第2話 「今なら泣いてもいいよ」 その7
血のついた制服と下着を脱いで、美雨はバスルームにいた。
入ってからずっと、シャワーを全開にして浴びている。
美雨の細い肢体に、シャワーの水滴が滑り落ちていく。
無理なのは分かっているが、この数時間で起きた事を洗い流そうと試みていた。
舞が言っていた十分はとっくに過ぎていたが、美雨は気づいてない。
その時だった。
「美雨」
ドアの外から舞に呼びかけられた。
「は、はい!」
美雨は慌ててシャワーを止める。
「大丈夫か? 約束した時間を過ぎているようだが、どこか具合でも悪いのか?」
「だ、大丈夫です。すぐ出ます」
「……そうか。何事もないなら良かった」
そう言って舞の気配がドアから離れた。
(紅狼さんに迷惑かけちゃう。早く出ないと……!)
そう思いながら、美雨がアタフタしていると、突然バスルームの扉が開く。
「え?」
「ん?」
扉を開けたのは一糸纏わぬ舞だった。
「えっ、ちょっ、待っ、えっ、紅狼さん?」
女神のような神々しい身体を惜しげもなく披露しながらバスルームに入ってくる。
舞の肌は傷一つなく滑らかで、胸は大きく、腰はキュッとくびれている。
そして鍛えているので、背筋はまっすぐ伸び、質の良い筋肉が身体を鎧のように覆う。
鍛えていても、女性らしい丸みを残していた。
その美しい身体と、焔の様な赤いロングヘアと瞳が相まる。
同性の美雨から見てもとても美しい。気高き焔の狼だった。
「どうした美雨。女同士なんだから。恥ずかしがることないだろ?」
「そ、そうなんですけど……」
美雨は思わず、自分の身体を手で隠す。
舞に比べて自分の細い身体はとても貧相に思えてしまった。
美雨は舞を直視できなくて俯いてしまう。
そして足早にバスルームから出ようとする。
「し、失礼しま……」
「待ってくれ!」
舞が美雨の腕を掴んで引き止める。
シャワーからピチョンピチョンと水滴が垂れる音が浴室に響く。
「その、なんと言えばいいのか、そうだ! いろいろ聞きたいことがあるだろう?
私もいろいろと美雨に話しておくことがある」
それを聞いて美雨は即答する。
「あ、あります」
「ここなら、邪魔は入らない。なんでも聞いていい。ただし時間は私が出る十分間」
「はい」
「すまないが、身体を洗ってもいいかな?」
「はい。どうぞ」
美雨に許可を取ってから、舞はシャワーを出して熱いお湯を浴びる。
そして近くにあった。ボディソープを手に取った。
「美雨は身体洗わなくていいのか?」
いきなりそう振られて美雨は驚く。
「えっ、なんで分かったんですか?」
「美雨から石鹸の香りがしないから」
「な、なるほど」
美雨が納得している間にも、舞はボディソープを手で泡立ててる。
泡立ったそれで自分の身体を洗っていく。
美雨もボディソープを借りて身体を洗う。
舞の背中を見たままなのはなぜか申し訳なくて、背中向きになってしまう。
しばらく経ってから、美雨は意を決して話しかけた。
「紅狼さん」
「何だ?」
舞は後ろを向いたまま返事する。
美雨にとっては目を合わせて話すのは苦手だから、この方が気が楽だった。
「貴女達は何者なんですか?」
「私達は自衛隊……と言っても信用してもらえないか?」
「はい。その舞さん達が悪い人には見えません。けど……」
「けど?」
身体を洗い終えた舞は、シャンプーを手にとって髪を洗いながら尋ねる。
「その、正体が分からない人たちに助けられるのもなんか、何というか……その」
「気味が悪い?」
「はい! その通りです。すいません」
「謝らなくていいよ。美雨の言ってることは正しいから」
舞は考える。
(彼女の両親もこちら側の人間。それに美雨の身体のことも話さなければいけないか)
舞は美雨に協力してもらうために自分たちのことを話す。
両親の事は伏せておく事に決めて。
「流石に全部は話せない。それでもいいかな?」
「大丈夫です」
美雨は身体を洗う手を止めて聞き入る。
舞は腰まで届く長い髪を洗いながら話し始める。
「私達は対テロ部隊Zに所属している」
「対テロ部隊……それはアッちゃんもですか?」
「そうだ。忠実、ヒョウ、翼と熊気。そして私は皆同じ部隊の人間だ」
対テロ部隊Z。
それは日本に攻撃する可能性のあるテロリストなどを極秘に排除する部隊だ。
「私達、というよりも、その部隊の多くの兵士は幼少期に拾われているんだ」
「拾われている?」
「親に捨てられたり、両親が亡くなった等の理由で一人きりになった子供達の事だ」
それを聞いて美雨はあることを思い出す。
確か忠実も小学生の時、両親を事故で亡くしていた事を。
「じゃあ、アッちゃんも、小学生の時にそこに……」
「そうだな私達が初めて会ったのは、小学生くらいだった。そこから何年も訓練をして、私達五人は中学の時ある任務についた」
舞はそこで一度言葉を切って、美雨の方を振り向いた。
「美雨。君を陰ながら守ることだ」
「アッちゃんも言ってましたけど、それが一番意味が分かりません。
