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七十話 声を出すのは楽しい。

「別に」


 不機嫌な慶二はつっけんどっけんに返事をした。

 そもそも彼としては、どうしてこっちに来たのかと問い返したいくらいである。


「慶二くんいなかったから……」


 どうやら、トイレから出たのに誰もいないのを訝しみ、探しに来たらしい。

 だというのに、悠は慶二を責める様子はない。


「ねえ、戻ろう?」


 それどころか、心配したように小首を傾げながら手を伸ばしてくる。

 慶二はそれを受け取らず


「……戻らねえ」


 とだけ呟いた。


 ――なんとも癪だった。

 自分は、保育士に言われたことがショックでその場から逃げ出したのだ。

 それを悠に見られたのが、気に喰わない。


 当時の彼にとって、悠は完全な弟分でしかなかった。

 身もふたもない言い方をしてしまえば、庇護対象としか見ていなかったのである。

 

 慶二には親分としての意地がある。

 それに加え、常に強気のところを見せねば自分から離れてしまうのではないかという恐怖を感じていた。 


「先生たち怒るよ?」


 気づかれないうちに戻らねば説教は免れないだろう。眠れないのは構わないが、無断で外に出るのはよろしくない。

 先の騒動以降、保育士たちはそのあたり徹底していた。

 誰だって面倒事は御免なのだ。


 勿論慶二もそんなことは分かっている。

 元々、自分たちの教室に戻るつもりだったのだから当然である。


「お前だけで戻れよ」


 だが、むしゃくしゃしたものは収まらない。予定変更。

 戻る予定は掻き消えた。

 その上、自然と攻撃的な口調になっていた。


「うーん……慶二くんがここにいるなら、僕もいるよ。眠くないし」

「……勝手にしろよ」


 しかし、悠はそれを聞き流すかのようにフェンスへ身を委ねた。

 慶二と同じような形である。


 しばしの沈黙。

 風を受けてか、ゆっくりと大きな雲が流れていく。


「悠はいいよな。歌、上手いし」

「……どうしたの、いきなり?」


 慶二が切り出したのは唐突だった。

 悠の困惑も無理はない。

 黙り込んだと思いきや、突如羨み始めたのだから。


 それを無視して、慶二は隣にいる少年の歌う様を思い浮かべる。

 悠はくりくりとした目の男の子である。

 実のところ、物心ついたころから一緒にいたにも関わらず、当人に聞くまで男の子か女の子かわからなかったほどだ。

 そんな彼がたどたどしく歌う様は、あどけなくて微笑みを誘う。


 女の子のような顔立ちも相まってまるで天使みたい――いつぞや、誰かがそう評していた記憶すらある。


「別に、それなら楽しいだろうなあと思っただけだ」

「慶二くんは楽しくないの?」


 ――何を言ってるんだ、こいつは。


 慶二は耳を疑った。

 あの様を見て、どこが楽しそうだというのか。


 嫌味か?

 そんな思いが、頭を過る。

 しかし、言い放った本人にそのような意図はなさそうだ。

 それどころか、無邪気に笑いかけている。


 どうやら、本気で言っているらしかった。

 あまりに鈍すぎる。

 慶二が戦慄を覚えたのも仕方のない話。


「おっきな声で歌うと楽しいよね」

「……そうか?」


 くすくすと笑みを漏らす悠に、慶二は疑問符で一杯になる。

 彼が大声なのは生来のもの。

 そこから更に大声で歌うのは、練習で悪口をいう同級生への嫌味も兼ねて。


「慶二くんは楽しくないの?」


 だというのに目の前の少年はそれが楽しいというのだ。

 理解に窮した。


「なら、歌ってみよっか」

「はあ?」


 この状況で歌えば、すぐに保育士に見つかるだろう。

 そう慶二が静止するよりも早く、悠は歌い始めた。

 誰もが一度は聞いたことのある、カエルの歌。


 まるで小鳥がおしゃべりしているかのような歌声。

 それが雲の中へと吸い込まれていく。


 が、最初の歌いだしですぐに一度中断。


「慶二くんも」

「……俺はいい」


 認めるのも癪だが、明らかに慶二と悠には差があった。

 間近で聴くことで痛感する。

 もし自分が混ざっても不協和音にしかならないだろう。


 慶二はそんな思いで断ったのだが


「いいから、いいから」


 ――悠にしては珍しく頑固。

 普段なら慶二に殆ど口答えなんてしないはずだというのに。


「――♪」


 また、最初だけ。

 促すように悠が見つめてくる。


「――♪」


 その繰り返し。

 どうやら慶二が歌うまで続ける心づもりらしい。


「あー、もう。わかったよ!」


 慶二が根負けするのにそう時間はかからなかった。





 悠だけならまだしも、慶二の大声が加われば流石に保育士たちも脱走に気づく。

 早々に保育士たちが現れ、慶二たちをしょっ引いて行った。

 そして、しこたま説教を受けた後のこと。


 とっくの昔にお昼寝の時間も終わり、数刻前と同じように、慶二と悠は運動場でフェンスに体重をかける。


「――楽しかった?」


 輝くような笑顔で悠が訊いてくる。

 つい先ほどまで叱られて泣いていたとは思えない。


「……まあ、な」


 不承不承とでも言いたげに慶二。

 だが、本音をいえばとても楽しかった。


 彼は、合唱とはいえない酷いものだったと自負している。

 悠の清涼な歌声を台無しにするような、ノイズ。

 だというのに、保育士が現れた際。


 ――もっと歌っていたかったのに。


 名残惜しむ気持ちが胸の内にあったのである。


「ね?」

「……ありがとよ」


 照れながらのそれは、歌声に反してとても小さかった。

 しかし、悠には伝わったようで、彼は顔を綻ばせる。


 ――その日以来、慶二は歌が好きになり、悠のことを単なる幼馴染ではなく親友と認識するようになる。


 それを祝福するかのように、雲の切れ間から太陽が差し込んでいた。





 ちなみに慶二がノリノリで大声で歌った結果、その季節のお遊戯会が天国と地獄なんて言われるようになったのは別の話である。

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