第3話 脱出 その5
舞の指示を受けたヒョウは、五〇五室を抜けて、非常階段を登っていく。
このマンションは十階建てで、最上階は関係者以外立ち入り禁止の屋上になっている。
非常階段を最上階まで登りきり、ドアの前に着くとある異変に気付く。
「おやおや、これは血かな」
ドアには血の手形がこびり付き、ドアノブはこじ開けられたのか傷だらけだ。
ヒョウは今まで以上に警戒してドアを開ける。
扉の隙間から、暖かい陽の光が差し込んでくる。
ヒョウは扉を開け放ち屋上に足を踏み入れた。
「やっぱりいるわね」
屋上には三体のゾンビがいる。
男女が一人ずつと、そして子供が一人。
どうやら親子のようだ。
見ると両親の手には小さく噛まれた後があった。
恐らく最初に感染した子供が噛んだのだろうとヒョウは思った。
三体のゾンビはヒョウの姿を見つけて、手を伸ばしてゆっくりと近づいてくる。
「さっさと終わらせてあげるわ」
ニヤリと笑ったヒョウは、自分から走って一番近い男のゾンビと距離を詰めた。
ゾンビに掴まれる前に、ヒョウはAN94をまっすぐ突き出す。
取り付けられた銃剣が胸部を深々と貫く。
ゾンビは痛覚がないのでそれを意に介さず、手をヒョウに伸ばしてくる。
ヒョウは銃剣を突き刺したまま走り出した。
そして後ろにいた女のゾンビにぶつけ、男ゾンビとフェンスに挟んで動きを封じる。
ヒョウはバヨネットを引き抜いて、男の首を刎ねる。
その後ろで大口を開けていた女ゾンビの口の中に銃剣を突き立てた。
「そんなにこれが欲しかったの?」
ヒョウは微笑みながら、銃剣を捻った。
男女のゾンビは折り重なるように倒れる。
後ろから小学生くらいのゾンビが迫っていたのだ。
ヒョウは振り向いてにっこりと微笑む。
「お父さんとお母さんの所に早く逝きな」
躊躇うことなく銃剣で貫くのだった。
「りょうか〜い。いい天気だから日向ぼっこしてるわ」
ヒョウは報告を終えて無線を切ると、辺りを見回す。
「邪魔だな」
彼女はゾンビの死骸に向かって、そう呟く。
「アタシはあなた達と一緒に日向ぼっこしたくないの」
ヒョウは死骸をフェンスに持ち上げて次々と地上に落としていく。
「これでゆっくりと日向ぼっこできる〜」
三体目を下に落としてから、ヒョウはフェンスを背もたれにして座り込む。
「さてと、じゃあヘリを待ちますか」
そう独りごちると、ヒョウは双眼鏡を覗き込んで、ヘリを待つのだった。
『舞。聞こえる?』
再び、ヒョウが無線を送ってきた。
「聞こえている。ヘリは来たか?」
『いえ。ただ日差しがあったかくていい気持ちわよ』
「ふざけてるなら切るぞ」
『あぁ、ちょっと待ってよ。今確認してるから。あっ……?』
ヒョウがそこで言葉を区切る。
『来たわ。機種はSH-60Kみたい。海自のヘリね。あと五分ぐらいで到着かしら?』
「分かった。そちらに向かう」
『了解。待ってるわ』
舞はヒョウとの通信を終わらせて立ち上がる。
「翼、熊気。ヘリが来る。屋上に向かうぞ」
「「了解」」
翼と熊気は立ち上がり、持っている銃の薬室に初弾を装填してから、玄関に向かう。
舞は美雨を呼びに部屋へ向かった。
ドアをノックしようとすると、先んじて美雨が扉を開けた。
「もう、脱出できるんですか?」
「うん。もうすぐ脱出できるよ」
舞が左手を差し伸べ、美雨がその手を取る。
「ヘリに乗ればすぐに安全な所だ。さあ行こう」
「はい」
二人は自然に手を繋いで玄関に向かった。
翼と熊気が先にドアを開けて部屋を出る。
翼が二人に声をかけた。
「舞、美雨ちゃん。出てきていいぞ」
