第2話 「今だけは泣いてもいいよ」 その6
忠実の部屋の間取りは3LDK。
玄関を抜けると左右に個室があり、部屋の奥にはリビング、ダイニングキッチンがある。
五人はひとまずリビングに集まった。
忠実の家にはテレビがなかった。
舞が美雨に椅子を勧める。
「疲れたでしょう。座って」
「あ、ありがとうございます」
美雨が座ったのを確認して、舞が三人に指示を出していく。
「熊気、武器庫を開けてくれ。大丈夫だとは思うが使えるか確認してくれ」
「了解」
「翼。本部と通信がしたい。武器庫から通信機を持ってきてくれ」
「了解っす」
二人とも疲れているはずだがそれを表情に出すことなく、部屋の一つに消えていく。
ヒョウは冷蔵庫を開けて中からスポーツドリンクを取り出す。
「ミウ。喉乾いたでしょ? これ飲みな」
「あ、ありがとうございます」
ヒョウもスポーツドリンクを取り出して飲む。
飲む度に喉が艶かしく動いていた。
舞がヒョウに声をかける。
「ヒョウ」
「ぷはっ。うん、どうしたの舞? 飲む?」
ヒョウは飲みかけのスポーツドリンクを舞の方に差し出す。
「いや、いい。それより、この街の情報が欲しい。爽栄市の事がニュースで報道されてるかどうか調べてくれ」
「分かった。調べてみる」
ヒョウはスマホを取り出す。
「うん? ちょっと電波悪い? ちょっと外すわ」
そう言ってヒョウは部屋の一つに入った。
リビングには舞と美雨の二人きりになる。
二人とも喋らない。
美雨は舞の姿を見る。
舞は座らずに壁に寄りかかっていた。
寄りかかっているだけなのに、とても様になっている。
美雨はスポーツドリンクに、少しづつ口をつけながら、舞の姿を見つめていた。
三人ともまだ戻ってこないので、美雨は沈黙に耐えられなくて、舞に話しかける。
「翼さんと熊気さんはどこへ?」
「ん? ああ。二人はこれから必要になるものを取りに行っている」
「さっき武器庫って言ってましたけど、やっぱり銃ですか?」
「そうだ。これからこの街を脱出するために必要になる」
「あの、舞さん達は一体何者なんですか?」
「私達は、詳しくは話せないが、自衛隊の一員だ」
「自衛隊……つまり軍人さんなのですか?」
「まあ、そういうものだと思ってくれて構わない」
「アッちゃんもその自衛隊の一員だったんですね」
舞は頷く。
「忠実も私たちと同じ、自衛隊の一人だ」
「全然知らなかったです」
「それはそうだろうな。私達の正体は極秘だから。あまり正体を話すものではないんだ」
「あの。じゃあ……」
更に聞きたいことがあったが、翼が現れて話が途切れる。
右手には頑丈そうなトランクケースのような物を持っていた。
「持ってきましたよ」
「ああ、銃器の方はどうだ?」
「今、熊気が調べてますが、おそらく使えると思いますよ」
翼はトランクケースをテーブルの上に置く。
舞はそのケースのロックを解除して開けた。
中にはパソコンによく似たモニターとキーボードがセットされている。
「美雨。すまないが話はまた後で」
「はい。大丈夫です」
美雨の返事を聞いて、舞はキーボードを操作する。
操作しているとヒョウが部屋から出てきた。
「舞、駄目。電話もネットも使えない。電波が妨害されてるみたい」
「やはりな。今これを使って本部と連絡できないか試しているところだ」
「ああ、サオリに連絡?」
「そうだ」
モニターはスタンバイのままなかなか動かない。
ヒョウがしびれを切らした。
「舞。今のうちにシャワー浴びていい。もう身体ベタベタなのよね」
そう言って、開いた胸元をパタパタと仰ぐ。
男子には目の毒だった。
「そうだな。いつライフラインが止まってもおかしくない。使うなら今だな。
ただし十分以内に出てくれ。何が起きてもおかしくないんだから」
「ここは敵に見つかってないから大丈夫でしょ。じゃあシャワー浴びてくるわ」
「ヒョウ。ちょっと待った」
バスルームに向かうヒョウを舞が呼び止める。
「なに?」
「美雨を先に入れてくれ」
「わ、私ですか!」
舞が優しく促す。
「うん。先に入って来てきなさい」
「で、でも。ヒョウさんが先で……」
美雨はヒョウの顔色を伺う。
「いいよ。ミウが入りな。私は次に入るから」
「いいんですか?」
美雨は舞の方を見て、改めて確認する。
「美雨。入って来なさい」
その言い方はまるで母が姉のようだった。
「分かりました。それじゃ入って来ます」
美雨はぺこりと頭を下げると、バスルームに向かった。
通信機のモニターの表示がスタンバイからサウンドオンリーに変わる。
