八十五話 この体が恨めしい。
「……僕の体について?」
母の言葉に、悠は首を捻る。
別段彼女は持病があるわけでもない。
話の流れも鑑みれば、夢魔に関する話だと容易に想像がつく。
悠が思い返してみれば、今のところ説明を受けているのは魔力供給と呪歌の二点のみ。
あとは条件は不明なものの性別の変化か。
まだ何かあるのだろうか?
彼女としては不満を覚えなくもない。
わかりやすく頬を膨らませてみれば、美楽は苦笑いで応えた。
「言わなかったのには理由があるのよ」
若干申し訳なさそうな顔の美楽。
勿論、悠は母が悪戯で大事なことを秘匿するような人間ではないと知っている。
だから、頷くことで話を進めるよう促した。
「出来ることなら秘密にしておきたかったんだけど……」
……明らかによろしくない話の枕詞だ。
こんな始まり方をする説明に、好意的なものが含まれるはずがない。
ぞくりと、悠の背筋に冷たいものが伝う。
「以前、私は落ちこぼれだったって話したわよね。だから、力に目覚めるまでは、悠も弱い可能性の方が高いと思っていたのよ」
美楽はそこで一度言葉を切る。
眉間には皺が寄っていた。
「でも、残念ながらそうじゃないの。前々から思っていたけど、今日の呪歌で確信したわ」
「……強いと、どう問題があるの?」
力が強い。
字面だけ見ればよいことかもしれないが、誰が見ても母が纏っているのは肯定的な雰囲気ではない。
確かに、悠も異能を持つことに怯えていた。
例えば呪歌。
もし、日常生活を壊してしまったらと思うと、怖くて仕方がなかったのだから。
「まずは魔力の問題ね。普通、力の強い夢魔は魔力を多く蓄えられるものなの。強ければ強いほど、消耗が激しくなるから。弱ければその逆で、消耗は緩やかになる」
美楽の基本的なレクチャー。
確かに、それが自然だろう。体格の大きい人間ほど大食いな傾向にあるのと同じ。
「でも、悠は違う。例えば、慶二君から魔力を多く貰っても、三日で使い切ってしまうでしょう?」
「う、うん……」
他の夢魔についてなど知らない悠は気にしたことがなかったのだが、言われてみれば確かにサイクルが速い気がする。
美楽は、そこまで頻繁に平電から魔力を受け取っていただろうか?
――勿論、子供の見ていないところでの可能性もあり、そんなこと知りたくもない悠は触れなかったのだが。
それに、悠はふとしたことで魔力切れに陥る傾向がある。
本日の呪歌など、たったの四分程度しか歌っていない。
だというのに、満タンからガス欠に早変わり。
呪歌は魔力供給の助けなのだと以前、美楽は語った。
だが悠に当てはめてみれば、魔力を得るために多大な魔力を消費するということ。
もしこれが夢魔にとっての普通であれば、本末転倒としか言いようがない。
「あなたは人間と夢魔のハーフ。そう言ったわよね」
「……うん」
「多分、私から夢魔として落ちこぼれの身体、それに反して平電さんからは魔力の適正を引き継いでしまったのね。そのせいで、とてもアンバランスな夢魔になっちゃったのよ」
美楽の懸念は理解できた。
要するに、悠は燃費が極悪なハーフサキュバスなのだ。
しかし、此処まで来ても悠には話が見えない。
だったらなんだというのだろう?