「……?」
熊気が少し首をかしげる。
「どうした?」
熊気は翼に返事せずに、じっと向かいのマンションを見据えていた。
「おい熊気。どうしたんだよ」
「向かいのマンションに人影が……」
翼も熊気の見ているマンションを見つめる。
「誰もいなそうだぞ。ゾンビだったんじゃないか?」
「動きが素早かったから、ゾンビではないと思う」
舞が玄関から出てきて熊気に尋ねる。
「熊気、何を見たんだ?」
「向かいのマンションに人影が見えたのですが」
翼がスコープをズームさせてマンションに目を注ぐ。
「やっぱり誰もいないぞ」
舞も目を凝らすが、やはり人の姿は見えない。
念の為に、屋上のヒョウにも確認させる。
「ヒョウ。そこから向かいのマンションを見てくれ」
『見てるわよ』
「人影はあるか?」
『……誰もいないわ。早くしないとヘリが着いちゃうわよ』
舞達の耳に微かにヘリのローター音が聞こえてくる。
「分かった。すぐそっちに向かう」
舞は無線を切って、熊気の方を見る。
「熊気、人の姿は確認できなかった」
「すいません。見間違いでした」
熊気は大きな身体を縮ませて謝る。
「謝らなくていい。翼と熊気は周囲を警戒。屋上へ向かおう」
舞は右手一本でHK416を構えて先頭を歩く。
左手はしっかりと美雨の手を握っている。
その後ろで、熊気は向かいのマンションの方に銃を向け、翼は後ろを警戒しながらついて行く。
四人は非常階段を登りきり、屋上のドアを開けた。
「やっと来た。みんな遅いよ」
ヒョウは舞達を一瞥すると双眼鏡に目をやる。
「すまない。ヘリは?」
ヒョウが双眼鏡を覗いたまま、指を指す。
「もう肉眼でも見えるわ」
指差した先に海自のヘリ、SH-60Kの姿が見えていた。
「熊気。目印の発煙筒を炊いてくれ」
熊気は頷いて、持っていた発煙筒に火を点けて、地面に置く。
発煙筒から、赤い煙が天に昇って行き、それを目指してまっすぐヘリが近づいてくる。
SH-60Kのパイロットは、発煙筒の煙を視認して、マンションに向かい着陸態勢に入ろうとする。
その煙に意識を向けたせいで、警告灯に反応するのが一瞬遅れてしまった。
慌てて操縦桿を切って回避行動を取るが間に合わない。
衝撃と爆発がヘリを襲った。
マンションの屋上にいた五人からも一部始終が見えていた。
「まずい。避けろ!」
ヘリに届かないのは分かっているのに、舞が珍しく大きな声で叫んでいた。
「地対空ミサイルかよ……」
翼が髪の毛をかきあげ、歯ぎしりする。
熊気がボソリと呟いた。
「駄目だ。避けられない」
SH-60Kの横っ腹にミサイルが突き刺さる。
発射されたのは携帯式地対空ミサイル、9K34ストレラ3だ。
向かいのマンションから発射されたミサイルはヘリの側面に突き刺さると同時に爆発。
乗っていた乗員はその爆発で即死。
爆風と衝撃で、SH-60Kは二つに折れた。
折れた前半分が横回転しながら、屋上に迫ってくる。
「みんな逃げろ!」
舞の声で三人は一斉に動き出す。
熊気はドアを体当たりで破り、その後ろに翼とヒョウが続いた。
「あ、ああ……嘘……」
美雨は迫ってくるヘリに目を奪われて動けない。
炎上回転するヘリがグングンと近づいてくる。
「美雨!」
舞は動かない美雨の手を引っ張って、そのまま引きずるように非常階段に飛び込んだ。
直後、ヘリがフェンスをぶち破り屋上を滑る。
先ほどまで舞達がいたところを通過し、出入り口を破壊しながら、少しも勢いを緩めずに反対側のフェンスを破る。
そしてそのまま約三十メートル下に落ちて、爆発音が轟き、黒煙が上がる。