九話 僕は仲直りできたらしい。
二話目です。
慶二が去り、一人だけになった自室。
悠はスマホを弄っていた。
そうでもないと、さっきのことを思い出してしまいそうだったのだ。
悠にとって、押し寄せる快楽に溺れてしまいそうになったのは生まれて初めてだった。
ただ受け手として全身を悶えさせるしかない感覚。
――気持ちよかったな。でも、物足りなかったかも……。
と一瞬思ってしまい、頭を振った。
これは食事のようなもの。親友から分け与えてもらったのだと、自分に言い聞かせる。
そして、もう一度スマホの影響画面に目を向ける。
そもそも、自分の快楽より、こちらの方を優先すべきなのだ。
『悠。どこにいるの?』
『悠、ごめんね』
『悠、おねがいだから話をさせて』
大量の着信履歴とメール。
片方はなんとか片づけることが出来た。
だが問題はもう片方。
実夏のものである。
昨日、行き先を告げず自分は逃げ出したのだ。
当然、心配されるに決まってる。
返事をしなければならない。
理性ではそう思っても、指先は動かない。
電話は無理である。
まず自分が悠だと認識されないだろう。
母は、何の根拠があってかわからないが、実夏も魔力が強いと述べていた。
つまり、今日同様、実夏にも説明を要するのだ。
「はぁ……」
ため息が零れた。
『昨日はごめんなさい。実は僕、女になりました』
……消去。
『僕、女になっちゃったから告白はなかったことに』
……消去。
『僕、人間じゃなかったみたいです』
……消去。
「はぁ~……」
結局この日、悠は実夏に返信することは出来なかった。
◆
「おはよう、悠っ!」
「ふぇ……?」
突如呼びかけられ、寝ぼけ眼を擦りながら悠は目覚めた。
快活な声。
この声は――
「ミ、ミミちゃん!?」
「もう十時よ、悠。相変わらず朝が弱いんだから」
つい先日振られた相手。
三谷実夏、その人であった。
◆
「えっと、大体の内容は美楽さんから聞いた。あたしが言うのもおかしいけど……災難だったわね」
「……うん、あのとき、逃げてごめん」
悠は深々と頭を下げる。
ベッドの上とはいえ、もはや土下座寸前である。
「うん……でも、気持ちわかるから。もしあたしも、告白した返事が同じだったら似たようなこと思ったかも」
「……ミミちゃんが?」
「好きな人がいる、って言ったわよね? 小学校に上がってからずっと片思いなの。だから……って、悠相手にする話じゃないわね、これ」
照れるように実夏は頭を掻いた。
悠は、合点がいった。
男勝りな彼女が髪を伸ばし始めたのは、多分それが原因だったのだ。
「ううん……。これからも友達だっていうなら、遠慮せず話して欲しいな」
――彼女の想いは、僕よりずっと強い。
そう思うと、悠の胸の内からもやもやが、少しだけ消えた。
「そう……。ありがと、悠。告白。嬉しかったよ」
「うん……」
二人は、まだどこかぎくしゃく。
だけど、きっと時間が解決してくれる。
希望的観測かもしれないが、悠は思ったのだ。
◆
「それにしても、本当に女の子ね……」
頬をむにっとつまみながら実夏が言った。
「ふぉうふぁけふぉ~」
悠の言葉は、意味を持つ単語として出ることはなかった。
「あ、ごめんごめん」
慌てて実夏が手を離す。
「えっと。そういえば、どうしてここに?」
「美楽さんがね。昨夜のうちに、あたしにメールが来たの。『悠が一大事だから明日来て』って」
「え、お母さんが?」
「ま、実際に一大事だったわけだけどさ」
実夏ははにかんだ。
「えっと、もしかして説明してもらったの?」
「うん。大体はね。夢魔……だっけ。ちょっと驚いたけど、やっぱり悠は友達よ」
慶二といい実夏といい。
悠のことをちゃんと受け入れてくれる。
心の中に暖かいものを感じ、視界がぼやける。
「あ~もう、泣かない! 相変わらず泣き虫なんだから」
男の子のころは同じぐらいの背丈だった。
しかし、今では実夏の方が少し高い。
その差を活かして、頭をぽんぽんと叩かれる。
悠は幼いころを思い出す。
彼は、引っ込み思案で所謂いじめられやすい子だった。
幼稚園でも、何かと絡まれた。
その度、助けてくれたのが慶二と実夏だった。
二人は所謂ガキ大将タイプの子で、率先して悠の世話を焼いてくれたのだ。
そして、泣く悠の頭をぽんぽんと叩き、あやしてくれたのだ。
「本当にありがと、ミミちゃん」
「……可愛い!」
感極まった実夏が、ぎゅっと抱きしめる。
「ちょ、ミミちゃん!」
色々と顔に当たっている。
実夏の切り替えは早い。弟分だった悠は、たった今から妹分へとクラスチェンジしたのだろう。
だが、悠からすれば、夢破れたとはいえ依然として想い人。
悠は呻くしかなかった。
◆
「あ、そういえば」
悠はさっきから覚えていた違和感を理解した。
「なんで、ミミちゃん、そんな余所行きの服?」
普段なら、実夏が悠の家を訪ねてくるとき、あまり着飾ることはない。
……今思えば、その時点で恋愛対象外だったのだろう。
実夏はブラウスにスカートという、女の子らしい出で立ちだった。
こういう格好をするのは、旅行に出かけるか隣の家に行く時だけだ。
悠としては基準がよくわからない。
「え? 美楽さんがおめかしして来なさいって言ってたから」
「……お母さん?」
「呼んだかしら?」
噂をすればなんとやら。
すすすと母が現れた。
よく見れば、化粧済みだった。リップが目立つものの、ナチュラルメイクだ。
瑞々しい唇に、ハリのある肌。
美楽は齢三十を超えた経産婦のはずなのだが、美貌に衰えが見られない。
悠は幼いころから不思議に思っていたが、今思えば夢魔という種族が影響しているのかもしれない。
「えっと、どういうことなの?」
「悠が女の子になっちゃって、今までの服着られなくなっちゃったでしょ?」
「う、うん」
なんだかとても嫌な予感がした。
「下着もないし、買い物に行こうって思ったのよ。で、折角だから実夏ちゃんも呼ぼうかなって。今どきの女の子の服って、いまいちわからないしね」
「か、勝手に決めるなあ」
「迷惑かけたお詫びに、実夏ちゃんも何着か買ってあげるわよ?」
「本当ですかっ?」
狼狽する悠に、食いつく実夏。
美楽は上機嫌であった。元々彼女は実夏と馬が合うのだ。
――もし仲直りできなかったらどうする気だったんだろ。
悠としては疑問である。
「大丈夫よ、あんたたちなら大丈夫だって私は信じてるから」
まるで心を読んだかのように、美楽は微笑んだ。