六十話 隠しごとはどこかやましい。
そして、三、四時間目合同で応援合戦の練習が始まった。
当然のことながら、泣いても笑っても最後の練習である。
組全体が一丸となって、最初から最後まで通しでリハーサルを行う。
最終日のため、不公平がないよう時間を四分割してグラウンドを使っていく。
それ以外は体育館や空き教室によるグループ別練習。
悠たちの青組の順番が来るのは二番目という、微妙な時間帯のことだった。
◆
最後のリハーサルが終わり、くたくたになりながら悠は水筒に口を付けた。
ごくり。ごくり。
一口ごとに生き返るような心地になりながら喉を潤す。
――それでも別の渇きは満たされず、放課後まで我慢するしかないのだが。
兎も角、日陰なのがありがたい。
残暑も落ち着きつつあるとはいえ、それでも昼間は太陽が照りつけている。
あのまま日光にさらされ続ければ、干からびてしまうのではないかと悠は錯覚するほどだった。
そうして一息ついてからのこと。
「悠ちゃん、最終日に言うのもなんだけどさ~」
「どうしたの、一香ちゃん?」
振り向いてみれば、同じ班の少女が肉薄してきた。
彼女も悠に負けず劣らず他人との距離が近い。
「最近の悠ちゃんって、あんまり歌うのが楽しそうじゃないよね~って」
「……そうかな」
言葉とは裏腹に、悠は図星だと感じていた。
自然と目を合わせづらくなり、手にした水筒へと視線を落とす。
悠という人間は平然と嘘をつけるほど器用ではない。
どうにも、呪歌のことがちらついて集中できないのが原因。
特に組全体の合同練習となってからは殊更だ。
たまに魔力が抜け出るような感覚があるのが恐ろしい。
幸いにして、いまだ何事も起きてはいないようだったが。
「僕は、いつも通り歌ってるよ」
とはいえ事情を説明することは出来ない。
まず自分が夢魔だということが念頭にあるし、人の心を操れるなんて他人からすればいい気はしないだろう。
だから彼女は『いつも通り』をアピールするしかない。
事実、そんなことを言われたのは一香が初めて。
上手くいけば誤魔化せるはずだと、悠にしては珍しく強気で対応する。
「う~ん。確かにビブラートは綺麗だしいいと思うけど……」
「藤真先輩も何も言わないし……」
リーダーとして取り仕切る藤真は何も言わない。
それどころか満足げに「これで優勝は頂き!」と気合を入れる始末。
「先輩は技術力重視だからね~。カラオケの採点機みたいな人だよ」
一香の言葉には、どこか揶揄するような感情が含まれていた。
何か因縁でもあったのだろうか。
しかし、悠に心当たりはない。
そのあたり悠は疎いのだ。
彼女としては、友人が自分で話してくれるのなら歓迎するが根掘り葉掘り――勿論状況にもよるが――勝手に調べようとは思わない。
自分がされたら嫌なことはしたくないという気持ちが強いため。
もしかすると、自身も大きな秘密を抱え込んでいるのが関係しているのかもしれない。
「一学期に合唱コンあったよね」
「う、うん」
合唱コン――合唱コンクールとは読んで字のごとく、クラス対抗で課題曲を歌い上げ採点を競い合うもの。
課題曲の選考はクラスの担任に一任され、その時点で勝負が始まってるとすら言われている。
採点者の好みをうまくつけるかが重要。
例えば年寄りの教師が多ければ親子愛をイメージした楽曲を選ぶなど。
そのあたり、新任だった木戸はわかっておらず、悠たちのクラスは惜しくも優勝を逃してしまった。
……慶二が足を引っ張ったとは誰も言わない秘密である。
しかしそれがどうしたというのだろうか。
悠は疑問を抱く。確か六月だったので三か月近く前のことのはず。
「あのとき、ちょっと落ち込むことがあってさ。悠ちゃんの歌聞いて凄く元気出たんだよね~」
「……そうなんだ」
「だから何か悩みがあるんなら聞こうと思って」
新しい友達の申し出は、悠にとって救いだった。
それに心配を無碍にするのは心苦しい。
全て話してしまいたい衝動に襲われる。
だが、悠としては
「ありがとう。でも、本当に大丈夫だから」
愛想笑いを浮かべ、そう答えるしかなかった。
◆
「それで悠、明日なんだけどあたし頑張るからな!」
そうして授業が終わった更衣室。
制汗剤が充満した、一種独特の匂いが漂う中、愛子が悠の手を握りながら宣言した。
彼女は以前と打って変わった様子で悠に懐いている。
そんな愛子に毒気を抜かれたのか、悠を遠巻きに見ていた一部の女子たちも、悠が元男の子であることを気にしないようになっていた。
「あんた、本当に別人レベルね……」
まるで飼い主にじゃれつく子犬とばかりに呆れる実夏に対し、愛子は
「べ、別にいいだろ!?」
と狼狽える。
だがかつてのような敵意は感じられず、少女同士の微笑ましいやり取りに近い。
どうやら、二人の間も少しの変化が生まれつつあるようで、悠は一安心。
仲が良いことは何の問題もないのだが――
「愛子ちゃん、そんなにくっつかれると着替えられないよ」
「お、おう」
悠としては彼女からの友情は嬉しいのだが、それより汗ばんだシャツが気持ち悪い。
残暑も落ち着きつつあるとはいえ、それでも外で動き回れば汗だくになるのは自明である。
勿論、男の子だったころから気にはしていたが、この姿になってから特に体臭というものに注意を払っている。
決して同性とはいえ、汗臭いと思われるのが耐え難い羞恥に感じて仕方がない。
もっとも愛子に気にした様子は見受けられなかったが。
愛子が離れると、制汗剤をスプレーして悠は手早く制服へと着替えていく。
ある程度手慣れた様子だった。
女子の制服を身に着けるようになって、もうすぐ一月近くが経過する。
否応なく慣れるというもの。
「悠……。ちょっと相談に乗ってくれない?」
もしかしたらタイミングを見計らっていたのかもしれない。
実夏が言い出したのは悠が更衣室から出た直後のことだった。