六話 慌てる彼女はいじらしい。
親友の来訪にあわあわしている悠に、母が告げた言葉は簡潔。
「いいんじゃない。どうせ、いつかはバレるのよ」
「う……」
残り少ない夏休みを引き籠って過ごすのか?
悠の答えはノーである。
親友に伝えるのは心苦しいが、親友に受け入れてもらえないのはもっと辛い。
「まあ、その前に着替えなさいな。このままじゃ駄目よ」
「……うん!」
悠は決心を固め、食事を再開することにした。
◆
――ピンポーン♪
一間家に着いた慶二は、意を決してインターフォンを押した。軽快なチャイムが響く。
慶二の服装は普段着のラフなスタイル。
同性の幼馴染を尋ねるのである。お洒落などするはずもない。それに、悠と慶二の家は隣接している。まさに、勝手知ったる他人の家だった。
そんなことよりも、悠をどう慰めるかで彼の頭の中は埋め尽くされていた。
……告白が残念な結果に終わったのなら、話を聞いてやるべきだろう。
彼は、背中を押した自分にも責任の一端があると考え、思い悩んでいた。
――でも、なんて言葉をかければいいんだ?
慶二にも女子と付き合った経験はない。
初恋もまだである。
代わりに、告白された経験は何度かある。
慶二は、いわゆるスポーツ少年なのである。中学入学早々、サッカー部の若きエースと目される実力者。そこそこ爽やかな風貌と相まって、隠れたファンは多い。
しかし、彼は告白全てを断った。
――恋愛とか、よくわからん。
まだ彼は子供だった。
異性とお付き合いをするより、気の置けない仲間たちとわいわい遊びたいお年頃なのだ。
その度、「何かと行動を共にする実夏と付き合っているのではないか?」などと邪推されてしまうのだからたまったものではない。
実夏は、親友である悠が好いているのである。
彼女を恋愛対象にみるわけがない。
思考しているうちに、ドタドタと足音が聞こえてくる。
階段を駆け下りる音だ。
恐らく悠だろう。
チャイムが鳴り渡り、足音が響く。
ドアを開ければ、悠が子犬のように駆け寄ってくるだろう。幼いころから続く、いつもの風景。
――なんとなく、元気そうだな。
足音もどこか軽快に思える。
もしかしたら杞憂だったのかもしれない。
「慶二、いらっしゃい!」
否。
ドアを開けた先の光景は、いつもとは程遠かった。
◆
悠が、出来る限り明るく振舞おうと決心したのは数分前のことであった。
慶二は自分を心配して駆けつけてくれたのである。
それに、両親の言っていた「魔法」のこともある。
認識のズレを生じさせ、「ありえなくないこともない」と錯覚させるのだという。
要するに、ハイテンションで性転換を押し切ろうということだ。
一種のヤケクソであった。
だが――
「えっと……悠の妹?」
焼け石に水だった。
慶二の声色には困惑が多分に含まれている。
「いや、あいつに妹はいないよな……。隠し子? ううん、おじさんが浮気なんてするわけないし……」
「あ、あの……慶二?」
「あ! 従妹か? はじめまして、俺、悠の幼馴染の古井 慶二。悠、呼んでくれるか?」
完全に別人だと思われている。
悠は慌てて叫ぶ。
「従妹じゃない! 僕だよ、僕が悠!」
「は? いや、どう見ても女だろ」
残念なことに、親友の声色は多分に呆れを含んでいた。
――「魔法」はどうなったんだよ!
あまりの反応に、悠は憤慨しそうになる。
全く効果を発揮していないではないか!
そんな悠を、目の前の少年は怪訝そうに見つめていた。
◆
慶二から見て、目の前に立っているのは華奢な少女である。
真夏だというのに、身の丈に合っていない長袖のジャージの上だけを深々と羽織っている。それが、華奢さに拍車をかけていた。
反対に、下半身は短パンだけ。
すらりと覗く白い足が、青少年には目の毒だ。
……何度見ても、少女だ。
慶二にとって、悠とは、どこかぼんやりとした、庇護欲を掻き立てられる友人であった。しかし紛れもなく彼であり男だったのだ。
「わからないけど、昨日からこうなっちゃったんだよ!」
「いやいや、からかうのもいい加減にしろって。俺は悠に会いに来たんだ」
慶二はまともに取り合わない。
「はい、ストーップ」
美楽の仲裁が入った。
「とりあえず、二人とも上がりなさい。お茶を入れて、ちゃんと説明してあげるから」
◆
お茶の間に通された慶二は、目の前で湯気を立てる緑茶を一口だけ啜った。
――熱い。
午前中で幾分涼しいとはいえ、何故緑茶なのだろう。
畳の上で胡坐をかきながら、疑問に思う。
そして、目の前の少女――暫定・悠をじろりと睨み付けた。
彼女はぺたんと両足を開いた、いわゆる女の子座り。
ふー、ふーと息を吹きかけ、緑茶を冷まそうとしていた。
――どうみても女だろ。
本当に悠なのだろうか。
ため息が漏れた。確かに、どこか仕草は似通っている。
言われれば当人である気がしてくる。
――いやいやいや。血縁があれば似るのも無理ないだろう。
非日常を受け入れるつもりはない。
あくまで、彼女は従妹。
疑惑を打ち払い、そう慶二は結論付けた。
ようやく、美楽が慶二の前に現れた。
手には煎餅といったお茶菓子。普段なら遠慮なくバリバリと行くのだが、生憎今の慶二はそういう心境ではない。
ちなみに悠の父である平電は、すでに出勤済み。
自習室の管理であったり、講習のテキスト作成であったり、彼は早朝から忙しい。
「美楽さん、説明してください」
慶二は「おばさん」ではなく名前で呼ぶ。
悠の母は、年齢を感じさせる呼称をすると途端に機嫌が悪くなるのだ。
実際、美楽は自分の母よりかなり若い。
30代半ばだと悠から聞いている。
「お姉さん呼びでもいいのよ?」と言って、悠から「恥ずかしいからやめて!」と突っ込まれていたのを思い出す。
「ん。そうね、この子は悠よ。母親の私が言うんだから間違いないわ」
「証拠は? あるんですか?」
普段から悪戯好きな彼女のことだ。謀られているのではないか。
慶二がそう考えたのも無理はない。
「ないわね。ある意味、悠がここにいること自体が証拠っていえるかもしれないけど」
「それじゃ、納得できませんよ。熱帯魚じゃないんですよ? 悠が女の子になったなんて、俺には信じられない」
「そうね、人間ならありえないわ。でも、私たち人間じゃないのよ」
「お母さんっ!?」
母の激白に、悠が叫んだ。
「悠、覚悟を決めなさい。多分、慶二くんにはちゃんと説明しないとわかってもらえないわ。……多分、実夏ちゃんもね」
「で、でも……」
釈然としない風の悠を、美楽は頭を撫でつけて黙らせた。
傍から見れば優しい母なのだが、どこか有無を言わせぬ雰囲気がある。美楽の雰囲気に気圧され、慶二はただ黙って聞くしかなかった。