二章その1
新たに誕生した連合の名は、『撲滅連合』だった。『撲滅』の部分は、同連合に参加している『リア充を撲滅する会』から取ったそうだ。
そんな暴走族っぽい名前の連合が生まれることで、戦いの構図は一気に見やすくなった。
『撲滅連合』対『理想連合』。
参加する部の数で表すと、『十一の部』対『三十七の部』。
所属する人数に直すと、『68人』対『293人』。
人物名で言い表すと、『前に座っている鳴海ミナ』対『横に座っている陸田ナツミ』になる。
――もうやだこのテーブル……。
放課後の学生ラウンジで、シンは小さなため息をついた。
十二月を迎えて部活休止期間に入り、来週の頭からは期末テストが始まる。
三日後にそれを控えているのもあって、学生ラウンジの丸テーブルは、友人と勉強する人たちでほぼ埋まっている。
羨ましい限りだ。
どのテーブルを見てもそう思えてしまうのは、自分のテーブルに殺伐とした空気が鎮座しているからだ。
――空気がきついのは相変わらずだけど、このままだと〝目指せ赤点一つ〟が二つ三つに増えて、未来まできつくなりそうなんだよなー……。
『冬の陣』の準備を優先してきたせいで、テスト勉強の方はまったく進んでいない。
服部ハンナから得た情報を基に、インターネットで検索をかけ、新たな情報を入手したのが先週の土曜日。以降はツイッターばかりやっている。
看守と刺客がいなければ、今もそうしていたに違いない。
前者は鳴海ミナで、後者は陸田ナツミのことだ。
『陸田ナツミは『理女研』を辞めていなかったでござるよ』
念のために調べてもらい、服部ハンナが持ってきた結果がこれである。
その情報は、陸田ナツミが刺客だったことを証明するのと同時に、『理想の女子研究部』の思惑を知らせるものでもあった。
複数の罠で囲い込み、本命の罠へと追い込む――。
唐突な出会いからの誘いは、使い捨ての策。成功すれば儲け物程度のもので、真の狙いは別にあったらしい。
ストレスをためさせる一方で、捌け口になれる子を用意する。その子に不平不満を吐き出させ、信頼できる子だと思わせる――。
そんな考えで、陸田ナツミを送り込んできたようだ。作戦を開始したのは九月の中頃、彼女が体操着入れを忘れた時からだろう。
味方に引き入れて馬車馬のように働かせたいのか、恋心をもてあそんで精神的ショックを与えたいのか。
目的は未だに判然としていない。
分かっているのは、隙を見せたら叩きのめされるということだけだ。
――もうほんとやだこの学校……。
何もかも真央のせいだと思い、結婚できない病を患うよう内心で呪いを掛ける。それを終えて大きなため息をつくと、正面から冷ややかな声が飛んできた。
「ため息をついても勉強は進まないわよ」
手を動かし続けているミナに、シンは覇気のない声を返す。
「悩める年頃なんだよ」
「勉強で悩んでいるなら教えるし、別のことで悩んでいるなら聞くわよ」
「ナ、ナツミも……」
遠慮がちに手を上げたナツミを一瞥した後、シンは数Ⅰの教科書に視線を戻す。
「あーうん、あった時は頼む」
「悩みがあったから、悩める年頃って言ったんじゃないの……?」
ミナに同調したのは、ナツミだった。
「そ、そうだよね。悩みがないなら、悩んでいない年頃になるし……」
「んじゃあれだ。勉強したくねーんだけど、どうすれば良い」
シンが問いかけると、ミナとナツミはほぼ同じタイミングで答えた。
「しなさい」
「した方が良いかな」
「……悩みが解決しなかったんだけど、どうすれば良い」
「諦めて勉強しなさい」
「勉強するしかないね」
ミナとナツミを交互に見てから、シンは納得がいかないと言わんばかりの顔をする。
「……悩みがループしはじめたんだけど、どうすれば良い」
「黙って勉強するか、黙ってつねられるか。好きな方を選ぶと良いわ」
ノートの上にシャープペンを置き、ミナはテーブルの上で指を組んだ。顔を強張らせたシンをじっと見つめる。
「けっ、結局いつもの筋肉解決法じゃねーか……!」
「そうしないと解決できないんだから、仕方ないじゃない。それが嫌なら金輪際、無駄口を叩かないことね」
「人の〝純粋な悩み〟を〝無駄口〟として片づけるとか、ド畜生の所業だな」
シンは言い終えるのと同時に勢いよく腰を上げた。目を尖らせて立ち上がったミナから逃げるためだ。
「ふ……、二人とも落ち着いて! みんな見てる、見てるから!」
陸田ナツミが焦りを帯びた声を放つと、鳴海ミナはハッとして周囲を見回していた。
その隙に逃げ出そうとするが、
「シンくんも座って!」
と言った陸田ナツミに腕を抱え込まれたせいで、腰を下ろさざるを得なくなる。
着席後、彼女の柔らかな体が離れてしまったことに物寂しさを感じるが、それは不要な感情でしかなかった。
大急ぎで消しに掛かる。
――空野ゾーンで無我の境地だ、空野の手で煩悩退散だッ! 陸田は刺客、陸田の意志は別、陸田はやらされてるだけッ……!
