~序章~
「シン、この学園を面白くしろ」
理事長室に入った瞬間、部屋の奥からそんな言葉が飛んできた。
灰皿でタバコの火を消し、黒髪の女理事長が続ける。
「それができれば授業料を減らしてやる。ただし、できなければ〝退学〟してもらう。話は以上だ、呼び出して悪かったな。帰って良いぞ」
「いや、帰れねーよ!!」
空野シンは、垂れ目がちの瞳を尖らせて叫んだ。眉に掛かる焦げ茶髪を揺らして進み、ソファーとローテーブルの間を抜け、木製の大きな机の前に立つ。
黒い革張りの椅子に座っているスーツ姿の女性、虹原真央が怪訝な顔をしたところで、シンは机に手を突いて続けた。
「いきなり何の話だよ、説明不足にもほどがあんだろ!」
「説明なら今の今、してやっただろ。〝この学園を面白くしろ、それができたら授業料を減らしてやる、できなければ退学、拒否しても退学だ〟と」
「さらっと追加してんじゃねーよ! 〝拒否しても退学〟は言ってなかっただろ!」
シンは喚いてから制服に目を落とした。
白のワイシャツに、青いストライプ柄のネクタイ。上着は左胸に校章が付いている紺色のブレザーで、下は灰色のズボンを穿いている。
身に着けた回数は、全三回。
登校するために着た回数で言えば、今日の一回だけだ。
「つーか、何で入学した日に『退学しろ』とかいう話になるんだよ!!」
「退学しろとは言っていない。できなかった場合と拒否した場合、そうなるだけだ」
「だから、何でそうなるんだよ!」
「チャンスだけを与えても動かないと思ったからだ」
視線を鋭いものに変え、真央は低い声で話を継いだ。
「麻子お婆様からもらった金がある、それを使い果たせば授業料は払える、だから無理にやる必要はない――。そんな考えを捨てさせるには、リスクを負わせるしかないだろ」
「つっ、伝わるの早すぎっつーか、伝わりすぎじゃね……?」
――ばあちゃんもばあちゃんで話しすぎじゃね?
真央と祖母は親しい間柄で、祖母が叔父の家に移るまでは、手紙や電話で頻繁に連絡を取り合っていた。真央が大学生の頃は、外でお茶をすることもあったらしい。
何日か前にした電話で、祖母がそう言っていた。譲り受けたお金で授業料を払っていく話をしたのもその時だ。
「麻子お婆様と私の仲は、お前が考えているよりも深いということだ。そんなことより、どうするつもりだ? やるのかやらないのか、まずはそこをはっきりさせろ」
「退学だって言われてんのに、やらねーとは言えねーだろ……」
大きく肩を落とし、シンは続けざまに問う。
「つーか……、どうすれば〝面白くしろ〟になるんだ? 面白さなんて人それぞれだし、『虹原』は今のままでも十分面白い感じだろ」
愛知県東部の山奥にある全寮制の私立高校、『虹原学園』。
生徒数は二千人を超えており、敷地面積はナゴヤドーム八つ分。移動する時は自転車を使いたくなるほどに広い。建物の数も多く、航空写真で見ると、小さな町のように写っている。
そんな『虹原学園』には、二つの呼び名がある。
『ニジハラ学園』と『ニジゲン学園』だ。
真面目な文化部が前者を全国に轟かせる一方で、独自の発展を遂げた文化部と運動部が、後者をインターネット上に広めた。コスプレをして活動する写真や動画を、ツイッターや動画投稿サイトにアップロードしたのだ。
それが許されてしまう環境に惹かれてか、虹原学園にはマンガやアニメ、ライトノベルやゲームが好きな学生が多い。それらについて語り合う部も数多くある。
その学園のトップが、指を組んで言う。
「シン、お前はとんでもないアホだ。それは自覚しているな?」
「いや、してねーから」
「そのとんでもないアホが動けば、必然的にアホみたいなことが起きる――」
「アホじゃねーし、自覚もしてねーって言ってんだろ!」
「――それが私にとっての〝面白い〟になり、私が言った〝面白くしろ〟になる。だからシン、とにかく動け。『リリィ』を率いていたお前なら、私の期待に応えられるはずだ」
真央は重々しく頷き、二の句を継いだ。
「話は以上だ、帰れ」
「かっ、帰れるわけねーだろ! 大体、何で『リリィ』の話になるんだよ!」
「お前に自信を持たせるためだ。『リリィ』のギルマスを務めた『黒神ジン』ならやれる、そう思わせたかったからだ」
「そっ、その名前を出すのは、かなりやめてほしいかなーっと思うんだけども……」
「出されるのが嫌なら、付けなければ良かっただろ。それはそうと、何で『黒神ジン』にしたんだ?」
真央が首を捻る一方で、シンは嫌そうに目を眇めた。高校一年生の男子にしては小さめな体を後ろに傾ける。
