1・炎竜に焦がれるのののノ②
報酬金をマーガレットに取りに行ってもらっている間、三人は次の依頼を探す為にボードの前に立った。優兎が初めてギルドに訪れた時は畑仕事や人探しの類いが目立ったが、あれから六日経った今は魔物退治の依頼が増えたように思う。人探しについての色あせた紙に比べると、白地が際立っていた。そのはっきりとした色差にうまい事吸い寄せられる優兎達。
魔物退治の依頼書は、場所や報酬額、ギルド基準に基づいた難易度の指標となる印、依頼主の名前と共に、依頼主が描いたと思われる魔物のイラストが載っていた。うっかり忘れてしまったのか、場所や依頼人の名前が空欄になっているものでも、イラストがある点だけは同一だった。退治依頼を出す際の決まりなのだろうか。
無論、依頼主の全員が素晴らしい画力を持ち合わせているはずもなく。体長や体の模様など、特徴を掴んだものが少なく、記憶を頼りにしたのか、ほぼ全てが大雑把。ぐにゃぐにゃの塊に目が点々と打ってあるものとか、サツマイモのように太くて長い形に緑色の短い棒線(手足だろうか?)が生えたものだとか、とにかくそんなのばっかりだった。写真機が普及していないとこうなるのか、と思い知る。きちんと描ける人を雇って絵を用意する人もいるが、ここのギルドに集まるのはこういうものが多いようだ。眺めている分には子供達の展覧会みたいな親しみがあっていい。だが、いざ当てになるかと問われたら、何とも言えない。優兎は反って余計な入れ知恵となってしまうんじゃないかと疑問に感じてしまった。
「六日で退治系のが増えたなあ。何でだろう。絵を見る限り、別に生態系を脅かすような魔物でもないし……」
「え? ジー……おっと。ジャック、この絵だけでどんな魔物か分かるの? 討伐難易度の項目も不確定になってるけど」
優兎はお椀をひっくり返したような形のイラストを指差して言った。緑色でぐちゃぐちゃと雑に色が塗ってある。
「〈ダルシェイド大陸〉とか知ってる地域に限られるけど、森の中で生息している魔物ならこれだけでも何とか。大まかな形と、色と、報酬金を総合させて考えれば見えてくるよ」
「形と色はともかく、報酬金も?」
「多いか少ないかで、どれだけ危険性の高い奴か分かるでしょ?」
おお……! 優兎はジールの目の付け所の良さに感心した。チラリとアッシュの方に視線を動かすと、アッシュは手を振って自分にはさっぱりだという事を表した。分かるか分からないかは個人によるみたいだ。
三人はそれぞれ、依頼書をボードから剥がして見定めていった。優兎の場合はイラストを見ても見当もつかなかったので、金額だけに注目していった。イラストだけ参考材料にすると大概が弱そうだが、報酬の額が一万を越えていたりすると、一気に見方が変わった。現物を目の当たりにした事がないだけに、底知れぬ恐ろしさがあった。
優兎は魔法界にやって来てからまだ日は浅く、二週間いくかどうかといったところ。しかし、そんな優兎でも一枚だけ、「あれだ」とハッキリ分かるものがあった。
「ん……? んなああああああッ!?」
そのイラストが目に止まると、優兎は徐々に目と口を開いていって、声を大きくした。他の依頼書を目していたアッシュとジール、そしてテーブル席で暇をつぶしていた客人まで、優兎の突然の声に驚いて振り返った。
「ちょっ……! アップル、どうしたの。声大きいよ」
声量をひかえめにして、ジールは注意した。
「ど、どどっどどどど……」
優兎の心の乱れは依然として。
「どーっ! どーっ!」
ワケの分からない言葉を口走りながら、優兎は一枚の依頼書を二人の前に突き出した。パッと目に飛び込んできたイラストは、今まで見てきたものよりはなかなかまともに描けている方で、トカゲのようにひょろりとした赤い体と二対の翼に、頭上には二本の角、東方の龍によく見られる長いヒゲまで描かれていた。
「ドラゴン! ドラゴンだよ、これぇっ!」
やっと言いたい事が言えた優兎は嬉しそうな顔をした。ファンタジーオタクの優兎らしい反応だ。
