一章その1
初めて撃った相手は、隣のクラスの女子だった。
一年六組の級長、鳴海ミナ。
叔父の知人の娘で、叔父からは『鳴海の娘が困っていたら手を貸してやってほしい』と頼まれていた。
その彼女が日に日に暗くなっていくのを見て、どうにかしたいと思った。
だから、引き金を引いたのだ。
支援部費争奪サバイバルゲーム『夏の陣』。
第三文化棟の文化部のために行われるこのゲームで、シンは開始直後にエアソフトガンの銃口を彼女に向けた。放たれた弾が彼女の足に命中するのを見届け、『協力する』と約束した文化部の部室を順々に回った。
下準備は完璧で、誰もが自分のことを仲間だと思い込んでいた。
そんな彼らにペイント弾を浴びせ、一人の幼なじみと共に約三百五十人の文化部員たちを出し抜くことで、シンの勝ちは決まった。
優勝した部は、『帰宅部』。
その結果は『支部争規定』に記載されている一文、ルールの一つに当てはまる結果でもあった。
〝一、『帰宅部』が優勝した場合、順位に限らず、支援部費は支給しないものとする〟
第三文化棟の文化部員たちにとっては、最悪の結果に違いなかった。体育館で行われた表彰式では、全員の視線に殺意がこもっていた。
故にシンは、真央を指差して言った。
『この人にやれって言われました』
優勝した感想を訊いてきた真央のせいにすると、全員の目が悪徳理事長の方に向いた。
ごまかしきれるとは思わなかったが、逃げる時間は稼げたと思っていた。
だが、思い違いだった。
体育館の裏口から出て雨雲を仰いだ直後、シンは胸ぐらを掴まれた。ドアの裏側に隠れていた『帰宅部』の女子に押され、鉄製のドアに背中を打ちつける。
『何でアンタが……、こんなことをするのよ! 協力するって約束していたんでしょ? それなのに、どうして……。何でみんなを……、騙したのよ!!』
頬を伝う雫を拭わず、彼女はそう怒鳴っていた。
一年組六組の級長、鳴海ミナ。
初めて泣かせてしまった女の子は、隣のクラスの彼女だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人の噂も七十五日。
そう考え、母親の実家に逃げた。
一学期の終業式後に行われた『夏の陣』。その翌日は友人に誘われてマンガ喫茶に行ったものの、翌々日からは祖父母の家へと移り、田畑に囲まれたのんびりとした田舎の村で、夏休みの約四十日間を過ごした。
母親の部屋にあったノートパソコン、もしくは自分のスマートフォンと向き合う毎日。
中学時代も似たような生活で、学校や習い事がなければ外には出ず、ずっとパソコンの前に座っていた。家庭用ゲーム機の代わりに与えられたそれを使い、オンラインRPGの世界へと飛び込み、心の底から楽しいと思える日々を送っていた。
やっていることは、同じだった。
だが、まったくもって楽しめなかった。
ふとした瞬間に彼女の泣き顔を思い出し、後悔の暗幕に包まれた心が、自分の愚かさに激怒して暴れていたからだ。
自分はゲームの中でしか活躍できない。
そんな思いも湧き上がり、同時に酷い虚無感にも襲われ、手が動かなくなっていた。
彼女を泣かせずに済む方法はなかったのだろうか。
エンディングは変えられないと、手遅れだと理解しながらも考え続け、答えが出せないまま一日を終えることもあった。
楽しいことは一つもなく、懺悔地獄となった夏休み。
そうして迎えた二学期もまた、似たような生活になっていた。
彼女の姿を視界に入れないよう注意していたが、目にしてしまえば同じことの繰り返し。後悔して憤慨し、懊悩して疲弊する。第三文化棟の文化部員たちが非難の目を向けてきても、まったく気にならないほどの虚脱状態に陥っていた。
体育祭も文化祭も、当然のように楽しめなかった。
理事長室に呼び出されたのは、二つの行事が終わった十月の下旬。中間テストを終えた日のことだった。
『シン、次は『冬の陣』で動け。何をするかはお前に任せる。『夏の陣』と同じ結果にするのもよし、違う結果にするのもよしだ』
要約すると、『結果に影響を及ぼせるように動け』である。『夏の陣』と同じで、それができれば〝面白くしろ〟になり、退学せずに済むらしい。
真央は一例として〝『帰宅部』での連覇〟を挙げていたが、その手は使わないと決めていた。
二度と泣かせたくない相手がいたからだ。
鳴海ミナの動きに合わせて動き、彼女が望む未来を目指す。
そう決意して、同時に気持ちも立て直した。
変えられない過去よりも変えられる未来だと思い、彼女が行動を起こすのを待っている間に、十一月になっていた。
