四章その7
同日、午後三時。
空野シンは、階段の踊り場で両手を上げていた。
眼前にはペイント弾で汚れた壁があり、真後ろには鳴海ミナがいる。左手にある階段を使って逃げたい欲求に駆られているが、こらえるしかなかった。ここで撃たれてしまえば、目的が果たせなくなるからだ。
――使用可能部室が『ホスト部』にならなければ、余裕で乗り切れたんだけどなー……。まーでも……、やるしかなかったよな。
神様が手心を加えた、と思わざるを得ない展開だった。
シンが第三文化棟に足を踏み入れたのは、午後二時半。北側のトイレ前で服部ハンナと落ち合い、そこで軽い打ち合わせを行ってから三階に上がり、『理想連合』のシールド隊を横目にトイレの個室へ入った。
北大路ヒデキとその後輩が来たのは、それからすぐのことだ。
シンと同じようにトイレの個室に入り、午後二時四十分の『ネトゲ部』による裏切りを回避し、二人はその場で〝空野シン〟をおびき出す作戦を立てはじめた。
アホだ、と思った。
不意打ちを食らわせる気がないなら放置で良い、とも思っていた。
だが、できなかった。
鳴海ミナが捕まってしまったからだ。
彼女が人質にならなければ、今も三階で身を潜めていたに違いない。
――このままだと、俺が一番アホだってことになっちゃうよなー……。アホに捕まったアホ、そのアホに捕まってるわけだし……。
退室を命じるアナウンスが流れる中、シンは短い吐息をついた。
その一方で、ミナは階下に向かって指示を飛ばしていた。
「ゲームが再開したら、シールド隊とアサルトライフルを持っている人は、部室から出てきた敵を追いかけて撃ってください! 『魔術部』か『天悪部』の部室まで追い込んで、そのついでにナツミたちが二階を奪えるよう支援してください! 戻ってくるのは、そのあとで!」
「「「了解!!」」」
「ハンドガン隊は手すりとトイレ側の角に分かれて敵の迎撃、補充班はそのフォローを! アタシは、コイツを見張っておきます!」
ミナの言葉を聞き、シンは憂鬱げな顔を薄い笑みに変える。
突破口を見つけたからだ。
「……ミナ嬢は指揮官である故、前線に立つべきだと思うのでござる!」
「アタシは指揮官としてベストの選択をしたつもりよ」
「どっ、どう考えたらベストになるのでござるか!? 皆が納得できる説明をしてほしいのでござる!」
シンが口早に訊くと、ミナは大きなため息をついた。皆に聞こえるよう声のボリュームを上げて答える。
「アタシ以外の誰かが監視役をやったら、アンタ、その人を脅すなり騙すなりして逃げるでしょ? だから、アタシが監視するのよ」
「「「おぉー……」」」
二階で小さな拍手が湧き上ったところで、上から淡泊な声が降ってきた。
『全員の退室を確認しました。それでは最後に、各連合と『帰宅部』の残り人数についてお伝えします。『理想連合』は、九十七名。『撲滅連合』は、三十一名。『帰宅部』は、残り二名となっています』
「……このまま続ければアタシたちは勝てるわ。アンタが余計なことをしなければ、ね。というわけで、最後まで一緒にいてもらうわよ」
宣言通り、ミナはゲームが再開されてもその場から動かなかった。銃口をシンに向けたまま、数秒に一度、黒目を横に動かして戦況の把握に努めている。
そんな彼女に、不安を煽るような問いを投げつける。
「へっ、兵力差は三倍でござるよ!? ほんとに勝てるのでござるか!?」
「数では負けているけど、アンタのお蔭で『理想連合』はシールドを失っているわ。その状態なら勝てるはずよ、というか……、か、勝てるわよね……?」
彼女の不安げな声を耳にして、肯定するための言葉が出そうになっていた。それを腹の底に沈めて問い返す。
「……どうして失ったと言い切れるのでござるか?」
「『ネトゲ部』の人が全員揃っていなかったから、〝二面作戦〟だったんだって思っていたんだけど、もしかして違った……?」
――よく見てんなー……。
彼女の予想は、当たっていた。
『ネトゲ部』には、部員を二つに分けて南北の前線を崩すよう頼んだ。
北大路ヒデキたちのようにトイレ内にいれば話は別だが、前線に立っていた『理想連合』のシールド隊がそれを防げたとは思えない。全員が被弾者となってシールドを持ったまま退場した、と考えるのが妥当だろう。
そうなっていれば、『理想連合』の負けは決まったようなものだ。『撲滅連合』がヘマをしない限り、彼らは部室使用可能時間の完全終了後にゲームから消える。
――そして俺も消される、って感じだよなー……。
「な、何か言ってほしいんだけど……」
弱い語気で訴えたミナを、シンは軽く首をねじって横目で見やる。
「……違っていないのでござる。ミナ嬢の言う通りで、主は『ネトゲ部』に〝二面作戦〟を行うよう指示を出していたのでござる」
「そ、そう……」
安心したようにホッと息をつき、ミナはいつもの口調に戻して続けた。
「というか……、いつまで続けるつもりなの?」
「何の話でござるか?」
「ハンナちゃんの真似以外に何があるっていうのよ……」
「ミナ嬢の方こそ何を言っているのでござるか? 小生は正真正銘、服部ハンナでござるよ!」
シンがうんうんと頷く一方で、ミナは呆れ顔になっていた。ため息混じりに問う。
「それじゃあ訊くけど、下にいるハンナちゃんは誰なの?」
――何で服部がいるってが分かったんだ……?