アッシュとジールは冷めた様子で互いに顔を見合わせた。
「……ジャブー、だよね?」
「ああ、ジャブーだな」
イラストを見せられた二人は、確認し合うように呟いた。二人との温度差に気付いた優兎は「へ?」と口元を引きつらせる。
「アップル、これはドラゴンってのじゃなくて、『蛇歩』って言うんだ。体は小さいけど、割と狂暴な奴でね。餌になりそうなものを見つけると、仲間を呼んで集中攻撃して狩るんだ」
「えええ……」 ジールの説明によって、優兎の頭の中から迫力満点のドラゴン像が消え失せて、代わりにちっぽけなアリの姿が浮かび上がった。「何だ、違うんだ……」
優兎はイラストと実際の話との違いに酷くガッカリした。考えてみれば、今まで出会って来た魔物も、書物の中で語られていた架空の生物と、重なる部分はあっても完全に一致する事はなかったっけ。
勝手に盛り上がってバカみたいだと、優兎は溜息した。
「でもよ、あいつら普段は〈カーンダータ〉の山奥の方に生息してるだろ?」 アッシュは優兎の見つけた依頼書を手に取る。「退治場所が〈ピリカ〉の周辺って書いてあるぞ? 〈ピリカ〉は〈ハルモニア大陸〉付近の島にあったっけか。何だってあんなところにいるんだ?」
「確かに。蛇歩は気温が特別高いところにしか生息していないはず。〈ハルモニア大陸〉も暑いところだけど、エンリュウの村の辺りの方が、よっぽど気温は高いはずなんだけどなあ」
「か、かーんだーた? ぴりか? エンリュウ?」
聞いた事のない単語ばかりが飛び出して来る。優兎は二人の会話に全くついていけなかった。困った表情を浮かべて、二人のどちらかに救いを求める。
「ハハッ、変な顔してんな、お前」
アッシュが気付いた。
「カーンダータは五大大陸の一つで、〈ダルシェイド大陸〉よりも北東の方角にあるんだ。んで、〈ピリカ〉は……あー、行った事ねえからよく知らねえけど、とにかく町だ、町。炎竜は、〈カーンダータ大陸〉に住み着いてる種族の事だな。性質は別として、まあナリはこの蛇歩の絵と若干似てるかもな」
「その話、詳しく」
姿が似ているという発言で、優兎の様子が変わった。急に真面目な顔になったので、アッシュは動揺する。
「は、はあ? だから、カーンダータは大陸の――」
「最初っからじゃなあああいッ! 炎竜! 炎竜の話を、是非! そしてもっと具体的に! 体長は? 大きい? 大きいよね? 僕より小さいなんて事ないよね? きっとそこらの民家よりは大きいよね? 僕らの学校より大きかったら、うわあああああどーーーしようっ!」
「な、何熱くなってるんだよ、おま――」
「角はある? ウロコはびっしり生えてる? 牙は鋭い? 炎のブレスは吐く? 空は飛べる? ねえ、何か知らない? 鳴き声はどうだろう? 『グオオオオ!』かな? 『ガオオオオ!』かな?? 『キャギャオンキャギャオンキャグラガガラガラグオォォォォンッ!』かなあっ!? うっはーーーっ!」
「ジャァァァァァック! こいつ怖ぇっ! 何とかしてくれええええええっ!」
優兎の異常なまでの張り切りように、アッシュはまずい事を言ってしまったかと後悔した。詰め寄って来る優兎を抑えて、アッシュはジールに助けるよう叫ぶ。
「えー、止めちゃうの? 面白い光景なのに」 ニタニタしながらジールは言った。「ギルのアニキ、さっき俺にやったのとおんなじ事すれば?」
「さっき? ……ああ!」
思い出したアッシュは、優兎の脳天を思いっきり殴った。優兎は上からの衝撃に負け、バタンと倒れる。
「い、いひゃい(痛い)……。ちょっとは手加減してくれたってぇ……」優兎は床に突っ伏したまま、苦しそうに呻いた。
「正当防衛だ」アッシュは苦々しく拳を摩った。
するとその時、周りからわっと笑い声が上がった。バカにするようなものではなく、感嘆に近い。アッシュとジール、それから優兎は驚いて、キョロキョロと見渡した。
「だっはっはっは! 面白い奴だな、そこの兄ちゃん!」
