三章その1
――太腿は鎖骨に変えてもらうとして、問題は顔の方か……。
平らなソファーの上にスマートフォンを置き、シンは寝転がったまま難しい顔をした。
――ネットで拾って合成すればID付きにできるけども……、知らない人のを使うのは完全にナシだよなー……。
陸田ナツミと体育館裏で話した日から一週間と半日が経っていた。
昨日で期末テストが終わり、土曜日の昼過ぎなのもあって、学生ラウンジは閑散としていた。ガラスの壁に沿って直線を描くカウンター席も、丸テーブルを囲う木製の椅子も、すべて空いている。
ただ、若緑色のソファーだけはそうなっていない。自分を入れて三人が座っている。
そのうちの二人は『理想の女子研究部』の二年生で、陸田ナツミが部室から戻ってくるまでの間、監視役としてここにいるらしかった。
――今のままでも叩ける。叩けるんだけども、地獄絵図にはならねーよなー……。そう考えると、もっとのめり込ませる必要があるわけで……。そうさせるには、文字だけではきついわけで……。
携帯電話をいじっている先輩二人を一瞥し、シンは大きなため息をついた。それから、体を起こして振り返る。近づいてくる足音があったからだ。
「こんにちは。お隣、よろしいでしょうか?」
「あーっと……」
陸田ナツミだと思い込んでいたせいで面食らっていた。赤いストライプ柄のネクタイを締めている三年生、面識がない女の先輩をまじまじと見てから答える。
「大丈夫ですけど……」
「ありがとうございます」
先輩は言いながら丁寧なお辞儀をし、シンの隣に腰を下ろした。
――『白王会』の人っぽいけど、白ニーソじゃねーしな……。
疑念を抱きつつ、改めて観察する。
長い黒髪に、白のカチューシャ。黒目が大きく、目尻は下がっている。鼻は綺麗な形をしており、化粧は濃いめだが、美人顔と言える。ブレザーからスカートまでは、他の女子たちと同じ。違うのは、黒のス トッキングに厚底のブーツを合わせているところだ。
――陸田だけじゃ足りねーと思って、追加で寄越した感じか……?
そんな予想を立てるが、思い違いらしかった。
監視役の二人にとっても予期せぬ出来事だったらしく、慌てた様子で学生ラウンジの隅に行き、誰かに電話を掛けていた。
――『理想連合』が関係してねーってことは……、〝卒業前に思いを伝えに来ちゃった系女子〟だったりするのか……?
一目惚れという言葉が頭をよぎったが、それに見合う容姿は持っていない。
ただ、世の中にはいろんな人がいる。
中学二年生の時から見た目がほとんど変わらない自分のことを、何かの間違いで好きになってくれる人がいてもおかしくはない。
故に、期待で心を満たす。
「ずっとお話したいと思っていたのですが、調べ物に時間が掛かってしまい、今になってしまいました……」
先輩が残念そうな顔をする一方で、シンは生真面目な表情を作る。
「調べ物ですか。受験生は大変ですね」
「……唐突でぶしつけなお願いになりますが、少しお耳をお借りできませんか?」
「はっ、はい! こんな耳でよければいくらでも!」
姿勢を正して左耳を向けると、先輩の小さな手が伸びてきた。耳に掛かっていたらしい髪を耳の裏に乗せ、フローラルな香りと共に近づいてくる。
ドキドキが止まらなかった。
春よ来いと願うが、
「主よ。『新聞部』の件で早急にお話したいことがある故、さっ、差支えがなければ……、け、けっ、携帯電話の番号を、教えていただきたいのでござりゅ」
と囁かれることで、世の中の厳しさを思い知る。
「……あーうん、そだなー。俺もいい加減、エア電話じゃ駄目だと思ってた。うん、必要必要。気づかれても良いような気もするけど、気づかれたくないなら変装も必要だよな、うん……」
シンは腿に肘を突き、両手で顔を覆った。
――悪い、服部……。やっぱり分からねーかもだ……。変装の必要性がまったくもって分からなくて激しく泣きそうだ……。
春風を浴びるつもりが、寒風を食らっていた。
黒髪美人の先輩は、服部ハンナ。
その事実を受け入れるには、しばしの間を要した。
「今……、出す……」
暗く悲しげな声を落とし、シンはスマートフォンを手に取った。ハンナもブレザーの胸ポケットからガラケーを取り出す。
――来るのが分かってたら気づけたかもだけど……。
スマートフォンを操作しながら、シンは横目でハンナを見やる。
長い黒髪のウィッグに、黒のカラーコンタクト。大人びた美人顔は化粧を施して作り、背の低さは茶色い厚底ブーツでごまかしていた。それらに加え、丁寧語である。
