6・旅立ち②
遅い昼食を済ませた後、優兎の旅立ちの準備の為に輝明家は慌ただしくなった。校長とは日が暮れる頃に玄関先で待ち合わせる事になっている。その間町をブラブラ見て回ると言って、行ってしまった。
本屋から本をもらってくる際にも利用した白いショルダーバッグに、書きかけの小説、メモ帳や文房具、辞書、薬箱に目薬、目覚まし時計、日用品数点、クッキーや長持ちする飴などのお菓子もいくつか詰める。服は学校の方で用意してくれるらしい。
「ゆ、ゆ、優兎!財布持って行け! お金は三万あれば足りるか!? いや、銀行で下ろしてくるべきか!?」
「父さん! そんなにいらないから! あと、多分向こうには向こうのお金があると思うから!」
「あっ! そ、そうだわ、寝る場所も必要よね。ベッド持って行きなさい優兎!」
「母さん! さっき校長先生が言ってたじゃないか、客室の一つを僕の部屋にするって。だからベッドはいらないんだよ!」
「お兄ちゃん、お土産よろしくね! 可愛いのがいい!」
「お、お土産ぇ!?」
輝明家の子供はどちらも学校行事の際の外泊をした経験がない。なので両親がパニックになってしまうのも仕方がないのかもしれない。優兎は休憩がてらベッドの端に座ると、玄関先での会話を思い出した。
「優兎君の両親には、君が襲われた事は話しておらん」
「え、何でです?」
「あの者達は恐らく、わしらと同じ魔法界の人間じゃ。魔法界の人間が君に危害を加えたと正直に話してしまったら、君を助ける事はますます難しくなるだろうと思ったのでな」
「なる、ほど……」
「あの者達は明らかに優兎君を狙っていて、どこかへ連れて行こうとしておった。君に狙われるような心当たりは?」
「いえ、まったく」
他人との大きな違いは不知の病持ちである事だけだ。しかし校長の言う通り、原因が魔力が堪っているだけにすぎないのならば、それを利用して何になるというのか。校長は「そうか」と髭を触った。
「学校に滞在しておればヘタに行動は出来んじゃろうし、優兎君がこの世界を離れれば、君の家族に被害は及ばぬと考えておるが、いらぬ事を企まないとも限らないからのう。——そこでだ、優兎君が帰ってくるまでの間、ラヴァー……君はちゅん子と呼んでおったかな? ちゅん子をこの家に預けていこうと考えておるよ」
「おいコラ! 主はそのまんまの呼び方でいいだろうがッ!」 ちゅん子は羽を広げて怒る。「まあ任せてくれ、キュウー。オイラ結構強いからな! あのデカブツと戦った時のオイラ、カッコ良かっただろ?」
「うん。凄かった」
「キュー、だろだろ!」
誇らしげに胸を張る。優兎はクスリと笑った。
「そういえば、ちゅん……ラヴァー? ってどういったのが好物なのかな。名前と一緒に、瑠奈に伝えておくよ」
「キュウ? 別に気にしなくていいぞ。大概のものは食えるし、名前も好きにしてくれ」
「ええ!? いや、だって君オス――」
言いかけたその時、奥から瑠奈の声が聞こえた。
「ちゅん子ー! どこにいるのー? 一緒にお昼食べよおー!」
「! キュッキュ~♪」
呼ばれたちゅん子は頭の毛をぴくんとさせると、大きく旋回して瑠奈の元へ飛んでいった。
「妹さんの事が気に入ったようじゃの」
そんなこんなでバタバタしているうちに日は落ち、約束の時間が来てしまった。校長は既に玄関の前で待っている。
出発前になって、優兎は少し心配になってきてしまった。みんなの前で堂々「行きたい!」と宣言したものの、やはり家族と過ごしてきた思い出深い家を離れると思うと、寂しくなった。
そんな優兎の心境を知ってか知らずか、父は優しく彼の背中を叩いた。
「大丈夫だ。家の事は心配しなくていい。あまり過度な期待はしないでおきたいところだが、お前ならどんな逆境が立ち塞がろうとも、乗り越えてここに戻ってくると信じてる。何たってお前は『奇跡の子』なんだからな。――行ってこい」
「父さん……」
目が涙で潤んできた。優兎はぐっと堪えて頷く。母はショルダーバッグを優兎に渡した。
「いつかまた学校に通わせてあげたいと思っていたけど、まさか異世界で療養する為に行く事になるなんてね。流石にこの展開は読めなかったわ。具合が悪くなったらすぐにお医者さんに頼るのよ。ちゃんとご飯食べて、ちゃんと寝るの。いいわね?」
「分かった」
母はそっと優兎を抱き締めると、後ろに少し下がった。次は瑠奈の番だ。
「お兄ちゃん、誕生日のケーキ、瑠奈が食べてあげるから心配しなくていいよ!」
「瑠奈……お前は相変わらずだなあ」 優兎はガクッとなって苦笑した。「いつ帰るか分からないのに、別れの挨拶がそれでいいのか?」
「うーん……じゃあ、帰ってきたらまた小説見せてね! 行ってらっしゃーい!」
ちょっと遠いところへ行くだけという認識なのだろうか。こんな時までしんみりしない、明るい瑠奈らしい振る舞いに、ああ、この子は心配いらないなと兄として安心感を覚える。優兎は堪えていたものが少し抑えきれなくなって、気付けば妹をぎゅっと抱き締めていた。
「行ってきます!」
家族一人一人の顔を見た後、優兎は鞄を握り締め、校長の元へ歩いて行った。外の風は冷たいはずなのだが、気分が高ぶっていてちっとも冷たいと感じない。
「君は、良い家族に恵まれておるな。ちと、わしまで目頭が熱くなってしまったわい」
「はい、幸せ者です」
優兎ははっきりと噛み締める事が出来た。
——6・旅立ち 終——




