1・シフォン①
リブラが教室に入って来て初めにやる事は、生徒達の出席確認ではなく、なぜ自分が三十二分も遅刻したのかの報告である。必須ではないが、恒例になる程に常習性が高いのだ。遅刻に関する質問に対し、リブラは「昨日はお天気がよかったでしょう~? 干したてのあったかいお布団で、ついうとうとしちゃったのよねぇ~」と、自身が二十時間以上眠っていた事を気の抜けた声で打ち明けた。
その後、三つ編みの下半分がちゃんと結ばれていないだとか、眼鏡や帽子に茶色いソースが付いているだとかの身だしなみを指摘――これも別に恒例ではない――して、ようやく出席を取り始める。これが優兎のクラス、「倉庫組」の朝のホームルーム。優兎にとってもはや見慣れた光景となっていたが、今日という日に関してはその「見慣れた光景」とは少し離れた緊張感が教室内に漂っていた。
というのも、このクラスに突如として編入生がやって来たからである。
「シフォン・エクレールホットケーキ・チョコチップメロンパンです! 使える魔法は雷! 地球から来ました! みんなよろしく!」
自己紹介するよう言われたシフォンは、教卓の前で選手宣誓でもするかのように手を上げ、ハキハキとした声で言う。ここで「名前長っ」と思ったのは、当人を除く生徒全員である。
「はつらつとしていて、とっても良い自己紹介でしたねぇ」 リブラはゆったりパチ、パチと拍手した。「ええと、シフォンちゃんの席は~……あらぁ! ちょうど優兎君の後ろに空いている席があるし、あそこにしましょうか~」
「はーい!」
ちょうどよく空いているというか、先を見越してアッシュとジールが机とイスを用意して来たわけだが。リブラの鈍さに、心の中でまたしても突っ込む生徒達だったが、こちらは全員の総意ではなかった。ドキッと体を震わせた、それどころでない者がいたのだ。優兎だ。シフォンが自身の横を過ぎ去り、背後からイスの引く音と、「よろしくね!」と隣りの席のミントに話しかける声が聞こえて、ますます胸の鼓動は高まった。
(ま、まさか、シフォンがこのクラスに入って来るなんて……! しかも後ろの席って! これは夢か? 気になるあまり、夢に登場してきちゃったのか??)
机の下で人知れず手の甲をつねり、「いてっ!」と顔面を歪ませる優兎。初恋の人物が自分の後ろに座っている事に、まだ心の整理がつかない様子。そんな最中に、背中をツンツンと突つかれた。ガチガチに緊張していた肩をビクッといわせて振り向くと、無邪気に歯を見せて手の平をヒラヒラさせる彼女がそこに……!
(あああーダメだっ! 一刻も早くこの状況に慣れないと、心臓が爆発する! 病気が完治するよりも先に死んでしまうっ!)
とにかく、自然な動作が出来るよう心掛けなければ。シフォンに対して、優兎は引きつった笑みを返した。
リブラの遅刻により、一時間目の終了間際で授業がスタートとなった。内容は一年生が習うものと同じで、文章の書き写しと読み上げだ。新たなクラスメートが加わるというホームルームでの非日常は、授業の開始と共に日常的な光景へと移り変わっていく――ものだと思われたのだが。
「ミントちゃんミントちゃん。あたし急な編入でまだ教科書が届いていないの。だから見せてもらっていい?」
「ええ、構わないわよ」
「よっしゃ! ありがとう、机をそっちに寄せるわね。――で、今みんなどういうところをやってるの?」
開始直後からシフォンはミントに話しかけていた。優兎の背後でイスと机を移動させる音がする。まあ、これぐらいの行いはまだ、編入したての子であれば理解出来る範疇であった。編入当時の優兎でも、話しかけるかどうか迷った末に勇気を振り絞ってトライする可能性がある。
しかし、シフォンの行動力はこんなものではなかった。
「先生、質問です! 『いー』の書き順は上からなのに、どうして『い”ー』となると順序が違っちゃうんですか?」
「先生、ちょっと待って下さい! 今ページを探している最中ですので!」
「先生! さっき読んだ文、あたしも読ませて下さい! まるで理解が追い付きませんでした!」
ただでさえリブラの授業時間は大幅に削減されているというのに、その中でシフォンはもう三度も質問や意見を投げかけていた。それもまったく遠慮する素振りを見せない。何と肝の座っている事か!
シフォンが発言するたびに授業がその解答や願いを聞き入れる為に宛てがわれて止まるのだが、彼女にとって都合がいい事に、ここは普通のクラスではない。教師の育成も兼ねているところだ。なので当然、リブラは喜んで応じたし、シフォンの行動に異議を唱える者もいなかった。
とはいえ、新任でないベテランの先生が相手であっても、彼女は一切おかまい無しなのだが。社会科の先生が黒板に文字を書いていた最中、ガタッと席を立つ音が響き渡る。
「先生! 『魔法界』の説明をしていたのに、どうして急に『魔法ぱい』が出てくるんですか?」
「し、シフォンちゃん、それはただの先生の書き間違いよ……!」
挙手して大声を張り上げるシフォンを、ミントが大慌てで制する。シフォンから飛び出した質問に、先生はゴホンッと気まずそうに咳払い。優兎の周りでは吹き出す音が聞こえた。
(ああ、そうだった。フレイゾンクリーム・アイス作りの時も彼女はこうだったんだよなあ……)
周りが子供ばかりの中、二人で魔法の言葉を叫びまくった事を思い出す優兎。現在彼は俯きがちに授業を受けているのだが、それは必然と先生達の目線が前席にも飛ぶ事になるからだ。この何となく気恥ずかしい気分にも慣れる必要がありそうだ……と、優兎は脱力した。




