未知との遭遇
秋の名月と無機質な街灯に照らされながら夜道を散歩する。私は天道も寝静まる丑三つ時に一人で嗜む散歩が堪らなく好きだった。最近、物騒な事件がマスコミを賑わした事もあり、この時間に人の気配はつゆのかけらも無い。不謹慎だがいい気分だ。
なんでも眼球を特殊な器具で改造された変死体が近くの浜辺に打ち上がったらしい。改造の目的は不明、医療行為に近い痕跡が見つかっているが根本的な部分に相違点があるとの話だ。
しかしそれだけでは平和ボケした日本人のピンタンブラー錠を固く閉めることはできない。
死体は1体ではなかった。10や20などといった数でもない。142体、浜辺には肉の丘ができていたそうだ。事件より事故や災害を連想させる量、だが被害者の眼球がそれを否定する。テロや戦争が頭を過るが、屍の多種多様な国籍が真相を闇へ押しやり推測の域を出る事ができない。皆が恐怖していた。私も例外ではない。だが趣味を中断するほどではなかったし、なんなら好奇心の方が大きかった。なんとも頭の悪い人間である。
散歩の途中、内なる冒険心に導かれ近くの雑木林に足を踏み入れると、月光よりも鮮やかな緑と緑よりも深い闇が私を飲み込んだ。若草の海が造り出す見事な芸術品である。思いがけない穴場の発見に気分を良くし私は口角を上げ口笛を吹く。その時だ、あれが目の前に現れたのは。白銀に発色し麦わら帽子の様な造形をした、道を塞ぐ全長4m程の鉄の塊。
UFOであった。
地上で抜群の存在感を放つその物体を、未確認飛行物体と呼ぶのは心苦しいが、生憎それしか言葉が見つからない。それほど見事なアダムスキー型であった。
幻想的な光景は跡形も無く砕けちり、ただ違和感だけが雑木林を支配している。その異常な光景を瞳に映した私は口を開け、ただ阿呆の様に息を飲むばかりであった。どのくらいそうしていたのかは定かではない。UFOの頂点部分から光が溢れだし、体を照されてやっと我に帰る。逃げなくては、そう思った。普段の私なら嬉々としてUFOを調べたかもしれないが、今日の私は違う。例の事件が頭を過ったのだ。宇宙からの来訪者というのは総じて野蛮な賓客であり、古今東西あらゆる作品で畏怖されてきた有名人だ。あの奇々怪々な事件の原因としては申し分ないだろう。私は素早く踵を返し、帰路を走る。
だが遅かった、私の儚い生存欲求が悲鳴を上げる。目の前に奴が現れたのだ。人類が初めて接触するであろう未知の存在、宇宙人である。
すごく大きいアオリイカだった。ふざけているわけではない。冗談みたいな見た目だが事実である。宇宙人の正体は全長二メートル程のアオリイカだったのだ。正直あまり未知ではなかったし、知的かどうかも怪しかった。
「こんにちわ」
なんと、このイカ星人友好的である。まごうことなき知的生命体であった。
「あっ、こんばんはか」
イカ星人は日本の時制の難しさに苦戦していた。間違いが恥ずかしいのか、えんぺらをぷるぷると震わしている。
「こんばんは……」
私は普段外国人と接する時、自分が日本の代表なのだという強い使命感を持って接している。自分のせいで我が国の評判を落とすわけにはいかないからだ。私は地球代表として宇宙人の挨拶を無視する事が出来なかった。
彼(宇宙人に対する正しい三人称は不明だが)は私の挨拶を聞くと会釈をして通りすぎていく。驚くほど何もなかった。一瞬普通の人間だったのかと思ってしまう。あのイカは私の事を特に気にしていないらしい。自分の姿を見られてもUFOを見られても所詮は人間一人、誰も信じないだろう。そんな自信を感じさせる。
「まってくれ!」
私は自然と声を出していた。さっきまで畏怖に支配され、ここから逃げだそうとしてた人間とは思えない。変わらず危機感はある、だが自分の好奇心が漠然とした未知と離れることを拒んだ。
「わかりました」
イカ星人がこっちを振り向く。少しちぐはぐな返事だ。なんだか機械と喋ってるような感覚に陥る。
「あの……浜辺の死体は貴方がやったんですか?」
気のきいた台詞など出て来ない、頭の中の疑問がそのまま口からでて来た。イカ星人は悩むそぶりを見せる、さすがに失礼だったか。それとも "やった" の意味が抽象的だから返答に悩んでいるのかもしれない、もっと具体的に質問すべきだったか。
「はい、その通りです」
あっさりと認めてしまった。なんとも潔いイカである。咎められる行為をしたという意識が無いのだろうか?