テーブル席で酒を飲んでいた男の一人が、酒焼け顔を向けて言った。
「炎竜についてそんなに熱心になって聞きたがるたあ、随分度胸があるじゃねえの」
「ハハッ! いーや、ただ無知なだけじゃねえのかい?」
入り口の扉近くの席に座る、声の高い男が口を出してきた。
「そんな事あるめえよ。兄ちゃんの口ぶりからすると、大分見知ったような感じだ」
今度は中央の団体席から、頭に黄ばんだハチマキを撒いた大男が声を上げた。
「だがなあ兄ちゃん。書店に足運ぶなり、酒の肴にする分にゃあ構わないけどよ、本物には会わねえ方がいいぞう」
「会わない方がいい……ですか?」優兎はくらくらする頭を抑えながら立った。
「そうとも。俺は船上から二、三度見かけたっきりだが、兄ちゃんの言う通り、体は俺なんかよりバカでかいし、角もある。ウロコもある。牙もある。炎も吐くし、空だって飛べる。鳴き声は……まあ知らんが、もしかすると当たってるかもなあ。――けど、それ以前の話、とにかく気性が荒い。仲良くなろうなんざ、間違っても思わないこったな」
言いたい事を言うと、ハチマキの大男は足で体の向きを変えて仲間と談笑に浸った。ハチマキの大男の話を聞いた優兎は、再び燃え上が――ったりはせず、呆然としていた。
ファンタジーの世界で描かれるドラゴンというのは、大きく三つに分類される。一つは神、もしくはそれに近く、高貴で長寿でどの種族よりもずば抜けた魔法や、人間と対話する事も容易い知能を備えていると描かれるタイプ。人間含めた何者にも加担しない静観スタイルはまさしく神様であり、人間側に難なく加担していればカジュアル、殆ど微動だにせず一貫していればその作風はハードボイルドな印象を受ける。
二つ目は一つ目とは逆のタイプ。高貴さも知性もなくしたただの羽の生えたトカゲ。ありふれたモンスターの上位程度でしかなく、そこらの野蛮な山賊と変わらない位置まで地位が転がり落ちる事も。
三つ目は当たり前に人間社会の中に溶け込んでいるタイプ。ドラゴン=強いという風潮と無言の説得力はあるので、国を守る団長的なポジションや、かと思えば、気さくでコミカルな立ち回りとして描かれる事も。この三種類だ。
しかし、ハチマキの大男の話からすると、どれもイマイチ当てはまらないような気がした。二つ目に近いような気もするが、ニュアンスから考察するに、怖いという感情はなく、まるで村の中に一家族だけ、何を考えているのか分からない風変わりな連中がいる、みたいな感じだった。
溢れる好奇心を抑えられず、優兎はアッシュとジールに先ほどの持論『ドラゴンの立ち位置三か条』の事を話して、炎竜がどのタイプに当てはまるのか聞いてみた。
「たった三つに無理やり振り分けようとするのはどうかと思うけど……全部なんじゃないかな。一つの村の中で暮らしてるし、他種族を嫌ってる凶暴なイメージがある。火の聖守護獣ジンが生み出した種族だから、神に近いってのも事実だね」
ジールが答えた。……何となく形が見えてきたぞ。優兎の思い描いていたドラゴン像が、みるみる期待に膨らんでいく。胸の鼓動が主張し出して、頭の痛みなんてどこかへ吹っ飛んでしまっ――
あ、思い出したらまた激痛が……。
そんな優兎を見かねたアッシュは、呆れ果てて溜息をついた。
「深入りしない方が身の為だぞ。大陸内に閉じ籠ってるのが幸いだって事で有名な奴らなんだからな」
「俺も同意だね」 ジールも反対意見に回った。「アップル、勝手に行くなんて事ないようにね」
「い、行かないよ。うん、分かってる」
そんな事を口にしながら、そうかその手があったかと考えていた。この少年は大好きなドラゴンの為なら度重なる忠告を無視してでも、自力で場所を探し出して行きそうだからそら恐ろしい。そして炎竜に出会って早々に殺されたとしても、本望だと思いかねないのだからもっと質が悪い。
「死」に怯える優兎だが、それとこれとは別。地続きでない大陸として隔たれている事は、優兎個人にとっても幸いに違いない。