頭に疑問符が浮かんでいたが、考えるのはあとだと思って言い返す。
「戸川先輩でござるよ! さっきお伝えしたではござらんか!」
「空野のふりをしていたハンナちゃん、のふりをしていた戸川先輩ってこと?」
「さっ、さすがはミナ嬢! 理解が早いでござるな、正にその通りなのでござる!」
おだててごまかしに掛かるが、悪あがきでしかなかった。
彼女が目つきを鋭くして怒鳴る。
「何がその通りよ! アンタのふりをするだけなら分かるけど、何で間にハンナちゃんのふりを挟むのよ!! それなら、カツラを取らずにアンタのふりを続ければ良いじゃない! というか、二つもカツラを被っていたら、頭の形がおかしくなるでしょうが!!」
――服部のアホオオオオォォォォーーーー!!
役目は果たしたと考えたのか、頭が蒸れるのを嫌ったのか。
何にせよ、服部ハンナがカツラを取り去ることで、鳴海ミナは自分の前にいる方が偽物だと気づいたようだ。
――こうなったらあれだ、あれしかないよな……!
空野シン流秘奥義『困った時は〝www〟もしくは笑顔でごまかせ』を使うことを決め、シンは笑みを貼った横顔をミナに向ける。
「あのカツラは特別製である故、二つ付けても頭が大きくならないのでござる!」
「それ、アタシが鵜呑みにすると思って言っているのよね?」
「しょっ、小生は事実を言ったまででござる!」
「アンタは一度、広辞苑で〝事実〟って言葉を調べると良いわ」
ミナため息混じりに言いながらシンに歩み寄り、焦げ茶色の頭にすっと手を伸ばした。
――まずっ!!
首を引っ込めてミナの手をかわし、シンは振り向きつつ後ろに跳んだ。壁の手すりに腰を打ち付け、痛みで歪んだ唇をすぐさま動かす。
「ナデナデをしたいのであれば、別の者を使ってほしいのでござる! 小生は今のところ、ノーサンキューなのでござる!」
「ど、どっ……、どんな勘違いをしたらそうなるのよ! カツラかどうかを調べるために決まっているでしょ!!」
「そうだったのでござるか、これは失礼。それはそれとして、そろそろ前線に戻った方がよいのではござらんか? 皆の衆にはミナ嬢の力が必要だと思うのでござる!」
空野シン流話術二ノ型『早口話題流し』で最後の抵抗を試みると、予想だにしない反応が返ってきた。
「……必要、ないわ」
彼女は顔を陰らせて二の句を継いだ。
「アタシにできることは……、アンタの見張り役くらいのものよ。だから、こうしているんじゃない……」
静かに銃を下ろし、ミナは俯いて拳を握り締めた。小刻みに肩を震わせ、何かに耐えるような様を見せている。
その一方で、シンは焦りの色を濃くして顔を強張らせた。
やらかしたと思ったからだ。
――よっ、よく分かんねーけど、とりあえず泣くな、泣くなよおー……!
