第3話 脱出 その4
舞はヒョウが外に出たのを確認してから、一丁の銃を取り出して武器庫を出ていった。
そして美雨が寝ている部屋を控えめにノックする。
「……はい?」
中から返事が返ってきた。
「起きてるか美雨。入っていいかな?」
「あっ舞さん。どうぞ」
美雨の返事を聞いて、舞は部屋のドアを開けた。
美雨はベッドに腰掛けていて、メガネをかけようとしていた。
「ごめん。起こしてしまったな」
「いえ。目が覚めたのはノックが聞こえる直前でしたから」
「そうか」
舞はベッドに腰掛ける。その時、彼女の髪からフワリと良い香りが美雨の鼻腔をくすぐった。
「体調は悪くない?」
舞は優しく美雨の額に手を添える。
「顔は赤いようだけど、熱はないみたいね」
「はい! 全然問題ないです」
体調が悪いわけではなかった。舞に触れられただけで美雨の体温がどんどん上がっていく。
「調子が悪くないなら良いんだ。けど体調悪かったら言ってくれ」
「はい。ありがとうございます。それで……何かあったんですか?」
「ああ、これを持っておいて欲しい」
そう言って、舞が持ってきた銃を美雨に見せた。
それは小さいリボルバーだった。
「この銃を私が?」
舞は頷く。彼女が持っていたのはS&WのM38ボディーガードだった。
弾丸は口径九ミリの38スペシャル弾が五発装填できる。
アメリカのS&W社が作り出したこの銃は、警官などが、衣服の下でも隠し持てるように小型に作られている。
「私。銃なんて持った事も触った事もないですよ。それに撃ったことだってありません!」
美雨は怖かった。
自分が人を殺す力を持つのがとても怖かったのだ。
「大丈夫。これは護身用だよ」
「護身用?」
「そう護身用。何も持ってないより、これがあれば、いざという時に助けになるかもしれない。だから持っていてくれ」
舞はグリップの方を美雨に向けて差し出す。
「……分かりました」
美雨は恐る恐るグリップを握りしめる。
「小さいけどズッシリしてますね」
「重いかな? 一応、ここにある中では一番軽いんだけど」
「大丈夫です。持てます」
「じゃあ、操作方法を教えよう」
舞はM38の射撃の仕方を教えていく。
「この銃の相手に狙いをつけて、引き金を引く。この操作で撃てる」
舞は誰もいない壁に向かって、弾の入ってないボディーガードの引き金を引いた。
ガチンと寂しく乾いた金属音が響き渡った。
「結構簡単なんですね」
「うん。こういうリボルバーは弾を装填して引き金を引けば撃てるものが多い。
その分安全装置として引き金は重くなっているんだ。引き金を引いてごらん」
美雨は右手の人差し指でM38の引き金を引いてみる。
非力な美雨では、かなりの力を入れないと引き金を引けなかった。
「ちょっと大変ですね」
「そういう時は、ここを起こすんだ」
舞はサイドをフレームに包まれ、ちょこんと露出したハンマーを起こした。
すると連動して引き金も後退する。
「今までの状態がダブルアクション。このハンマーが起きた状態がシングルアクションというんだ」
「ダブルアクションにシングルアクション」
美雨はちゃんと記憶するように、声に出して呟いた。
「そう。だから美雨が撃つときが来たら、ハンマーを起こすシングルアクションで撃つといい。
後は相手に押し付けるように撃てれば必ず当たる。」
「分かりました。ありがとうございます舞さん」
「弾丸を装填するからちょっと貸してくれ」
美雨から銃を受け取ると、レンコンの断面のようなシリンダーを開けて、五発の38スペシャル弾を装填した。
舞は「動かないで」と言って、美雨の足元に近づいた。
舞の細い指が、美雨の足を撫でる。
「ま、舞さん?」
「足を動かさない」
「は、はい」
美雨は何が起こってもいいように、目を閉じてじっと待つ。
しばらく足首辺りが少しくすぐったかった。
「これで良し。美雨? 何故目を閉じているんだ」
「ふぇっ、あっ、何でもないです」
美雨が目を開けると右のくるぶしに何かが巻かれていた。
「これは?」
「アンクルホルスター。これにM38をしまうといい」
美雨はボディーガードをアンクルホルスターにしまいこんだ。
「美雨。もう少し休んでいて。後三十分もすれば街から脱出できる。その時になったら呼びに来る」
「はい」
舞はベッドから立ち上がり部屋を後にした。
美雨はベッドに横になると自分の足首に収まるM38に声をかけてから横になる。
「よろしくお願いします。ボディーガードさん」
美雨の気のせいかもしれないが、M38は返事するように微かに震えるのだった。
舞がリビングに戻ると、耳に付けた受信機にヒョウが連絡を入れてきた。
『舞、聞こえる?』
「聞こえている」
『屋上に着いたわ』
「何か障害はあったか?」
『ええ、非常階段にはゾンビはいなかったけど、屋上に三体いたから排除しておいたわ』
「分かった。そのまま待機。ヘリが見えたら教えてくれ」
【りょうか〜い。いい天気だから日向ぼっこしてるわ』
それを最後に無線が切れる。
「ヒョウは無事屋上に着いたようだ。彼女がヘリの到着を知らせてくれる。それまでここで待機する」
「了解っす」
「了解」
翼と熊気が頷いたのを見て舞は窓に近寄る。
窓の外は明るい太陽の光が降り注いでいたが、その下ではゾンビ達が生者達を襲っている。
舞の目が、同じ高校の制服を着た数人の男女の姿を見つけた。
彼等は手にバットや、どこから手に入れたのか、散弾銃を持って道路を進んでいく。
舞の優れた視力が彼等の絶望に抗うふてぶてしい面構えを捉えた。
(死ぬなよ)
舞は心の中で、そう声援を送っていた。
彼女は時計をチラリと見る。時刻は十一時四十分を回っていた。
爽栄市の沖合に海上自衛隊の艦船四隻が配置されていた。
四隻は横須賀基地所属の、第1護衛隊群の艦船だ。
護衛艦、はたかぜ、むらさめ、いかづちの三隻に周辺を守られているのは、ヘリコプター搭載護衛艦いずもである。
そのいずもから、一機のヘリコプターが離陸しようとしていた。
機種はSH-60K。
このヘリの任務は、テロが起きた爽栄市からある人物を救助する事だ。
それは勿論美雨達の事である。
陸自から借りた遠隔操縦観測システムで目標のマンションを確認。
三名の乗員達は指令を受けて、SH-60Kを離陸させた。