彼女とはこれまでと同じで、話をしない顔見知り程度の関係。
それが変化したのは、五日前のことだ。
第一食堂の二階、学生ラウンジのソファーで寝ていた自分を揺り起こすや否や、
『アンタを『帰宅部』のままにしておくとロクなことにならなさそうだから、どこかの部に入ってもらうことにしたわ』
と彼女が宣言し、自分が付き従うことで、普通に話す程度の関係になった。
『冬の陣』の前に軽く罪滅ぼしをしておこう。
そんな考えで、最初の三日間は素直に〝同行〟した。
それが〝連行〟に変わったのは四日目からで、初の〝逃走〟に踏み切ったのが六日目の今日になる。第一校舎の昇降口で待ち構えていただろう彼女をまくため、一階の廊下の窓から外に出たのだ。
残りの贖罪は『冬の陣』ですれば良い、だから今日で終わりにしよう、と勝手に決めたのが約一時間前で、彼女は来ないと踏んだのが二十分ほど前のことである。
そうして現在、空野シンは学生ラウンジで正座を強いられていた。
一階に第一食堂があるため、朝昼晩の食事時には賑わう場所だが、放課後の今は自分を含めて三人しかいない。丸テーブルを囲う木造りの椅子も、若緑色の平らなソファーも、座りたい放題の状態にある。
だが、床の上だった。
ソファーの上で正座しようとしたら、怒られたからだ。
――自分で何とかするしかねーっぽいよなー……。
シンは視線を横に滑らせ、幼なじみの沢下リキを見やった。
同級生でもある彼は、色黒で大きな体を上下させ、一心不乱に腕立て伏せをしていた。汗を含んでそうなったのか、ヘアワックスで立てた黒毛混じりの金髪が、強い風を受けて倒れた稲のようになっている。
――ネトゲでもリアルでも盾職ができる奴だって思ってたけど、簡単に突破されちゃうんだもんなー……。まあ、リアルの方はヘイトを稼いでるって言うより、強面効果で下げてる感じだよな。見た目、超不良だし。
中身は普通だけど、と付け加えて正面に目を戻す。上から声が降ってきたからだ。
「いつまで黙っているつもりなの?」
リキが突破を許した相手、隣のクラスの女子が腰に手を突いて続ける。
「逃げたなら逃げたって正直に言いなさい。今なら許すわ」
「にっ、逃げたんじゃなくて……。今日はそういう気分だったんだ!」
「窓から外に出たくなる気分って何? どうしたらそんな気分になるわけ?」
彼女が険しい表情で問うと、シンは薄い笑みを浮かべた。
空野シン流秘奥義『困った時は〝www〟もしくは〝笑顔〟でごまかせ』を使うことを決めたのだ。
「天気がいい日にそうなる感じだな」
「それだと、晴れの日は常にそんな気分だってことになるわよ」
「ああ、晴れの日はいつもそんな気分だ!」
「どんな気分よ……」
追撃しても無駄だと思ったらしく、彼女は大きなため息をついていた。
一年六組の級長、鳴海ミナ。
大きな吊り目が印象的な整った顔立ちに、サラサラとした栗色のショートヘアー。体はほどよく引き締まっており、肌は雪のように白い。身長は女子の中でも低めだが、胸の方はそこそこある。
服装は学園指定の制服。上は紺色のブレザーに白のワイシャツ、一年生用の青を基調としたストライプ柄のネクタイ。下は灰色のプリーツスカートを穿いている。
そんな彼女が、桜色の唇を動かす。
「窓から出た理由が何にせよ、約束を破ったことに変わりはないわ」
「破ったんじゃない、走ってる間に忘れちゃったんだ」
「……それ、アタシから逃げるために走っていたってことよね?」
ミナの冷たい声を耳にして、シンは笑みを引きつらせる。
「ちっ、違う! 逃げるためじゃない! 急にスポーツドリンクが飲みたくなって、そのために走った感じだ!」
「走ったから飲みたくなったんでしょうがッ!!」
怒鳴るのと同時に、ミナはシンの頬をつねった。
「痛い痛い痛い痛い痛いッッッッ!」
ミナの手首を掴んで引き離し、シンは痛む頬をさすって目つきを鋭くする。湧き上った怒りを声にこめて放とうとするが、喉の奥で止めざるを得なくなった。
睨み返されたからだ。
反射的に笑みを作ったシンの前で、ミナは腰に右手を突いて言う。
「正直に言わなかった罰だと思いなさい」
「思いの丈をぶつけた結果、つねられたんだけども……」
「思いつきをぶつけてきただけでしょうが!! 晴れの日は窓から出たくなる話も含めて、全部出任せじゃないの!」
「……そう思いたいならそう思えば良い。けどな、俺の中にある真実は変わらない。俺はそれを伝えたまでだ」
空野シン流話術五ノ型『名言風取り繕い』を使って何度か頷くが、彼女の視線から棘が抜けることはなかった。




