ページを開いた矢先から蹴落とすとは愚の骨頂。他者に読まれる事を前提としているのであれば、ある程度読ませる側への配慮の姿勢を見せろ」
「ふぐっ! お、恐れ入ります……!」
思わず頭を下げていた。まさかそんなところを指摘されるとは。
学校での勉強は小学二年生で止まっており、後は自主学習や辞書などで補ってきた。しかし独学だと勉強を「やっている気分」が先行しがちで、間違っていても自分が気にしなければそのままだ。字体なんてのは最たる例で、そこを切り込まれるとぐうの音も出ないし、実際優兎の書く文字は「読めはするものの、綺麗とは言い難い」レベルであった。
この新人編集者、結構痛いところを突いてくるぞ。いきなりズバッと深い一撃を貰い受けたものだが、反面、ちゃんとアドバイスしてくれるんだなーと嬉しくなった。……修行への口出しについては雑だったりする割に。
「文字が汚いのは分かったよ。気を付ける。他に気になった部分や肝心の内容については?」
優兎は手の平に汗を滲ませて聞いた。胸に手を当てずとも、もの凄く緊張しているのが分かる。先のでまともな意見が期待出来そうだと思えたからだ。
ユニはイラついた表情を変えなかった。
「スカスカ文章に安易な効果音頼りのダサさと問題は山ほどあるが、中身を問う前に出しゃばる癖をどうにかしろ」 ユニは吐き捨てるように言う。「貴様という人間がどういう人間であるか、まるで説明書のようだ。善行と信じる行為には揃いも揃って妙に物分かりがよく、敵対対象共は一貫して『気絶させた』、『倒れた』だのとし、仲間の死に立ち会うと、復活させようとして都合のいい展開を用意して強引に成就させる……。血を分けた別固体である事をわきまえておらん奴が書きそうな温い話よ。こいつの中に息づく生物、シナリオと何から何まで貴様がしゃしゃり出るせいで、変化に乏しく、致命的なほどにつまらなくしているのだ。ボクですら寛容に見過ごしてやっているというのに、首吊り死体でごっご遊びにフガフガ放くような創造主には反吐が出る。初作は百歩譲ったとしても、現状では別の話に着手する際にも、似通った茶番が量産される事になるぞ。いいか、ドラマではないぞ、茶番だ」
切っ先の鋭い剣を突きつけるように、その長い人差し指を優兎へ差し向けた。またもや手痛い酷評だが、今度の優兎は素直に鵜呑みにはせず、抵抗心をチラつかせた。
「だ、だって! ……そういうシーン、書きたくないし……。でも、創作物での身近な人の脱落って、て、定番……だから……」
「半端な思想だ。徹底した不殺は長編になる程リアリティを欠き、尻窄みになりがちで最終的に書き手の事情しか残らぬという、ある種正当な罰を下すよりも難易度の高いものだが、これはまさにそんな泥沼にハマっている。一時的な怪我や婚姻などといった工夫の痕跡すら見せず、整合性を失った結果ダレるくらいなら、最初から精神的苦痛を伴うものを書くな、素人が」
声色がしぼんでいった優兎に対し、ユニは構う事なく厳しい言葉を浴びせた。片側の肘掛けに体を預けると、イライラした様子でサイドテーブルにバラバラと指を立て、音を出す。
「その目で死を看取った時、貴様は一体どうなるのだ」
そっぽを向きながら、不意に浮かんできた疑問をぽつりと零すユニ。すると、気弱な素振りを見せていた少年が顔を上げ、ギラッと目を光らせた。
「そうなる前に助ける。救いを求めるのなら、僕は見捨てない。絶対に」
「……」
ユニが目線だけ動かすと、彼は険しい眼力でこちらを見据えていた。たかが数年……いや、数秒生きた程度の小僧風情が、一端の事を宣うものだ。なぜ人生の荒波にさんざ揉まれてきたかのような上からの物言いが出来るのか、理解に苦しむ。
それなのに、一瞥くれるだけのつもりが二、三秒釘付けになってしまって、ユニは静かに腹を立てたのだった。
「――それにしても……」 パッと優兎は年相応の表情に戻る。「意外だったな、下に見てる割りには、ちゃんと人間の個性を認めているんだね。自分にとって気持ちの良い世界にしたいっていうやり場のない感情が表に出て来ちゃうのは仕方ないとは思うんだけど、『神様だからこその意見』として参考になったよ。指摘出来るくらいには創作物を読んだ事もあるみたいで、的外れな意見でもなかったし」
「……」
「死体を操ってるって表現は嫌だけどね。僕自身が体験した事じゃなくても、辛い目に遭わせるとこっちもうるうるしちゃったりするもんだから。ユニは普段から他人の痛みなんか知ったこっちゃないって感じで、共感も何もあったもんじゃないだろうに、心の変化に富んだ人間の書いたものを読んで、楽しめるものなの?」
「……楽しめるかどうかが肝要ではない。暇を潰す一手段として加えてやっているだけだ。一冊に完成度や一資料としての側面ばかりか、書き手の能力、短き命を切り売りしてまで世に広めたいこと……更に大衆の賛否や読解力、経済・国外・資源への影響にまで目を向ければキリがない。そういった突き詰める気にならんぐらいが、ボクにしてみればちょうどいい。先細りの一途を辿るものはつまらん」
「流石だなあ。目の前のものを楽しむのに精一杯な僕とは違う」
「中身にしてもだ。パターンとして記憶しておけば、こういう輩はどういった事をすれば気分を損ねるのか、精神が崩壊し憎悪するのか、手に取るように分かるだろう。苦痛の恵みを授ける側にも知識は必要なのだ。崇信に投じた輩では味わえぬ快感よ」
「あっそう……。最低な奴だって思い出させてくれてアリガト」
優兎はガックリと肩を落とした。先ほどの威勢はどこへやらだ。ユニは目を瞑ると、冷ややかに鼻を鳴らした。
―ー3・兎にも角にも自由時間 終――




