六十二話 借りてきた猫のようにおとなしい。
「ここがいいわ」
実夏の鶴の一声で、昼食の場所が決まった。
悠たちとしては本音を言えばどこでも良かったのだが、どうにも彼女としては話す内容を秘匿したいらしく、出来る限り人通りの少ない教室をご所望だったのだ。
わざわざ二棟の特別教室という念の入れようである。
すでに昼休みから十分近く経っているのだから、拘りっぷりが察せるというもの。
それほど大事な議題なのかと、悠としては戦々恐々。
「……そこまでミミさんのことを気にしている人がいるとは思えませんが」
適当に机を寄せ合いながら、ぼそりと当人には聞こえないよう理沙が毒を吐く。
しかし隣にいる悠には丸聞こえなので
「あ、あはは」
と乾いた笑いで応じるしかない。
「あたしとしては外でもいいんだけど」
自分の分の椅子を動かし終わった愛子は不満げ。
歩きながら雑談していたところ、彼女と理沙はすでに実夏の話題を聞いているらしい。
つまり、悠のためだけに――余計なお世話だが――この行脚をしたようだった。
体育の後、更にこう歩き回るのはあまり嬉しいものではない。
むしろ、苦行と言っていい。
親友のやることとはいえ、少し過剰ではないかと感じた。
「外かぁ。最近、少しだけ暑さも和らいできたからそれも良いかもしれないね」
だが、わざわざ口に出すことではないと考え、悠は愛子の隣に座りながら答えた。
そよ風を感じながらの食事というものも、開放感に溢れているかも。
なんて考えての台詞である。
「いつもは、あいつらと三人で食べてたんだ。校舎の陰とか意外と涼しいんだよ」
悠の同意に気をよくしたように愛子は続ける。
あいつらとは、つまりいつもの男二人たちのこと。
今回、彼は慶二と一緒にお留守番である。
悠としては、病欠でないのに慶二と一緒に昼を取らないのは珍しい。
「……とりあえず、食べ終わってから話すわ」
「では頂きましょうか」
全員分の机が揃ったところで実夏が告げ、予期していたかのように理沙が促した。
「いただきます」と四人の言葉が重なって、各々の弁当箱を広げていく。
「愛子さんのお弁当は……随分と可愛らしいですね」
「う……悪いかよ」
さて、愛子はそんな中少し見せづらそうにしていた。
悠のお弁当も、たこさんウィンナーやウサギ型に切り整えられたリンゴなど、ある程度の愛らしさを持った取り合わせになっている。
これらは母である美楽の趣味であり、それに慣れ親しんでいる悠としては、気にすることではないと思うのだが――。
しかし、愛子の弁当の中身を見た瞬間理解する。格が違った。
ウズラの卵に、食紅か何かで赤い目が描かれている。その上には、細かくカットしたブロッコリーで形作られた耳。
リンゴならばまだしも、卵をわざわざウサギ型に作っているのだ。
更に、オムレツには自然な白玉模様が出来ている。
悠にはどのようにして調理したのか想像もつかない。
ただただ、感心することしきりである。
「……凄いね」
感嘆の意味で悠は呟いたのだが、意味を取り違えたのか、愛子はカッと赤くなってしまう。
「これは母さんの趣味だからな! あたしが作るときは、もっとカチッとした感じだし……」
「愛子さんもお料理をされるのですか?」
悠の記憶によれば、理沙はあまり愛子と話したことはないはず。しかし、彼女としては珍しいことに積極的にぐいぐい責めていく。
もしかすると、少女の初心な反応を面白がっているのかもしれない。
「まあ、たまに」
憮然として愛子は答えるのだが、理沙に気にした様子はない。
それどころか
「私も母から教わっているのですが、どうにも難しくて……」
と話を広げていく。
理沙の家には調理師がいるはずなのだが、彼女の母は「娘に料理を教えるのは母親の努め!」といって憚らないのだとか。
しかし、理沙の母は娘と異なり、どちらかというとどんくさいタイプ。
その道のプロに教えてもらう方が効率的だと以前愚痴っていたのを悠は知っている。
「……やっぱり、みんな料理を教わってるんだね」
悠が言った。
実のところ、この集まりで料理についての話題になったのはこれが初めて。
今がチャンスだと思ってのことだった。
「悠さんも?」
「うん、少し前にお母さんが言い出して。でも難しいね」
「それは女になったからなのか?」
愛子の言葉に悠は首を振る。
「男でも女でも、教えるつもりだったみたい。将来、自活することを考えてって」
「美楽さんらしい考えですね」
うむうむと感銘を受けたとばかりに理沙が頷く。
幼馴染たちと比べ、美楽と会う機会の少ない彼女だが、専業主婦としてテキパキしている美楽への憧れは強いようだ。
社会に出て働くのも、家の中を守るのも、女性の格好良さには変わりないというのが理沙の持論らしい。
実母への反動を含んでのことかもしれない。
「まだ、カレーも上手く作れないんだけどね……」
「じっくりやっていけば大丈夫ですよ。今日明日、一人暮らしをするわけじゃないんですから」
今の悠は、どうにも魔力が少ないためかすぐに倦怠感を覚えてしまう。
そのせいで捗らないのである。
自然と休日の空いた日ぐらいしか料理の勉強が出来ない。
――十月になったら頑張ろう。
内心で決意を固めていく。
「ところで、ミミさんは?」
「え? ……ごめん、聞いてなかったわ」
唐突に話題を振られた実夏は、答えるのに少しの時間を要し、それから謝罪。
上の空とは、彼女にしては珍しい。
そう悠は感じたのだが、結局彼女は食事を終えるまでずっとこの調子だった。