そう心の中で念じながら、頭に鞭を打ちまくった。
隙に乗じて逃げる、欺いて乗り切る、笑顔でごまかすなどの選択肢を取り捨て、彼女が光の差す場所まで戻れるよう考えを巡らせる。
彼女には見えていなくて、自分には見えていたもの。
それを伝えれば彼女の胸中にある闇を払えるかもしれない、と思って口を開く。
「……必要なかったら撃ってんだろ」
「え……?」
暗い顔を持ち上げたミナに、シンは真剣な表情で言う。
「鳴海がモップ先輩の人質になった時、『撲滅連合』の奴らは撃とうとしなかった。鳴海が言ってた通り、撃てば済む話だったのにな。そこから考えれば分かんだろ。必要だったんだって」
短い吐息をつき、シンは話を繋げた。
「だからあれだ、勝手に変えんな。あいつらの思いを捻じ曲げて捉えんな。必要ねーのは、それをやってのけたネガティブ思考の方だ」
「そ……、そうね……。アンタの言う通りだわ……」
ミナは言いながら静かに目を伏せた。
気持ちの整理が終わればいつもの調子に戻るだろうと思い、放り出していたいくつかの選択肢を拾い上げる。
その中から一つを選び、シンは薄い笑みを浮かべて階段の方に体を向ける。
「んじゃまあ、そろそろ行くなー」
「あ、ええっと、その……。あ、ありが――」
ミナは途中でピタッと声を止め、バッと駆け出した。シンの行く手を阻むように立ち、銃を構えながら怒鳴る。
「って! 何が『そろそろ行くなー』よッ!! 行かせるわけないでしょうが!」
「しょっ、小生にはやることがある故、止めないでほしいのでござる!」
「……口調を戻したのは何? 髪を引っ張られたいってこと?」
完全復活を果たしたミナの前で、シンは引きつった笑みを浮かべる。
「引っ張られたくねー感じです……」
「そう。それじゃあ、二度とやらないことお勧めするわ。あと、最後まで見届けたいなら逃げるのも禁止。アタシと一緒に、というか……」
ゴーグルの奥にある吊り目を固く閉じ、彼女はすっと息を吸ってから続けた。
「ず……、ずっと一緒にいなさい!」
勘違いを引き起こしそうな発言だった。
少しドキッとしたものの、過去に二、三度食らっていたのもあって耐性がついていた。それがなかったら、大いなる期待を胸に抱き、クリスマスのデートプランを考えはじめていたに違いない。
「その話なんだけど、やっぱり前線に戻った方が――」
シンは言い終える前に口をつぐんだ。
ペイント弾が顔の横を過ぎていき、彼女が忌々しげに眉根を寄せていたからだ。
「……何か言った?」
「いっ、いやー……、何も言ってねーな、うん。何も言ってなかったんだ、きっと……」
切なげな顔をした後、シンはおもむろに動いて階段に腰を下ろした。あくびをしようと口を開くが、ミナの声がそれを押し戻す。
「だ、誰が座って良いって言ったのよ! 両手を上げて立ちなさい!」
「あー……、そういえば言ってなかったな。実は最近、腰痛が酷くてな……」
「……だから何?」
ミナの刺々しい声を耳にして、シンはすぐさま立ち上がって両手を上げる。
「何でもなかったみたいだ……」
「まったく……。いつになったら、その無駄口を叩く癖は治るのよ」
「俺は事実を言ったまでだ」
「……『冬の陣』が終わったら図書館に向かって走りなさい。コピー代はアタシが出してやるから――」
「腰痛に効く薬が載ってる本をコピーしろってか? 安心しろ、そこまで酷くはない」
シンがうんと頷いた途端、ミナは鬼のような形相になった。
「広辞苑よ、広辞苑ッ!! さっき言ったでしょ、広辞苑で〝事実〟って言葉を調べなさいって!」
「あー……、そっちな。分かった、ついでに〝無実〟って言葉も調べてコピーしておくな」
「……そのコピーしたのは何? アンタがおいしくいただくわけ?」
誰がヤギだ、と言う前に下から声が飛んできた。
「ミナちゃん少佐! シールド隊とアサルト隊が戻ってきたよ!」
「了解! それじゃあ次は、一階に向かうよう伝えて! 踊り場までは行けると思うけど、そこから先には行けそうだったら行く感じで! 『獣耳部』の二人は二階に残って、敵が部室から出てきた時に備えて!」
ミナが声を張り上げる一方で、シンは思案顔になっていた。
――一階は『探偵部』の先輩がいるから良いとして、問題は俺の方だよなー……。
服部ハンナを含めた『探偵部』の三人は、変装して一階のトイレで身を潜め、『理想連合』が前線を押し上げるのを待ってから、その中に紛れ込んでいる。
そんな三人の役目は、前線を崩すことだ。
『ネトゲ部』が失敗した場合は代わりに行い、成功した場合は新たに生まれた前線を崩壊させる。二階の担当は服部ハンナ、一階の担当は『探偵部』の先輩二人で、前者は事後となっている。
――まーあれか、どっかのタイミングでトイレに入って、撃たれそうになったら……、話すか撃つかのどっちかだな。
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