五十二話 多分これは何かの兆し。
昼食に向かった悠たちだったが、ここで若干意見が割れてしまった。
猪田が、『ヴィステリア』――夏休み、悠が二度訪れたカフェだ――を希望したからだ。
彼女は、以前から一度は行ってみたかったと言う。
しかし悠は難色を示した。
元はといえば、猪田を励ますためのものである。
悠としても出来る限り願いを叶えてあげたい。
だが、切実で已むに已まれぬ事情があった。
だからこそ心苦しくも反対したのだ。
「ごめん、あんまりお金ないんだよね……」
悲しいことに、悠のお小遣いは疾うに尽きている。
まだ少しばかりの余裕はあるが、ゲームセンターで散財するだろうし、帰りの電車賃のこともある。
猪田としても、そういわれてしまえば返す言葉はない。
結局、二人が向かったのはリーズナブルなファミレスだった。
◆
「ご、ごめんね?」
「いや……元はといえば、予定がなかったのに来てもらったんだ。文句は言わねえよ」
猪田は男前に答える。
服装といい、元の性別と正反対な気がする。
なんて悠は考えつつも、申し訳なさそうな顔。
「……なら、アイス奢ってほしい」
「うん、それぐらいなら大丈夫。あ、店員さん来たね」
悠はAセットを注文した。
ハンバーグとスープ、サラダのオーソドックスな組み合わせ。
パンとご飯は選択式である。
猪田はパスタセット。
ハンバーグと主食が消えてパスタになること以外は、悠のAセットと大差ない。
「デザートにアイス二つをお願いします」
「お味はどうなさいますか?」
「僕はストロベリーで」
悠が追加注文したというのに、猪田はだんまりだった。
何か考え込んでいる。
「……猪田さん?」
そう悠は気づいたものの、悪いとは思いながら呼びかける。
「あ、ああ。悪い。あたしはチョコレートで」
「承りました。確認いたしますね――」
朗々と店員が注文内容を読み上げ、二人が肯定すると、店員は立ち去った。
それからすぐに
「……悠もデザート食べるんだな」
猪田が訪ねてくる。
「え? ……うん」
「悠って、甘いもの好きじゃなかったような記憶があるんだけど。アイスにしても抹茶とか、ビターな感じ食べてたよな」
「……少し前まではそうだったかも」
彼女は複雑そうな顔だった。
悠としては、保健室での出来事といい、よく覚えているものだと感服するのだが。
確かに悠は、夏にアイスを食べる時も甘すぎないものばかりを選んでいた。
例に挙げられた抹茶の他にもチョコレートなんかが好み。
「もしかして、女の子になってからか?」
「そう、だね。結構味覚も変わったと思う」
流石の悠もその程度は自覚している。
以前は甘いものを食べすぎると胸やけを起こしたのだが、今では大分耐性がついていた。
むしろ、定期的に欲しくなることすらあるのだ。
「……なあ、悠。女の子になって、良かったと思ってるか?」
「うーん。お菓子が好きになったのは……嬉しいかな。今までは、ミミちゃんにあげたりしてたし」
「そういうことじゃなくてさ」
猪田はどこかもどかしげだった。
だが、悠には彼女が何を求めているのかわからない。
なので、思ったことを正直に答える。
「みんな、よくしてくれてるし、そこは嬉しいかな。怖がられてもおかしくなかったのに。それに、いつ戻れるかもわからなくて不安だったから。……でも、良かったかな、って思うこともあるよ」
良かったというのは、実夏との仲直りを含めて。
もし男の子のままだったら、あのまま顔を合わせることから逃げていたかもしれない。
そういう意味では、美楽のショック療法的なやり方に感謝するべきかもと悠は思った。
思いの丈をぶつければ、また猪田は難しそうな顔。
「――なあ、悠。後で大事な話があるから……、ゲーセン行った後でいいから屋上でも来てくれるか?」
「いいけど……」
何かを思い出す展開だった。
――どうして?
と続けようとして
「お待たせしました。Aセットのお客様は……?」
「あ、そっちです」
昼食の準備が整ったようだった。
そのままパスタセットも運ばれてきて、悠は追及のタイミングを逃す。
「何してるんだ? 食べようぜ」
「……うん」
少しの気まずさを残したまま、促されるまま悠は箸をつけた。
◆
一方そのころ、慶二たちは――
「いねーじゃねーか!」
悲しいほどあっさりと悠たちを見失っていた。
思わず、鹿山が突っ込みを入れている。
悠たちが長々と試着を続けるので、退屈になって目を離しているうちに、二人はどこかに行ってしまっていた。
それに、男三人で女性服の店を凝視するというのは、中々痛々しい光景だった。
自然と雑談の流れとなったのだが、早々に話題が尽きる。
蝶野はあまり口数が多くなく、慶二も特定の人間以外とは話が弾まない。
鹿山だけが話しているような状況になったのは、無理のないことである。
それに、話題のチョイスがよろしくなかった。
あろうことか、鹿山は
「ハーレム気味の慶二くんは、誰が本命なん?」
などと言ってきたのだ。
男三人でコイバナである。
――女子かこいつは。
ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。
はったおしたい気持ちを抑えつつ、慶二は出来る限り穏便に返すことにする。
「別に誰でもねえよ」
それでも、少しの仕返しを決めて付け加えた。
「……そういうお前らはどうなんだよ。猪田のこと好きだったりするのか?」
しかし、鹿山は涼しげな顔。
「俺はちげーよ、俺はな。……ま、そういうこと」
◆
それから、心当たりがあるという蝶野に従い、三人はこじゃれたカフェに向かった。
「……確か、姐さんはここで食事をしたいって以前言っていたんだが」
「はずれかー。お前にも当たらないことあるのな」
「……」
慶二はそんな鹿山と蝶野を見つめつつ
――いた方が怖いと思うんだが。
と一人ごちた。