黒き神を略した『黒神』に、精霊の名から取った『ジン』。
それら二つを組み合わせることで、『黒神ジン』という名は生まれた。
名付けた当初は、最高にカッコいいプレイヤーネームだと思っていたが、その気持ちはだんだんと薄れていき、今では恥ずかしさしか湧いてこない。
言ったら死ぬ、と思って強引に話題を変える。
「そっ……、そんなことよりあれだ! 自信を持たせたかったらしいけど、まったく持てなかったっつーか……、よく考えたら意味不明じゃね?」
「よく考えられないだけだろ」
「よく考えずに済むレベルで話せない、そちらさんサイドに問題があると思うぜ」
「そうか。それなら、犬っぽいお前でも分かるレベルで話してやろう」
「犬っぽい……?」
犬でも分かるレベルで話そうとしているのか、見た目が犬っぽいと思って言ったのか。
疑問が解決できないまま真央の話を聞く。
「お前が作った『リリィ』は、普通のギルドじゃない。あのゲームで初めて城を落としたギルドだ。そしてお前も、普通じゃなかった。大学生のふりをしてあいつらを率い――」
真央はまっすぐシンを見つめて続けた。
「――ゲーム初の城主になった」
「鬼廃人で鬼強なサブマス、『まおちゃむ』さんとギルドの人たちのお蔭でな」
基本プレイ無料のオンラインRPG、『エンジェルロード』。
そのゲームで城を取った時のことは、今でも鮮明に思い出せる。歓喜の言葉で埋まっていくギルドチャットを目で追いつつ、自分はパソコンの前で震えていた。ギルドの仲間に喜びと感謝の気持ちを伝えられたのは、小さなガッツポーズをしてからだった。
勉強は平均より少し下で、運動は平均より少し上。
そんな自分でも一番になれる世界がある、それを知った瞬間でもあった。
――次元を越える片道切符があったら、普通に行っちゃってたよなー……。
うんうんと頷いたところで、真央が薔薇色の唇を動かす。
「それも一つの要因ではあるな。あのゲームで最もアホだったギルマスのために、最高のアホ共が揃っていたギルドのために、全員が一丸となって勝利を得ようとしていた。私が投資した十万も、お蔭で無駄金にはならなかった」
続けて頷こうとして、シンはピタリと動きを止めた。
一円も使わなかったギルドマスターの横でサブマスターはそんなに使っていたのか、と驚愕して顔を青くする。
「ほっ……、ほんとに十万?」
「数えるのをやめた額が十万だと言っておく」
「おっ、俺、無課金でやってたんだけども……」
「学生と主婦は時間で自キャラを強くし、社会人は金で自キャラを強くする――。ネトゲとはそういうものだ、お前が気にする必要はない。それより、お前が城主になれた要因について考えろ。アホ共のお蔭だけではないはずだぞ」
「自分で気づかないうちに全力管制戦闘ができてた、とかか……?」
思いついた言葉をそのまま口にすると、真央は不快そうに眉根を寄せた。机上にあったタバコの箱を手に取り、一本抜いて火を点ける。
「戦術らしい戦術をとらなかったお前が、いつ管制していたんだ?」
「さっ……、最初はそうだったかもだけど、途中からはちゃんとしてただろ! つーか、もったいぶらないでとっとと言えよ!」
声を大きくしたシンとは対照的に、真央は静かな声で言う。
「……お前が城主になれたのは、リーダーとして優秀だったからだ」
「おっ、おう?」
「地道に声を掛けてメンバーを集め、誰かがインすれば挨拶がてら話しかけ、ギルチャが止まれば話題を提供し、ギルドを盛り上げ続けた。週末には全員が参加できるイベントも企画して、ログインしたくなるような環境にもしていた」
話を区切るようにタバコを吸い、真央は煙を吐いて続けた。
「レベルもPSも並だったが、ギルメンを巻き込みながら引っ張っていく力……、統率力は誰よりも高かった。レベ上げをしないでギルドを育て続けたり、ほかのギルドを味方に付けたりしたところで言えば、戦略家としても優秀だったな」
――何だこの、いいねボタン連打状態は……。
「そんなお前がうちの学園に来ることになって、私は純粋に嬉しかった。『リリィ』の時と同じで、面白いことになると思っていた。お前のツイッターを見なければ、恐らく、私はそのまま待ちぼうけを食っていただろうな」
「ツイッター……?」
そう呟いて小首を傾げると、真央にぎろりと睨まれた。
「お前、ツイッターで【俺、高校に入ったら〝何となくで三年間が過ぎちゃった系男子〟を目指すんだ……】って呟いていただろ」
――ID変えるか……。
目の前の現実から逃げるように、シンは窓の外を見やった。咲き誇る桜が春だと伝えていたが、気持ちは冬に逆戻りしていた。