6・旅立ち①
(夢じゃ、ない!)
「おお、起きてきたようじゃな優兎君。おはよう。お邪魔しているよ」
「あ、あの時はどうも――じゃなくて! どうやって僕の家に?」
「ラヴァーに案内してもらったんじゃよ。何度か出入りしていたと聞いておるよ。――優兎君の為に改めて自己紹介をしよう。わしはコーネリアル・バーキン。とある学校の校長をやっておる」
「校長先生……」
改めて身なりを見ると、なるほど、確かにどこか威厳や品位があるような気がする。蓄えた白い髭もそれっぽく見えた。
そういえば自分も自己紹介していなかったな、と優兎はハッとする。
「えっと、僕は輝明優兎って言います。十三……あ、いや、もう少しで十四歳になります。学校にはどこにも通っていなくて――」
「優兎、お前初対面の人にそこまで言わなくてもいいんだぞ?」
父は苦笑して頭をかいた。優兎は真っ赤になった。
「ふむ、礼儀のきちんとしたお子さんですな。優兎君、かしこまらずに肩の力を抜いてくれ」
校長がテーブルにカップを置くと、母はおかわりを注いだ。
「優兎君が不在の間に、親御さんからいろいろと話を伺った。聞けば、君は原因不明の病気持ちだそうだね?」
「はい」
「未だ治る見込みがない……そうだね?」
「……はい」
優兎はぎゅっとパジャマの裾を握った。
「わしにはその病の正体について、断言できぬまでも、心当たりがある。――わしの見解を言おう。君は『魔力』の持つ毒気にやられている」
「魔力の持つ、毒気?」
優兎が呟くと、校長は紅茶の中に三つの角砂糖を放り込んで、くるくるサジでかき回した。
「地球では馴染みのない言葉じゃろう。だがわしの住む世界『魔法界』は、魔力という自然エネルギーに満ちておってな。魔力を吸収して、火種もなしに炎を、水脈もなしに水を、枯れた大地に植物を生やす能力を持った者達で溢れていて、意志の元に姿を変えた魔力を『魔法』と、魔法を操る者を『魔法使い』と一般に呼んでおる」
校長の手がパッと光った後、カップからサジを持ち上げると、溶ける前の綺麗な角砂糖が三つすべて乗っかっていた。
「地球の住人には魔法界の存在は知られていないが、魔法界の方では古くから地球の存在は知られていたらしい。地球と魔法界を結ぶ転移装置があってな、それを用いて行き来する者が少なくはなかったんじゃ。――まあ、聖地巡礼というやつかな。魔法界は地球の片割れであるという一説が信じられる程共通する部分もあってな。この二つの世界におけるハッキリとした違いは、魔力があるか、ないか。一般の魔法使いは魔力のない地球で魔法を発動させる事は出来ない。だからいくつかの条件をつけて、観光に赴く事が許されておった」
サジでカップの半分を区切ると、紅茶の部分と、緑茶のような色の部分とに別れた。校長は一般の魔法使いの枠組みではないようだ。
そういえばあの怪しい二人組も、剣や拳といった物理攻撃だったな、と思い出す。
「しかし、その転移装置はとうに失われた人類の残した異物であった事が判明された。失われた人類――『古代人』のいた形跡は殆ど消滅していて、これが進み過ぎた文明の末路だと忌避されるようになってからは、地球へ赴く者は減り、制限されるようになった」
「けど、魔法使いがそのまま地球に永住した可能性はありますよね」
「そうじゃ。地球上において不思議な力を使える者達は、魔法使いの祖先であるケースが多い。しかし、大概はその力も薄れていく。あるいは発熱、吐き気などの体調を崩す程度で、気付く事もなく終わる。それはやはり、魔力が地球上には存在しないからじゃ」
「体調を崩す……」
「優兎君も心当たりがあるようじゃな。君は魔力を持つに至ったが、消え去る事なく、また馴染みもせずに体の中に堪っていて、負担をかけている可能性がある」
「それが僕の病の原因……」
可能性の段階だが、その時の行動や環境関係なしに、唐突に不調を来していた点の辻褄はあう。
「私も妻も、魔法使いなんかではないのですが。両親や祖先に不思議な力が使えたという話は聞いておりません」
「私もです。この子の妹も何ともないですし……」
「そのようじゃな。わしの元に仕える友には、魔力の形が見える。あなた方には何も備わってはおらんし、これから発動する様子も見られないそうじゃ」
校長はカップを置いて、ひざの上に両手を置いた。
「しかし、優兎君は何故か道理から外れている。友は優兎君の中に不思議な魔力の形を見た。わしがこの世界に来たのも、気になったからでな。堪った魔力が開花――放出される瞬間に、暴走してしまわないか心配になって様子を見に来たのじゃが……友による情報だと、開花によって更に魔力の形がトゲトゲしくなったと言うんじゃ」