「何故そんなことを?」
「第18銀河密輸禁止条約により、監視者の私が地球の輸出物品の返却を行うことになったからです」
意味がわからなかった。だが同時に好奇心に火がつくのを感じる。
「条約違反の罰という事ですか?」
「それは違います、銀河条約違反の厳罰は惑星レベル4から発生します。私は単純に無許可の荷物を返却しただけですよ」
何が起これば荷物の返却だけであんなことになるのだろうか。
「荷物の状態に不満があるのでしょうか?
18銀河の交通量は膨大です。貴星の無許可銀河遊泳物は重大な事故を起こしました。賠償は出来ません」
「……あの死体が無許可遊泳物の中身ということですか?」
「はい、おそらくどこかの星に向けて発射されたものだと推測されます」
そして道中で事故を起こし、密輸禁止条約とやらにひっかかったというわけか。ということはあの死体は宇宙飛行士の成れの果てなのだろうか? しかしそんなこと死体の身元を調べればすぐにわかるはずでは? 何故、公式からの説明がないのだ?
「あの眼球はなんなんです……なんの目的で……」
「それを宇宙人に聞くのですか」
イカ星人は少し悲しそうな笑みを浮かべた。驚くほど表情豊かな軟体動物である。
「どういう意味ですか? じゃあ誰があんな非人道的な行為をしたというのです?」
「人道を歩ける人間は驚くほど少ないのですよ」
「…………」
「同胞であれをやろうとしたのは全銀河系で貴方たちが初めてです。ただ返却の仕方に不備があったことは認めましょう。一番情報量の多い日本海を選んだのてすが、配慮に欠けていました」
理解できない内容が続く、謎や疑問が止むことは無い。だがこれ以上の質問は人間の恥部を表にしてしまう様な気がして躊躇われる。
「少々長話が過ぎましたね。私はこれで失礼します」
イカ星人はゲソに巻き付いた腕時計の様なものを見てそういった。どうやらお別れの時間のようだ。私は一瞬引き留めようかとも思ったが、彼を気持ちよく見送ることにした。引き留めたい気持ちはある、まだ聞きたい質問も沢山ある。だが異星の客人にこれ以上失礼な真似はしたくなかった。ここから先の質問が不躾なな内容になるのはわかりきっている、潮時であろう。嫌な顔一つせずに質問に答えて下さった遠方の隣人に感謝を込めて礼の言葉を贈る。イカ星人は恥ずかしそうに一言「恐縮です」といいUFOの方へ去っていった。
その後キャトルミューティレーションされる事も記憶を奪われる事もなく、ただいつも通りの帰路に着いた私は、狐につままれたような気持ちだった。常識では考えられない出来事がシナプスをショートさせ、現実と虚像の境をひどく曖昧にさせる。あれは夢だったのだろうか? どっちにしても客人の顔を忘れるような礼儀知らずな真似だけは出来そうに無かった。
あれからしばらくたち、イカと宇宙人にまつわる興味深い噂を耳にした。なんでもイカというのは優れた環境適応力を持っていると言われていて、極寒の地域や深海にも生息しているそうだ。更にイカは非常に目が良い生き物であり、色を識別する能力は人間よりも優れ、光を確認する能力は昆虫よりも長けていると言われているらしい。
しかし、それだけの能力を持っていてもイカには決定的な欠点だある。実はイカはそれだけ視力が良いにも関わらず、それを処理する脳を持ち合わせていないのだ。まさに宝の持ち腐れである。
何故イカの構造はこんなにも、ちぐはぐなのだろうか? 実はこれには恐ろしい説がある。
それが "イカは宇宙人が操っているスパイ生物説" である。
イカというのは宇宙人にとって地球内の情報を撮影するカメラなのだ。遥か昔、人間が生まれて間もない頃、知的生命体を観察する目的で我が惑星に送られてきた兵器、それがイカという種族である。そして世界で一番イカを消費している国は日本であり、つまり宇宙人に我々の生活は筒抜けなのである。
そんな感じの他愛もない都市伝説であった。誰も本気になどしていないだろう。だが私には心当たりがあった。「監視者」、「一番情報量の多い日本海」、彼はそう言っていた。
浜辺の死体は地球から発射された荷物の中身らしい。あの屍達の視力はどれほどだったんだろうか? 彼はこうも言っていた「同胞であれをやろうとしたのは全銀河系で貴方たちが初めてです」
全ては私の憶測に過ぎない、だがそれから私がイカを食べることは二度となかった。雑木林を散歩することもただの一度もありはしなかった。