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七十六話 衆人環視でむごたらしい。

 楽曲の二番も終わり、間奏で悠は大きく深呼吸。

 動きは少ないとはいえ、大衆の前での歌唱は緊張を呼び、悠の体力を削っていた。


 照りつける陽射しも決して弱くはない。

 汗が額から伝ってくる。

 だが、悠は決して微笑みを絶やさなかった。


 青組の応援合戦において主役格は悠のグループだ。

 だからといって、他のチームが目立たないかといえばそうではない。


 周囲を小さな円陣のまま駆け巡る級友たち。

 彼らのダンスが混然一体となって場を盛り上げているのである。見ているだけで頬も緩むというもの。


 悠が視線をやれば、実夏は持ち前の身体能力を活かし、軽快なステップを刻んでいた。

 愛子も小さな体躯を伸びやかにしてポーズを決め。

 ポンチョにほとんど覆われるような形なのでテルテル坊主のようで微笑ましい。


 理沙は――すでにバテバテだがそれでも楽しんでいることには間違いない。


 男の子だって女性陣に負けてはいない。

 鹿山は満面の笑顔でリズムに乗っている。

 特に、蝶野の巨躯は必然的にダイナミックな動きとなる。彼を中心として、大きな青い花を咲かせていた。


 最後に、慶二。

 音痴ではあるが、彼はリズム感がないわけではない。

 ただどうしようもなく音程が外れるだけなのだ。


 そんな彼も本当に嬉しそうにダンスを楽しんでいた。


 ――幼き日の出来事。


 それが切欠となり慶二は音楽が好きになれたらしい。

 今の彼はまさしくその思いを体現しているような気がして、悠は心の中に暖かいものが湧きあがるのを感じていた。


 サビの入りに合わせ、慶二たちのグループは一回転。

 その一瞬。


 ――ほんの一瞬のこと。

 悠は、自分と目のあった彼がにこりと笑いかけたような気がして――心臓が跳ねた。





 慶二は振り付けを必死に想い返しながら踊り続ける。

 実のところ、今の彼の頭の中はいっぱいいっぱいだった。


 ――次のステップなんだっけな。


 割と見よう見まねである。

 練習の成果か、ある程度は身体が記憶している。しかし、取っ掛かりを思い出せなければ意味はない。


 もっと自己練習しておけばよかった……なんて土壇場になって今更な後悔もあるが、今はそれ以上に楽しさが勝る。


 甘く、澄み渡った高い声。

 少女たちの合唱の中、不思議と慶二は悠の声を聞き分けることが出来た。


 特別声量が大きいというわけではない。特徴のある響きというわけでもない。


 だが、慶二は直感的にわかるのだ。

 もしかすると、これが呪歌というものなのかもしれない。


 心が奮い立つような、勇気をくれる調べ。


 間奏を挟み、一度悠の歌声が途切れた。

 ちらりと横目を向ければ、彼女は満面の笑み。

 事実、危惧していたようなことは起きていない。


 ――良かったな、悠。


 回転の瞬間、慶二はそんな思いを込めて、悠に対し笑みを向ける。

 そのまま最後の大盛り上がり、サビへと移行した瞬間。


 悠の歌声が、その様相を変えた。





 悠は慶二の顔を見た瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。

 だが、本能に導かれるように歌い始めた。

 胸の中に湧き上がる感情をそのままに紡いでいく


 二番までが少女の想いが通じるまでだとすれば、それ以降は通じたその後(・・・)

 想い人に対し、はにかむ女の子。想いが通じた彼女は、少年の前で瞳を閉じ――。


 本来なら実夏と慶一。

 二人を思い浮かべるべき舞台。


 しかし、無意識のうちに、その情景を演じる役者はいつの間にやら悠の中で切り替わってしまっていた。


 少女とは、自分。

 そして、相手の少年とは――。


 悠はそのことに気づかない。


 無我夢中で彼女は歌い続ける――。





 三番に入った途端、慶二の背筋にぞぞぞと怖気にも似た感覚が走り、思わず彼は腰砕けになる。

 まるで、背骨に電流を流されたかのような衝撃。

 だが、それは断じて苦痛ではなく、甘く心地の良いものだった。


 そのまま膝をつきそうになるのを必死で律し、周囲を窺うのだが――誰も気にした様子はない。


 それどころか、いきなり動きが緩慢になった慶二に怪訝な視線をぶつけてくるばかり。

 慶二は唇を強く噛みしめ、ぎこちないまま周囲の動きに合わせていく。


 ――悠の歌声が、妙に頭に響く。


 耳元で囁かれているかのように、蕩けた旋律。


 甘噛みでもされているのかと錯覚するほど、彼の耳朶を刺激する。


 いや、最早これは歌ではない。

 ただの愛撫。


 慶二の頭の中が声の主で埋め尽くされていく。

 視線をやれば、渦中の彼女はあどけない顔のまま懸命に声を張り上げていた。


 親友であり、幼馴染であり――。

 そんな彼女の幼い身体がやけに淫靡に見え、しゃぶりつきたくなる衝動に襲われた。

 だんだんと慶二の息が荒くなる。――恐らく、運動が原因ではない。


 こんな踊りなど放棄して、もっと声が聴きたい。


 男たちを踏み越え、彼女の肢体――特に柔らかくて瑞々しい部分――に触れたい。


 そして、優しく組み敷いて啼き声を上げるほど悦ばせてあげたい。


 理性を失った一人の雄の思考になりかけて――。


 慶二はようやくこれが呪歌の影響なのだと理解した。


 ……理由はわからない。

 だが、悠の影響を受けているのは自分だけなのだろう。


 そうでなければ、とっくに応援合戦は中断され、阿鼻叫喚の宴が始まっているはずだ。


 不思議なことに、呪歌だと理解した途端、慶二の精神は落ち着きを取り戻していた。


「慶二、次、左足からのステップだぞ」


 近くにいた同級生の男子が小声で告げる。

 どうやら、動きが止まったのは振付を忘れたからだと思われたようだ。

 思考が停止していたのは、数秒にも満たない出来事だったらしい。


 「魔力が強い」おかげだろうか。

 慶二には推測するしかないが、それでも一線を超えずに済んだ。

 衆人環視の中、自分はとんでもないことをしでかそうとしたのではないか?


 恐怖を感じなくもないが――慶二は、()を乗り越えることが何より重要だった。


 ――何故なら、落ち着いたのは精神だけ。

 体中を駆け巡る怖気(・・)は依然として存在し続けている。

 全身を執拗に――だが情愛を持って――舐められるような感覚。

 それでも踊り続けなければならない。


 何故なら、彼女の待ち望んだ舞台なのだから。


 ――結局、天使の歌声が鳴り響くサビの間、慶二は地獄を味わう羽目になった。

 たった数十秒のことだが、彼にとっては永劫に続くかとも錯覚しかねない煉獄だった。

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