「ど、どうして……?」
「分からん。今までの経緯からも、明らかに虫喰まれている期間が長過ぎる」
「ということは、い、今まで以上に苦しめられるって事ですか!?」
「……」
校長は言いにくそうにしていたが、やがて頷いた。
優兎は言葉を失った。今までだって、相当苦しめられた。相当な迷惑をかけた。これ以上の苦痛を味わうというのがどれだけ恐ろしい事か。ただ単純に頻度が増えるだけでも勘弁して欲しいのに、もしもこれで動けなくなったら? 好きな事が一切出来ない体になったら……!? 目の前が真っ暗に塗り潰されていくような思いだった。
優兎が顔を青くしているのを察知すると、校長は、
「そこでじゃ! ご両親に提案していたのが、優兎君を魔法界に連れて行くという事なんじゃ」
パンッ! と両手を打ち鳴らして、カラッとおどけたふうに口調を変えた。
「え? 僕が、魔法の世界に……?」
沈み込んでいた優兎はハッと我に返った。校長は笑って頷く。
「ようは魔力のない世界で、発散も出来ずに溜め込んでしまっているのが悪いのだと考えている。わしの学校は寮制でな。住むところは用意出来るし、医師も住み込みで働いておる。今の状態が異常なのであって、元々の君は一般的な人間と変わらないんじゃよ。だからしばらく魔法界に留まり、魔力を全て洗い流せば元通りになるはずじゃ」
「洗い流す……具体的には?」
「なに、そう難しいものでもないぞ。単純にこっちの世界に滞在するだけでも効果は見込める。水中に潜っていた状況から水面に顔を出して、呼吸を確保するのと同じ事。前例が殆どないから、どれだけ時間を要するのかは定かではないんじゃが、魔法を使えば使う程その期間は縮まると、わしは考えておる」
「しかし、親御さんの話も聞こうではないか」と、校長は優兎の視線を父と母に向けさせる。二人は表情を硬くしていた。
「……俺と母さんは賛成しかねているんだ。どこの病院に見せても分からなかった。ただ単に体調を崩しやすい体質なんだとあしらわれた事もあった。そんな病魔の解決策が、意図していなかった方法で解決するかもしれない。それ自体はどんなに嬉しい事か」
切り出したのは父だった。
「だが、目の届かない所に預けなければいけないというのが気にかかるんだ。お前が別の世界に行ってしまったら誰も面倒を見てやれない。聞けば、そこは電話も何も、電波そのものを届けるシステムがないと言うじゃないか。尚更心配だ」
再び空気はどんよりとしたものに塗り変わった。そういった心配が出るのは最もだった。異世界の話がペテンであるかどうかは、両親が意見してこない辺り、信じる方向になったのだろう。だがそれとこれとはまた話が別だ。
優兎は複雑な顔をしていたが、
「どうしたい優兎。言ってごらん」
意見の余地を与えたこの言葉が、背中を押した。
「――僕、魔法界へ行きたい!」
優兎はハッキリと口にした。彼の目は真剣さというより、興味からなる輝きが満ちていた。それが見て取れた両親は、はあ~と力が抜けたように沈んだ。
「そうなのよね。あんたなら絶対そう言うと思ったから困ってたのよ。何たって優兎ですもの」
「優兎だもんなぁ」
「きっと限りなく治る見込みが薄かったとしても、そんなところがあると知った時点であんたは行きたいと言い出すんだわ。あんたのそういったものへの執着は、それこそ手の施しようがない病気なんだもの。見た? 異世界に連れて行くって話になった時の切り替えの早さを。魔力ってのが原因かもしれないって話をしていたはずよね?」
「ああそうだ。しょうがない、覚悟を決めるか」
「父さん……母さん……!」
嬉しい気持ちで胸がいっぱいになり、優兎は二人の間に飛び込んだ。自分の事を本気で心配してくれている。それなのに、本人の意見を尊重して折れてくれた。感謝しないわけがないじゃないか!
「ん~、よく分かんないけど瑠奈も仲間に入れて!」
「はいはい、おいでおいで」
いつの間にやら物陰から様子を窺っていた瑠奈も、母に手招きされて加わった。
校長は眼界の家族愛を眩しく思いながら立ち上がった。
「元はと言えば、こちらの世界の理があなた方に迷惑をかけてしまった事が原因じゃ。手紙という形でしか近況をお伝えできないんじゃが、優兎君にはこまめに手紙を書いて貰おうと考えております。手厚い持てなしも約束しましょう。それから身の安全を考えて、学校外への外出も制限しなければなりませんな」
「いえいえ、よっぽど危ないところでなければ、外出の制限までしなくて結構ですよ。どうせ徒労でしょうし。ねえ?」
「そうだな」
「?」
首を傾げる校長。父と母は優兎を見て苦笑した。




