七十九話 彼の体躯はたくましい。
あっという間に時間が過ぎ、ついに最終種目である組対抗リレーが押し迫っていた。
悠は自分以外誰もいない応援席から得点ボードを確認する。
現在、青組は二位。
一位である赤組とは僅差である。
運営委員である鹿山曰く、一種目の得点で逆転も可能な、微妙な位置。
ちなみに、応援合戦の結果は閉会式で発表されるので、その点数はまだ加算されていない。
さて、何故今応援席に悠一人なのかといえば、他の生徒は綱引きで出払っているため。
どうにもがらんどうになってしまうと落ち着かない。
先ほどまでは水島が話し相手になってくれていたのだが、彼女は二年生の種目の準備があるからと行ってしまった。
「オーエス! オーエス!」
A組とB組、両者が大声を張り上げている。
真っ赤な顔をして、綱を引き抜かんと激闘を繰り広げているのだ。
現在一勝一敗。
この勝負で勝ち負けが決する。
自然に熱も入るというもの。
事実、ここでの勝敗次第で大きく戦局が左右されかねない。
ここで点差を広げられるのは、劣勢の青組としては決して好ましくないからだ。
特にやることもない悠は、固唾を飲んで見守っていた。
度々エールを送っているのだが、たった一人の声量ではかき消されてしまいあまり効果は得られていない。
勝負が動いたのは、制限時間が近づき判定勝負になる直前のことだった。
――均衡が破られた。
そうなれば驚くほどあっさりと、縄は一気にB組へともつれ込む。
審判役の教師が旗を揚げ、実況席から放送部の生徒が勝敗を告げた。
『B組の勝利です!』
「よしっ!」
勝鬨の声を上げたのは一年生ではなく三年生。
彼らは中学生活ラストの体育祭。一年生以上に気合が入っているのだ。
『綱引き、一年生の部は一位C組、二位、D組、三位、B組、四位A組となりました』
――ただし、この勝負、三位決定戦という微妙なタイトルだったのだが。
◆
「お疲れ様」
「肩が抜けるかと思いました……」
女子の応援席で理沙が言った。
若干大袈裟な物言いではあるが、傍から見ていた悠にもそれだけの熱気は伝わっている。
どちらも決して手は抜かない、全力の戦い。
特に本気なのは運動部の生徒で、引退してOB同然とはいえ三年生から圧力をかけられているのが原因。
「今の点数は赤組が349点、青組が325点……緑と黄色は300点越えていないから実質優勝争いから撤退同然ね」
「確か、リレーと応援合戦の一位で点数が50点だったよな。二位が30点で、それ以降10点ずつ減るから、片方で一位をとって、もう片方で赤組以上なら勝てる」
悠が目を向ければ、実夏と愛子が顔を突き合わせて相談していた。
二人はリレー代表なので必然的に重責を負わされているのだ。
「二人とも、頑張ってね」
「勿論! やるからには勝たないとな!」
「本気で行くわよ……色々かかってるしね」
近づいて声をかければ、二人ともが気合十分といった様子。
特に、背負うものがある実夏は滾る闘志を隠そうともしていない。
彼女にとっては、リレーを終えてなお決戦が待ち構えているのである。
「悠さん、応援するのなら慶二さんもしてあげた方がいいんじゃないですか? 緊張しているかもしれませんし」
そんな最中、理沙が切り出した。
悠の知る限り、慶二はそれほど気の小さい男ではない。
それでも、親友としては声をかけておくべきではないか。そう思えた。
「……そうだね。理沙ちゃんも一緒に来る?」
「いいえ、遠慮しておきます。悠さん一人の方が慶二さんも嬉しいでしょうから」
悠の申し出はよくわからない理由で断られる。
一人よりも二人の方が話は弾むと思うのだが。
聞き耳を立てていたらしい愛子が
「やっぱりそういう関係なのか?」
なんて小声で実夏に尋ねていたのだが、彼女は肩をすくめるのみ。
そんなことはつゆ知らず、悠は呑気に理沙へ訊く。
「なら、蝶野君も――」
「いえ、彼は多分、走れるだけで十分だと思いますよ」
――そんなに彼は陸上が好きだっただろうか?
悠は疑問に思ったものの、口ぶりに反して理沙は確固たる自信があるようなので、異論を挟むことはしなかった。
◆
男子の応援席に行けば、目敏く鹿山が悠に近づいてくる。
彼女としても、男子の密集地帯に入るのは気が引けるのでありがたい。
「慶二か?」
「うん。リレー前で緊張してないかなって」
「あいつはそんな大人しいタイプじゃない気がすっけどなあ」
あっけらかんと言う鹿山に、悠は苦笑いで応える。
どうやら彼も同じことを考えていたようだった。
「そういえば、蝶野君は?」
「あいつはモチベーション最高みたいなもんだかんなー。今、張り切ってストレッチしてるぜ。たまにはいいところ見せたいんだろうな」
どうやら、理沙の見立ては正しいようだった。
根拠は不明だが、彼女の先見の明に感嘆するしかない。
「じゃ、呼んできてやるよ」
「ありがとう、鹿山君」
程なくして慶二が現れる。
ちょっとだけ、硬い表情。
「慶二、綱引きお疲れ様」
「ああ。結構ハードだった」
「うん、見てたよ。格好良かった」
慶二と蝶野は最後尾で綱を巻きつけ、最後の防波堤役を担っていた。
筋肉を隆起させ、全力で踏ん張る姿を悠は見つめていたのだ。
「……そ、そうか」
更にかちんこちんになる慶二。
柄にもなくリレーを前に緊張しているのだろうか。
悠は意外に感じたが、流石に面と向かって話すことはしない。
「リレー、頑張ってね。……応援してるから」
言われなくても、慶二は幼馴染のため全力を尽くすだろう。
悠としては、それだけの信頼がある。彼は義に熱い男なのだから。
だけど、折角なので伝えておきたかった。
すると
「……頼みがあるんだが」
慶二は神妙な顔。
悠は微笑みを湛えたまま
「うん、何でも言って?」
と答える。
その様子を見てか、ごくりと慶二が生唾を呑み込んだ。
「なら――」