「舞。聞こえますか?」
姿は見えないが、抑揚の無い女性の声がリビングに響く。
舞はその声を聞いてすぐに返事をする。
「サオリ。聞こえている」
「良かった。他のみんなは無事ですか?」
サオリと呼ばれた女性は舞の声を聞いて安堵する。
「私以外に、ヒョウ、翼、熊気がここにいる」
「忠実はどうしたのですか?」
舞は少し言い淀む。
「……忠実はゾンビに噛まれてウィルスに感染。私がトドメを刺しました」
「感染……」
「はい。どうやら、感染者の体内でウィルスが強化され、抗体が効かなかったみたいです」
「そんな、貴方達四人に感染の兆候は無いんですね?」
「はい。私達は感染していません」
「それは良かった。警護対象の朝顔美雨も無事ですね」
「はい。無事に保護しています。サオリ今の状況を教えて欲しいのですが……」
「分かりました」
サオリは爽栄市の状況を説明する。
「今から一時間前。街にS-ウィルスが散布されました。
その所為で感染した人間はゾンビ化。今も人々を襲っています
後、ウィルス散布と同時に街全体に強力な妨害電波が出ています。
この通信も長くはもちません」
「これを起こしたのは自由の翼旅団?」
自由の翼旅団。
主に東欧で暗躍するテロ集団の名前だ。
舞達はこのテロ組織を一週間前からマークしている。
それは裏切った鷹皇兼光が接触していたからだ。
「ええ。今から三十分前に自由の翼旅団の首領。
ヨシフ・べリンスキーが日本政府に対し犯行声明を発表しています」
「クズ共がっ!」
翼が吐き捨てるように叫ぶ。
「翼!」
舞に窘められて翼はリビングを出て行った。
「すまないサオリ。それで街からの脱出手段はあるのか?」
「陸路は陸上自衛隊の部隊が完全に封鎖しています。空路と海路も遅かれ早かれ封鎖されてしまうでしょう」
「ではどうすればいい?」
「今から二時間後に、そちらに海自のヘリを飛ばす手はずを整えています」
舞は時計を見る。
「二時間……十二時に来る」
「はい。それまでに朝顔美雨を何としても守り抜いてください。
彼女がこの事態を解決できる唯一の希望なのですから」
「分かっている。鷹皇兼光の姿は捉えているのか?」
「いいえ。こちらでは補足できていません。けど十中八九、彼も関わっているでしょう」
「そうか、分かった」
「舞、無事に……」
そこで通信が途絶える。
「サオリ? サオリ!」
妨害電波の所為で接続が切れてしまった。
何度接続を回復しようとしても、繋がらなかった。
舞は、翼と熊気。そしてヒョウをリビングに集める。
そしてサオリと通信した内容を三人に話す。
ヒョウが自分のスマホを覗きながら呟く。
「成る程。携帯通じないのは妨害電波のせいってわけね」
翼は先ほどの通信を聞いてからずっとイラついている。
「舞。それで? 俺たちはどうするんだ?」
「取り敢えず私達は、どんな事態にも対処できるように完全装備でここに待機。
そしてヘリを待つ」
「この街にはテロリストの首領。ヨシフ・ベリンスキーはいないのか?」
「ああ、犯行声明を出してはいるが、鷹皇兼光共々この街にはいないようだ。どこかに潜んでいるんだろう」
「無事にここを脱出できたら、ヨシフの頭、俺が撃ち抜いてやる!」
翼はそう言い残してリビングを後にする。
その背中に舞が声をかけた。
「どこに行くんだ」
「何があってもいいように、武器を点検しておきます」
翼は舞の方を見ずに武器庫に消える。
入れ違いに熊気が出てきた。
「どうしたんだ翼は? あんなに感情的になるなんて珍しい」
舞の言葉にヒョウは首を振る。
「彼の彼女……」
「ん? 何か知ってるのか?」
普段無口な熊気が口を開いた。
「翼の彼女、感染していたんです。それで彼がトドメを」
「そうだったのか」
翼が付き合っていたのは一歳年下の二年の女子だ。
二人共一目惚れで、翼は彼女と一緒のクラスになりたくて、わざと留年するほどだった。
「分かった。熊気教えてくれてありがとう。翼についてやってくれ」
熊気は頷いて、武器庫に向かった。
「舞。ちょっといい?」
ヒョウが話しかけてきた。
「もう十五分経つんだけど、まだ美雨が出てきてないのよ」
「えっ! 中で倒れてるのか?」
「中からは物音もするし倒れてはいないみたいよ」
「じゃあ、ヒョウが直接彼女に言えばいいじゃないか。私に言わないで」
帰ってきた答えは意外なものだった。
「イヤよ。アタシより適任者がいるじゃない」
「何? 誰だ」
「あなたよ、あなた。舞が様子を見に行ったほうがいいわ」
「私?」
ヒョウは舞を指差してウンウンと頷くのだった。