5・公園での交戦②
ゴキィッ!!
手前で酷く鈍い音を耳にする。
が、優兎は痛みを感じなかった。変わりにゴロゴロとすっ飛んでいったのは、赤い毛の塊であった。
「ラヴァー! でかしたぞ!」
老人は駆け付けながら黒いサークルを出したかと思うと、巨人の背中に黒炎の逆巻く球を発射した。巨人は瞬く間に黒炎に飲み込まれ、消え去っていった。
緊迫した空気が解け、静寂が訪れる。ハァー、ハァーと汗だくになりながら先ほどの光景を整理していると、老人が優兎のそばにやってきて、左腕に触れた。
「あっ! イッ……!」
「おっと、すまない。急に動かしたりして」 老人は灰色に輝いた手を離した。
「ぼ、僕より、ちゅん子を……」
「いや、君を治す方が先じゃ。大分酷いことをされたようじゃな。痛かったろう」
老人の手の平がぼうっと淡い桃色に光り輝き、優兎は穏やかな温もりに包まれた。なんだか眠たくなるような心地だ……。苦しげに吐いていた呼吸音は整い、止まらなかった汗も引いていった。
光が消えると、動かす事さえままならなかった体は不思議な程軽くなっていた。手首の傷を見やると、傷痕どころか刃の差し込まれた形跡すらない。恐る恐る触ってみても激痛が走る事はなかった。これは……魔法か?優兎がそう思ってしまうのも自然な事だった。
「どうかね? 傷の具合は」
「はい……」 優兎は起き上がる。「痛く、ないです。全然」
「ふむ、成功したようで何より。なくなった血液までは取り戻せないから、あまり激しい動きは――」
「あ、ああ! そんなことよりちゅん子が! 僕を庇って!」
優兎はちゅん子を探して見つけると、慌てて駆け寄った。
「ゅ、キ、キュー……」
弱々しい鳴き声のちゅん子。思わず目を塞ぎたくなる程の、酷く痛ましい有様だった。背中の部分がすっかりへこんでしまっている。赤い羽が無惨に辺りに散って、まるで血飛沫を表したかのようだ。
「ちゅん子! ああそんな、死んじゃダメだ! お爺さん、早く手当を!」
ずっと見つめていると心がブルブル揺さぶられて、涙がこぼれてくる。それなのに老人は、
「君が治してごらん」
「は……?」
「ん? 翻訳は正常に機能しているよな?」
「いや、そうじゃなくて! 早くさっきみたいに治療を! お願いですから!」
今にも死んでしまいそうなのに、何を悠長にしているんだ!?恩人であるのに、怒りが滲んでくる。
それでも老人は優兎の方をまっすぐ見続けていた。
「君も治せる。いや、治せるようになった。――大丈夫。わしがついている」
老人がポンと優兎の肩に手を置くと、そこから熱が入り込んでくるような感覚を味わった。もう本当にさっきから何が起こっているのか頭が混乱しまくっているが、とにかく相手は意見を曲げる気はないようだった。
ごくん、と生唾を飲み込む。
「どう、すれば?」
「相手を見る。そしてどこを治したいか、どんなふうになってほしいか願いを込める」
老人の言葉を受け、優兎は頷いた。重篤状態のちゅん子に再び目を向けると、悲観的な気持ちは薄れていて、何となく出来るような気になってきていた。
「……どこを、治したいか」
この、へこんでしまっている部分だ。きっと骨が折れている。
「どんなふうになってほしいか」
元気になって、ほしい……っ!