空野シン的作戦コマンド『しょうきをだいじに』を使ってから、隣にいる彼女の様子を横目で窺う。
ぎこちない息遣いに、小刻みに震える手。
顔は心なしか青くなっており、正常な状態には見えなかった。
――つらいなー……。陸田もつらいんだろーけど、その反応は俺もつらいわけで……。
静かに目を閉じ、シンはそっと吐息をついた。
陸田ナツミは『理想の女子研究部』の刺客。その事実に変わりはないが、彼女は一番の被害者でもある。
好きでもない男子と仲良くなるため、わざと忘れ物をして自分の下に届けさせる。氏名呼びを名前呼びに変えろと、スキンシップを増やせと命じられ、嫌だ嫌だと思いながらも従う。
彼女がたどった経緯は、恐らく、こんなところだろう。
――どうにかしたいけど、武器がねーからな……。
苛立ちを抑えるように奥歯を噛み締め、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
真っ先に瞳に映ったのは、鳴海ミナの真面目な顔付きだった。探るような眼差しを陸田ナツミに向けている。
しばらくそうしてから、鳴海ミナが桜色の唇を動かす。
「空野のついでってわけじゃないけど……、陸田さんはどう? なんというかその……、悩みとかはない?」
「え……?」
ナツミは目を丸くして固まった。一呼吸置き、ぎこちなく笑って言う。
「と、特にはないかな」
「本当?」
ミナが気遣うような声で訊くと、ナツミはすっと目を伏せた。
「う、うん。と、特には、何も……」
陸田ナツミが見せた姿は、答えと一致していなかった。
下を向いたまま、何かに耐えるように両手でスカートを握り締めている。笑みは残っていたが、瞳には闇しか浮かんでいない。
その一方で、鳴海ミナは口を開いたり閉じたりしていた。突っ込んで訊くべきかどうかで悩んでいるようだった。
――話題を変えた方が良さげな感じか……?
そう思って口を開きかけたところで、横からか細い声が聞こえてきた。
「もしも……」
――おっ……?
「も、もしもの話ね。もしもあったら――」
ナツミはおもむろに顔を上げ、陰っている瞳をミナに向けて続けた。
「――助けてくれる……?」
予想だにしない言葉だった。
相談したいのではなく、解放してほしい――。
仮の話としていたが、陸田ナツミはそれを求めていた。
そんな彼女の瞳に実直な眼差しを当て、鳴海ミナはこくりと頷いた。
「当然よ」
ミナはニッと笑い、胸に手をやってから言う。
「困っている人を見つけたら助ける、それがアタシの信条だしね」
――どこの主人公だよ、お前は……。まーでも、鳴海っぽいなー……。
どう助けるかは二の次にして、彼女は自分の意志だけを示した。陸田ナツミの気持ちを確かめてから動くつもりのようだ。
自分とは対照的だ、と思った。
どう助けるかを先に考え、だんまりを決め込んで準備し、終わるまでは絶対に動かない。
そうするようになったのは、中学三年生の夏からだ。
オンラインRPG『エンジェルロード』で城を奪われてしまい、取り返せないまま三週間が経過し、悩んで相談した際に、
【気持ちや勢いだけで動くな。死ぬほど考えて、死ぬほど準備してから動け。ネットでもリアルでも、それができる奴は勝てるし、できない奴は負ける】
とギルドマスターの師匠から言われ、以降はその言葉を人生の教訓にしている。
負けられない時に負けたくないからだ。
『夏の陣』は正にそれで、師匠の言葉を忘れなかったから勝てたのだ。
――なんつーか……、見てると引っ張られそうだな。
感化されたら駄目だと思い、陸田ナツミに目を向ける。迷っているらしく、瞳が小さく揺れていた。
終わらせるべきか、語るべきか――。
二つの選択肢を乗せた天秤の針が、彼女の中でゆらゆらと振れているように見えた。
それが音もなく傾き、止まる。