悠は、そのアンバランスな状態で一月以上過ごしている。
呪歌を避けるために制限をかけたりしたのは体に負担を強いたものの、平時であれば支障をきたすことはなかった。
定期的に魔力を供給さえしてもらえれば――性別の変化を除けばだが――普段と変わらない生活を送れているのだから。
それに、慶二は幼馴染で同級生なのだ。
三日というサイクルは激しいが、元より顔を合わせる機会は多い。
慶二へ迷惑をかけなければならないのは心苦しいが……これからも、同じように過ごせば何の問題にもならないはずだ。
「でも、大丈夫じゃない?」
悠は、極めて楽観的に母へとそう伝えた。
だが、美楽は複雑な表情で
「……ずっとこのままならいいんだけどね」
とぼそり。
机越しとはいえ、あまり距離は離れていない。
美楽の呟きを耳にし、悠は思わず尋ねてしまう。
「どういうこと?」
「まだ中学校に上がったばかりだから言いたくなかったのだけど……。確かに、今は慶二君がいてくれるわよね。でも、高校生になっても進路が一緒とは限らないでしょう?」
……その言葉で、悠はようやく彼女の意図に気づいた。
「勿論、別の学校になっても友達であることは変わらないわ。だけど、どうしても会う機会は減ってしまう」
学校とはこの年代の子供にとって、最も身近な社会だ。
慶二だって、横のつながりが広くなるはず。彼はそんな簡単に友情を断ち切る人間ではない。
しかし、新しい友人との付き合いを優先することもある。
奇しくも、彼の兄が以前と異なる交友関係で大きく姿を変えたように。
「……でも、慶二は頑張れば勉強できるし」
慶二は勉強をサボりがちだが、理解が遅いというわけではない。
受験に本腰を入れれば、悠と同ランクの高校へ進むことは可能だろう。
いつも通り一緒に勉強をすれば、きっと身が入るに違いない。
「そうね、そこは心配ないと思う。でも――」
悠の言葉に、美楽は頷いた。
とはいえ、否定的なニュアンスを秘めていることは変わらない。
むしろ、核心をつくとばかりに、強い語気が含まれていた。
「――もし、慶二君に彼女が出来たらどうするの?」
◆
悠は言葉に詰まる。
……慶二だって、男の子なのだ。
今は特定の誰かと付き合うつもりはないようだが、成長するにつれ変わっていくに違いない。
元より、慶二は女の子からの人気は高い。
サッカー部のホープとして活躍していることもあり、一学期中にも何度か告白を受けているのを悠は知っている。
そのとき全て断ったため、今はなりを潜めているようだが――。
来年になれば新入生が入ってくる。
そうなれば、憧れの先輩としてより一層、女子の目を引くこととなるだろう。
とても愛らしい女の子が現れれば、いつかは慶二も――。
慶二が他の女の子と一緒にいるのを想像して、悠の胸の内にもやもやとしたものが湧きあがる。
今、彼と一番近い立場の女子は悠と実夏、この二人であることは間違いない。
しかし、もし慶二に恋人が出来ればその地位は大きく変動する。
……今はまだ姿も見えない彼女からすれば、悠は明確な邪魔者だ。
悠と気心の知れた相手であればまだしも、そうでない可能性が遥かに高いのだから。
友達でいることぐらいは許してもらえるだろうが、線引きは必要となる。
一緒に登下校もいい顔はされないはず。
実夏のように、彼氏とのそれを夢見ている女の子は多い。
二人だけで遊びに行くのも――駄目。
映画なんてもっての外。
そんな未来を思い描いて
「……どうしよう」
悠は呆然と呟いた。
「ええ、魔力はもらえなくなるわ」
そんな悠を見て勘違いしたのか、美楽はそう告げる。
……すっかり悠は失念してしまっていたが、元はといえば魔力についての話のはず。
恋人でもないのに人気のない部屋で手を握ったり――許されるはずがない。
慶二は優しいから悠のために無理を言うだろう。
だが、それが却って油に火を注ぐ。
彼女は自身の嫉妬深さを自覚しているからこそ、容易に想像することが出来た。
もしそうなれば、悠はすぐさま魔力不足に陥る。
今の姿だと、同性の実夏では駄目なのだ。
男の子の姿に戻れれば――今度は慶一に義理が立たない。
他の男の子に頼るという手もあるが、そのためには生まれを全て話さなければならない。
誰もが気のいい友人ではあるが、それでもみだりに語るのは躊躇われる。
それに、魔力の供給には無防備なまま体を触れることが必須。
女の子としての感覚なのか、完全に気を許した相手でないとちょっと怖い。
――安心して気兼ねなく身を委ねられる相手。
果たして、慶二のほかにこれからそのような男の子が現れるのだろうか?
そう考えた途端、悠には将来が暗いものに思えてならなかった。