四十六話 残る熱気が暑苦しい。
土曜日。
午前中の部活が終わり、昼食休憩である。
慶二は木陰に座り込むとで弁当を取り出した。
部室で食べる気にはなれない。
少しだけ涼しくなってきた時期ではあるが、この時間帯、コンクリで包まれた運動部の部室は地獄である。
悶々と熱気漂う密室で、汗ばんだ男たちと一緒に食事など拷問でしかない。
爽やかなそよ風が頬を撫で、慶二は自分の判断が正しいと確信する。
そして、弁当に手を付け始めた。
朝、登校中にコンビニで買ったチキンカツ弁当だ。
チキンカツの下にパスタが引かれている。当然ながら白ごはんもセット。
もちろんそれだけでは足りないので、おにぎりとパンを一つずつ追加している。大量の炭水化物に炭水化物を加えた、学生だからこそ平らげることの出来るメニュー。
普段は一間家の弁当の世話になっている慶二だが、流石に休日にまで美楽に厄介になるわけにはいかない。
彼女は別に問題ないと言ってくれたのだが、本日は休み。悠の分は必要ないわけで、余計な手間をかけさせることになる。
それが理由で断ったのだ。
――お袋が作ってくれればいいんだが。
内心呟くが、すぐに無茶な相談だと自分に戒める。
慶二の両親はホテルの従業員だ。
週に何度かは夜勤の必要があり、その日は慶二が出かける時間に間に合わない。
例え間に合ったとしても、疲れて帰ってきた母には休憩をさせてやりたい。慶二はそう考えていた。
「お、今日はコンビニ飯か」
三切れ目のチキンカツに差し掛かり、白米も随分減ったあたりで声がかかった。
慶二が上を向けば、角刈りの少年が一人。
「鹿山先輩。お疲れ様っす」
「隣、いいか?」
「どうぞ」
慶二は日陰を譲ると、荷物を持って移動する。
「すまんな」
「いえ……」
鹿山は部活でも仲のいい先輩で、何かと気にかけてくれる相手である。
小学校のころから弟の銀を通じて関わりがあるのも影響している。
だというのに、慶二は余所余所しい態度をとってしまう。
慣れ親しんだ相手だからか、半年たった今でも距離感を図りかねていた。
――小学校のころは、先輩後輩とか気にしなかったよなあ。
心の中で呟くと、昔を思い出す。
あのころは上級生、下級生の区分はあっても厳格ではなかった。
親しい相手なら敬語は使わなかったし、力の差はあれど対等だったはず。
それに比べ、今は一つ上ならば敬語は当たり前だし、挨拶は下級生が欠かさず行う。
耶麻中サッカー部の気風が緩めだとしても、最低限上下関係はあるのだ。
このあたり、親友たちが羨ましい。
悠と理沙は元から丁寧なので年上への対応は変わっていないし、実夏は人懐っこくすぐに順応している。
もしかしたら自分が取り残されているのかもしれない。
慶二は少しだけ不安に感じた。
「――聞いてるか?」
「あ、すみません」
謝罪と共に軽く会釈。
会話中に上の空。例え先輩相手でなくても失礼だろう。
慶二は自戒しつつ
「もう一度お願いします」
と言った。
「いや、そんな畏まるような話じゃないんだが……うちの弟、どうなのかと思ってな」
「どう……とは?」
「あいつ、一年B組の体育祭の運営係だろ。迷惑かけてないか?」
慶二は言葉に詰まってしまった。
絶賛、迷惑を被っているところである。
何を考えているのかわからないが、犬猿の仲の二人を投入することで全体の空気を悪化させている。
別に慶二自体が被害を受けているわけではないが、モチベーションの低下を招いているのは事実なのだ。
勿論、場を弁えない二人が一番悪いのだが、采配の責任はあるはずだ。
それでも正直に話すわけにもいかず、言葉を選ぼうと四苦八苦。
結局、少しの間が開いてしまい、それで鹿山は察したようだった。
「……馬鹿な弟ですまん」
「いえ……」
沈黙が場を支配する。
どうにも気まずくて、慶二は食事を再開することにした。
「銀も、お前みたいに落ち着いた性格ならよかったんだが」
「落ち着いてますか、俺」
傍からはそう見えるのだろうか。
単にいっぱいいっぱいなだけだというのに。
過大評価だ。
慶二はそう思った。
親友のことだってそう。
思わせぶりなことを言っておいて、二の足を踏んでいる。
むしろ傷つけただけかもしれない。
しかし、悠が男に戻ったらと思うと、慶二は想いを確定させることは出来なかった。
彼女が彼に戻りたいと願っているのであれば妨げになりたくはないし、これまで通り付き合っていけばいい。
今はまだ、単なる気の迷いとして忘れられる範疇である。
――もし。
もしもである。彼女から想いを伝えてくることがあれば、自分は躊躇いなく受け入れるのだろうか?
その答えは――
「慶一さんみたいには出来ねえなあ」
鹿山の言葉で、慶二の思考は現実へと引き戻された。
「兄貴ですか」
「慶一さんみたいな、落ち着いた兄だったらまた違ったのかね」
――いや、そんなことはないだろう。あくまで俺は俺のはずだ。
慶二は出かかった言葉を飲み込んだ。
確かに兄の影響は大きいかもしれない。
それをついこないだ実感したばかり。
先日慶一に訊いた話によると、幼馴染の少女――実夏が告白してきたらしい。
それへの返答は保留――ただしかなり前向きな――だそうで。
受動的か能動的かの差はあれ、やっていることが兄弟そろって同じだと慶二は気づいたのである。
「それとも、尊敬できる兄かどうかの差か」
その言葉に、つい慶二はむっとなる。
自分は慶一を尊敬してなどいない。
むしろ、対抗意識を燃やす側だ。
数年後なら単なる反抗期で済ませられるのかもしれない。しかし、今の慶二には無理なことだった。
「なら十分、金さんは尊敬できると思いますよ」
小学生のとき、鹿山兄弟は金さん銀さんと呼ばれていた。
有名な時代劇に準えてのこと。
慶二はあえて昔のように呼んだ。
今なら親しみを込めても許される気がしたから。
「……ありがとよ」
意図を理解したのか、鹿山は照れ臭そうに笑い
「さ、早くしないと昼休みも終わるし食おうぜ」
と促した。
慶二は頷くと、水筒の麦茶を一口煽り、空を仰ぎ見る。
そこには群青が広がっていて、とりあえず悩みは捨て置こう。
そう思えたのである。