ぎゅっと目をつぶって強く願った瞬間。体中のエネルギーが手の平に集中し、ちゅん子の体に真っ白な光をもたらした。波立つように地面に光の波紋が広がり、公園全体を照らし出す。それは老人が優兎を治療した時以上の輝きを放っていた。
光が消えると、周囲は再び闇の色に染まった。ちゅん子の様子は?どうなった!?優兎が改めて視線を落とすと、背中の傷は元通りになっており、どこか小綺麗になっていた。
「きゅう、キュ……」
閉じていた目を開いていくちゅん子。
「キュウ、キュウ、キュウ!」
背中の筋肉がうごめき、羽がぴくんぴくんと動く。羽のうごめきはやがて羽ばたきとなり、力強く、しっかりとしたものになっていき――
「キュウウウウウッ! キュッキュッキューッ!!」
砂埃を巻き起こして、ちゅん子は再び飛び上がった。体毛が炎に変わり、周囲を優雅に飛び交う。
本当に、出来た。治せた……。力の抜けた優兎は地面にへたり込んだ。
「ほほっ! どうやら完治したようじゃな。よかったよかった」
「よかったって……もし間に合わなかったら、失敗してたら…!」
「ふむ。君はこの鳥をフェニックス、つまりは不死鳥と呼んだそうじゃないか。実は君の見解は大方合っていてな。傷の度合いにもよるが、彼は自己再生が可能なんじゃ」
「えええ……」
老人が腕を伸ばすと一通り飛んだちゅん子が戻ってきて、老人のシルクハットを突っついた。
「だからって、オイラを利用すんな! キュー! 痛みはバッチシ感じるんだからな!」
「まあ、氷付けにされたりせぬ限りは」
「聞けよ! このボケジジイ!」
ちゅん子はもう一度突っつくと、優兎の方を向いた。
「ありがとな! 主の力ありきとはいえ、魔力の弱っちい奴だなんてバカにして悪かったよ、キュー!」
ちゅん子は礼を言う。しかし優兎は反応せずにぼうっとしていた。そしてゆったり立ち上がったと思うと、フラフラと歩き出した。
「どこへ向かおうとしているんじゃ?」
「……ちゅん子が治せるなら、あの子もきっと……」
「? あの子じゃと?」
「僕の近所で、あの大男に犬がやられたんです。僕が、ぼく、が、たすけ――」
そこまで言うと、優兎は電池が切れたようにぐらりと傾いた。地面に倒れ臥す前に、老人が体を支えてしゃがみ込んだ。
顔色や呼吸の様子を伺うに、どうやら眠りに落ちたらしい。初めて力を使ったもんで、疲労に耐えきれず倒れたのだと見受ける。
「ラヴァー、この子がお主の気になっていた子でいいんじゃな?」 老人はちゅん子を見上げた。
「キュウ」 ちゅん子は頷く。「開花の瞬間には立ち会えたわけだ。魔力を発散させる為に力を貸したんだろう?あれだけ放出させれば自然に魔力も消えていく。うまくやれば全部夢だったで済むな!」
すっかり荒らされた公園内を見渡しながら呑気に言う。巨人の他にも女がいたはずだが、どこにも人影はない。
「おかしいのう」 老人は表情を曇らせた。
「魔力を発散させる為ではない。微力な魔力の持ち主と聞いていたから、この世界でも通常に使える程度の魔力を注いだに過ぎん」
「キュ?」
「殆どがわしの力であったはず。だが、あれは想定以上の輝きだった……」
「つまり、どういうことなんだ?」
「分からん。調べてみない事には」
老人は事も無げに優兎を抱き上げて立ち上がると、歩きながら荒れた場所や遊具を修復していった。
次に優兎の目が覚める頃には、時間は大きく飛んで、もう昼近くであった。
(また変な夢を見た気がする。空想と現実が混同した夢だった……。痛かったし、怖かったし、迫力あったし……妙にリアルだったなあ)
優兎は瞼をこすりながら窓の方を見る。外の風景ではなく、注目したのはガラスの方。夢の中であの窓ガラスは巨人によって盛大に割られたはずだったが、今は特に何でもない。
やっぱりあれは夢で間違いないようだと一人納得していると、瑠奈が部屋に入ってきた。
「あ、お兄ちゃん起きてる! ちょっと寝坊だよ」
「だからドアは静かに――ああもういいや。母さん、朝食片付かないって怒ってた?」
瑠奈はフルフルと首を振った。
「ね、それよりお兄ちゃん、どっか遠くへ行っちゃうの?」
「は? え、なんで?」
「何かね、今お母さんとお父さんが変なお爺ちゃんと話してるの。変だけど、すっごいお爺ちゃんなんだよ! 手から火を出したり、水を出したり、瑠奈の足のアザを治しちゃったり!」
階段につまずいちゃって、と足を見せる。が、どこにもそのような傷は見られなかった。頭が回らず、適当に「気のせいだったんじゃ?」と返すと、瑠奈は「違うもん!」と言ってムッとする。
変なお爺ちゃん……アザの治療……。何か思い当たる節があるなと思考を巡らせていると、妙にリアルだった夢の内容と繋がった。突如優兎はばっちり目を覚まし、ベッドから飛び出して階段を駆け下りた。
廊下から話し声が漏れている。居間に突入すると、ソファには母と父、そして向かいには、夢の中で見たお爺さんがお茶を啜っていたのだった。
――5・公園での交戦 終――




