九十話 彼女の返事は弱弱しい。
片思いしているかどうかと悠が尋ねてきたのは、きっと魔力供給について遠慮してだろう。
特に深い意味はないはず。
そう慶二は考える。
しかし、彼女は慶二の答えを聞いて本当に嬉しそうな顔をしていた。
胸のつかえがとれたといわんばかりの、安堵。
離れ離れになるのを恐れての反応でしかないのかもしれない。
いや、間違いなくそのはずだ。
だとしても、想い人に求められているということが彼には嬉しくて仕方がなかった。
弱いけどとても優しい幼馴染。
散々痴態を見せつけられた慶二にとって、すでに悠は女の子にカテゴライズされている。
そんな彼女を、魔力を捧げるだけでなく、ずっと守ってやりたい。
慶二としてはそんな想いで一杯なのだ。
悠は言う。
魔力を欲するという性質上、慶二が傍にいる限り自分は女の子のままなのだと。
そして、それは決して嫌なことではないのだと。
――なら。
それならばだ。
今、想いを告げてはどうだろう?
突然すぎて驚かせてしまうかもしれないが、彼女を安心させることにもつながるはずである。
先ほどの三つ目の選択肢――それが、今さらになって慶二の心の中で鎌首をもたげていた。
◆
「それは――」
言葉と共に、思わず慶二は悠の手を握ってしまっていた。
呆気にとられる悠に対し、慶二はたっぷり間を取る。
狙ってではない。
自分で言いだしておいて、どう伝えればいいか頭が真っ白になってしまったのだ。
何しろ悠という少女。下手な伝え方をすれば真逆に解釈することがある。
――奇しくも、ほんの数分前と立場が反対の光景が繰り広げられていた。
どうにもしまらないが、ぶっつけ本番なのだから無理もない。
そうして数十秒ほどしてから、慶二は意を決して口を開いた。
「俺の、目の前にいる」
「え? ……え?」
悠はくるりと後ろを向く。
ここは彼女の部屋なのだから、当然のことながら二人以外誰もいない。
彼女らしい少しだけ間の抜けた動作。
それからゆっくりと悠は首をこちらに戻す。
つまり――
「悠。俺は、お前のことが好きなんだ」
彼には、悠が息を飲んだのがわかった。
「それって……」
「勿論、親友としてじゃない」
下手な解釈をされては敵わないと先手を打つ慶二。
「一人の女の子として悠のことが好きだ」
駄目押しの一言に固まってしまう悠。
それから少しして、わかりやすいほど悠の身体が跳ねた。
きっと、あまりにも予想外すぎたのだろう。
「上手い言葉が浮かばねえけど……いつかのリバーシティから帰るとき、思ったんだよ。いつか悠に恋人が出来る日が来るのかもしれない、って。そして、それがどうしようもなく嫌だった。その日から、ずっと意識してた」
彼の決意を示すかのように、悠を握る手に力が籠められる。
無論、傷つけるためではない。
力強さを感じて欲しい。そんな想いを込めて。
二次成長期を迎えるにつれごつごつとし始めた自分のそれとは正反対に、柔らかに吸い付くすべすべとした肌。
そんな小さな指がやけに熱く感じられるのは気のせいだろうか?
――否。
慶二が目をやれば、悠の頬は紅潮している。
不意打ち過ぎたのか完全に硬直してしまっているものの、視線までもが熱を帯びているように感じられた。
恐らく、彼女の瞳に映る自分も同様に真っ赤のはず。
慶二はそう確信する。
何故なら、火が出ているのではないか――そう錯覚するほど顔が火照っているのだ。
その上、脈打つ自身の心臓の音が、うるさくて仕方がない。
――こんなに早鐘を打っていては、彼女の返事が聞こえないかもしれない。
なんて馬鹿げた考えすら浮かんでしまうのだから相当だ。
「……もし、これから女の子として生きるんなら、俺に守らせてほしい」
慶二は、手を握ったまま受勲を受ける騎士のように首を垂れ、宣誓の儀を行う。
彼はお伽噺の住人ではないけれど、一人の男の子として心からの言葉である。
今すぐに返事をくれなくてもいい。
長年、親友と思っていた人間――それも、ほんの少し前まで同性だった――からの唐突すぎる告白。
困惑のあまりまともに考えるのは難しいはず。
だけど、今しか想いを伝える機会はない。
慶二にはそう思えてならなかった。
もし憎からず思っていてくれるならば……。
そんな願いを込めて彼は跪く。
――だが、冷たい滴が彼の手の甲に墜ちた。
室内なので、当然雨粒などではない。
「え……?」
虚を突かれ、慶二は顔を上げる。
「……っ!」
すると、そこにあったのは悠の沈痛な面持ち。
先ほどの高揚はどこへ消えたのか、頬は蒼白であり、目を伏せている。
しゃくりあげる声が聞こえなかったのは、彼女が必死に口を噤んでいた他にならない。
そして、今もなお目尻からぽろぽろと涙をこぼし続けている。
その様子に、慶二の頭が冷え、慌てて手を放す。
力を入れすぎただろうか。
いや、そんなはずはない。
熱は籠っていたものの、その程度の手加減を怠るわけがないのだ。
だとしたら、どうして――?
慶二にはすぐさま理解が出来なかった。
「……ごめん。慶二」
「……大丈夫なのか?」
弱弱しく震えた声を上げる彼女に、慶二はほとんど反射的に心配の言葉をかけた。
幼馴染として十年以上繰り返してきたやりとりである。
そのまま彼がいつものように手を伸ばすと、悠はびくりと震え、身を縮ませる。
――明らかな拒絶のサイン。
「う、うん……大丈夫だから。でも、一人にしてほしい。ごめん……本当にごめんね……」
泣きながら謝る悠に対し、慶二の取れる行動は一つもない。
「……悪い」
ぼそりと詫びを入れると、彼は立ち上がりドアの方へと向かった。
◆
美楽への挨拶もそこそこに、慶二は逃げ帰るように悠の家を後にする。
そして、自宅へ戻ると部屋の鍵をかけ、ベッドに寝転んだ。
「……きっつ」
思わず、慶二の口から泣き言が漏れる。
――幼馴染が女の子に変わってしまったあの日。
彼も同じような感情を味わったのだろうか?
普段の慶二なら、泣きじゃくる幼馴染の少女に原因を尋ね、その解決に奔走したはずである。
しかし、今回ばかりは彼には何もできなかった。
何故なら、彼女の顔に浮かんでいた感情はただ一つ。
――嫌悪感。
そしてそれは、状況から考えれば間違いなく慶二へと向けられたものなのだから。
心優しい悠が、拒絶を当人へと告げられるはずがない。
『だから、悪いと思うなら辛いことを相談してくれ』
慶二の頭の中には、体育祭のあの日、自身が発した言葉が空虚に響いていた。