――知らなかったら普通に無理だろ、これ……。
そんな感想を抱きつつスマートフォンを渡そうとして、ピタリと手を止める。階段の方から大きな声が飛んできたからだ。
「こ、こんにちはぁぁぁぁ!! 初め……、まして!!」
息を切らして駆け込んできたのは、陸田ナツミだった。膝に両手を突いてから顔を上げ、服部ハンナに微笑みかける。
「こんにちは。随分と慌てていたようですが、どうかなさいましたか?」
「いえ……、全然……、ですッ!!」
ナツミは切れ切れの声で言いながら体を起こした。キョトンとしているシンを一瞥してから、柔和な笑みを浮かべているハンナに向かって続ける。
「私は……、陸田ナツミって言います! 先輩のお名前は何でしょうか!?」
「金戸ハナコです。以後、お見知り置きください」
「はい! 金戸先輩って呼ばせてもらいます! そ、それであの……、金戸先輩がここに来たのは……」
ナツミの話を引き継ぐ形で、ハンナは薄い胸に手を置いて言う。
「卒業する前に空野様とお近づきになれたらと思いまして」
「お、お近づきというのは……」
「ご想像にお任せします」
口元に手をやって上品に笑うハンナを見て、シンは顔を強張らせる。
――何なのこの人、誰なのこの人……。
怖いから早く帰ってもらおう、と思って二人の話に割って入る。
「つーか先輩、番号」
「そうでしたね。では早速、入れ――」
ハンナが手を伸ばそうとした直後、ナツミは焦りの表情を浮かべた。シンを押しのけてソファーに座り、ハンナの前でぎこちなく笑って問う。
「せ……、先輩は受験生ですよね!?」
「受験の方は既に終えていますよ」
「どこの大学に行くんですか!?」
「名古屋の私大、歯学部の推薦をいただきました」
「ぶ、部活は!? 部活には入っていないんですか!?」
「ふふっ、内緒です。それはそれとして……、そろそろ空野様と電話番号の交換をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
ハンナが微笑を引っ込めると、ナツミは弱い語気で「はい」と答えた。鈍い動きで腰を上げる。
「んじゃ、これなー」
シンからスマートフォンを受け取り、ハンナは手早く電話番号を打ち込んで返却した。悠然と立ち上がって言う。
「空野様。短い時間でしたが、ご一緒できて嬉しかったです。今後は、電話でのやり取りを中心にしたお付き合いができたらと思います」
「あい、仰る通りです」
「それでは、失礼させていただきます」
会釈して微笑み、服部ハンナはゆったりした足取りで階段の方へ向かった。その小さな背中を、『理想の女子研究部』の野次馬コンビが追いかける。
――中の人が服部じゃなかったら完全にアリだったなー……。〝黒髪清楚系先輩女子〟とか、最強すぎんだろ。
うんうんと頷き、陸田ナツミの方に体を向ける。さっきのは服部ハンナだと伝えるよりも先に、暗い声がやってきた。
「シ、シンくんってさ……、実は年上好きだったりするのかな……?」
「んあ? どうしてそうなるんだ?」
「金戸先輩に連絡先を教えてたから……」
ナツミの不安げな眼差しを受け、シンは戸惑いの表情を浮かべる。
「聞かれたから教えただけなんだけども……」
「そ、それなら……。ナ、ナッ、ナツミも! ナツミにも――」
彼女の声を遮るように、持っていたスマートフォンが着信音を鳴らした。
画面に表示されていたのは、未登録の番号。いつもなら無視しているところだが、今回は相手が誰か分かっている。服部ハンナだ。
「あー悪い、服部から電話みたいだ」
「ハンナちゃんから……? そ、それってつまるところ、ハンナちゃんとも交換済みってことだよね!?」
「あーうん、ちょっと行ってくるなー」
「ネットだと女の子泣かせの天然畜生だったけど、リアルでは違うってこと……? って、よく考えたら鳴海さんとも一緒に――」
ブツブツと呟くナツミに背を向け、シンは小走りでカウンター席へと移った。スマートフォンを通話状態にし、耳に当てながら木製の椅子に腰掛ける。
「あーもしもし? 服部か?」
『おお! 主の声が聞こえてきたのでござる! 凄いのでござる!』
「んあ……? 携帯で人と話したことねーのか?」
『あるでござるよ?』
「だったら何だったんだよ、今の反応は……」
大きなため息をつき、シンは木目調の机に肘を突いて話を継いだ。