私を守ることに何の意味が?」
美雨には、自分が守られている理由が思い当たらない。
「それはちゃんと理由がある。君のご両親に頼まれて、今まで伏せていたからだ……あっ」
舞の口から自分の両親の事が話題に出て、美雨は驚愕する。
「えっ! どういう事ですか? 何で私の両親がそこで出てくるんですか?」
舞はしまったという顔をする。
「その、今のは聞かなかった事には……できないな」
「はい。出来ません!」
美雨はキッパリと言い放つ。
「分かった。話そう。君の両親の事を」
舞はあまり気が進まない感じで話し始める。
この話の結末が美雨にとって悲しくなるのは分かっているからだ。
「美雨は両親の仕事の事は知ってるかな」
「えと。あまり詳しくは知りません。二人とも科学者って事ぐらいしか分からないです」
「そうか。きっと君に迷惑をかけたくなかったのだろう」
「あの、私の両親はどんな仕事をしていたんですか? まさか軍人さん……」
美雨は両親が銃を構える姿を想像する。
二人とも娘の美雨から見ても、とても運動神経がいい方ではなかったし、体力もない。
想像の中の二人は銃を構えただけで息を切らしていた。
「違うよ。二人はある物の研究をしていたんだよ」
「一体何の研究をしていたんですか?」
「…………」
舞は何故かそれ以上を言おうとしない。
「舞さん?」
「……君の両親は……S-ウィルスを研究していたんだ」
「S-ウィルス?」
それを聞いた途端、美雨は何故かそれ以上聞いてはいけない気がした。
「それはある場所から発見されたウイルスの事だ」
三十年前。至美戸村で発見されたS-ウィルスはZの施設で密かに研究されていた。
そこで美雨の両親は研究に関わっていたのだ。
舞がそこで一旦言葉を切って、シャワーを出す。
全身を洗い流す。
髪や身体についた泡が流れ落ちていく。
「舞さん。そのS-ウイルスは一体どういう物なんですか?」
「S-ウイルスに感染したものはゾンビ化して人を襲う。そして噛まれた人もゾンビとなるんだ」
浴室の温度が少し下がったような気がした。
「そ、それってまるで、この街で起きてる事と同じじゃないですか」
「そう。この街にS-ウイルスが散布された。そのせいで街はゾンビが蠢く地獄と化したんだ」
「学校で起きた事もテロ……」
舞は頷く。
「でも待って下さい。何で私や舞さん達は感染してないんですか?」
「私達には、こういう時のために一人一人に抗体が用意されている。それを使えば、二四時間は感染しない」
「でも……アッちゃんは……」
美雨の口から感染したとはとても言いづらかった。
「うん。もちろん忠実も打っていたはずだ。だから彼女が感染したのは予想外だった」
「あっ……もしかして」
美雨はある事に思い当たる。
「その、感染した人に噛まれたからですか?」
「確証はない。けれど、その可能性は高い」
「そんな……私のせい……」
自分を守る為に、噛まれて感染してしまった。
美雨の中で後悔の念が溢れてくる。
「それは違う!」
舞は美雨の両肩に手を置き、彼女の目を見つめる。
「でもでも、アッちゃんは私を守って、噛まれたんです!だから、私がいなければ……違う、私も感染していれば……」
「違う!」
そこまで言ったところで、舞が美雨の頰を平手打ちした。
「違う。違うんだ!」
美雨は頰を叩かれて、呆然としてしまう。
「忠実は、君を守る任務を命じられた時、以前も言ったが、とても喜んでいた。
両親を失った彼女が望んで人殺しの力を欲しがったとは思えない。
けれど親友を助ける力ならばと、彼女は厳しい訓練を耐え抜いてきた。
全ては美雨。君を守る為だ。
だから、君の所為で彼女は死んだんじゃない。
忠実にもこうなるとは予想できなかった筈だ」
美雨は何も言えない。
ただ目尻に涙が溢れて、今にも溢れそうになっていた。
「美雨のせいじゃない。忠実も君を恨んでなどいない」
「本、本当、ですか?」
美雨は涙声だ。話していると、目尻の涙が、一筋流れる。
舞はそれを優しく指で拭った。
「ああ、恨んでなどいないさ。きっと天国で君の事を見守っている」
そう言って舞は、美雨をそっと抱きしめた。
「泣いてもいい」
「えっ?」
美雨が顔を上げる。舞の赤い瞳と目があう。
舞の口が動く。
「ずっと我慢しなくていい。今だけは泣いてもいいよ」
美雨は我慢するのをやめた。
この数時間に起きた悲しい出来事を、親友の死を思い出し舞の腕の中で泣き続けた。
舞は彼女が泣き止むまで、何も言わずにずっと抱きしめる。
シャワーから出るお湯が美雨の涙を洗い流す。
舞はそんな彼女を見ながら、声に出さずに口を動かした。
「君は私が守る」
第2話 最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
第3話のタイトルは 脱出! です。
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