四十二話 俺の心は荒々しい。
「おぶってやろうか?」
慶二はそういうと、悠の前でしゃがみ込んだ。
「……いいの?」
「勿論。っていうか、そんなところに置いてく方が心配だろ」
「じゃあ、ごめんね?」
後ろから細い腕が回され、少女の体温を感じる。
「動くぞ」
「うん」
短く言葉を交わすと、慶二は力を入れ立ち上がる。
――軽い。
記憶を探ってみれば、悠は少年のころから痩せぎすで、身体測定などでも体重が足りないと言われる側だった。
流石におんぶをした経験はないが、あのころからこんなに軽かったのだろうか。
しかし、それ以上に慶二には気になることがあった。
……背中の感触である。
傍から見ている分にはあまり大きいとは思えなかった――年相応なのかもしれないが慶二には判別できない――何かが、今間違いなく柔らかに潰れている。
つい、背中に感覚を集中しようとして――
――俺は何を考えてるんだ!?
ハッと我に返った。
自分が彼女に手を差し伸べたのは、あくまで親切心から。
決して邪な気持ちなどではない。
――そもそも捻挫をして痛がっているはずなのに不謹慎だろう。
慶二は、自責をしながら淡々と歩く。
自然と黙り込んでしまい、何故だか背中の少女も言葉を発することはなかった。
◆
沈黙の中、慶二は今日一日のことを振り返ってみることにする。
退屈なのももちろんある。
だがそれ以上に、何か考えていないと柔らかさを堪能してしまいそうだった。
兎に角、一日中ずっと悠と一緒にいて、慶二は親友ではなく女の子と遊んでいるようだと思った。
朝からそうだった。
今朝、悠は自分にワンピース姿を見せてはにかんだ。
一月前の悠は――本意ではないといえ――想い人と出かけるときですら適当に服を選ぶ少年だったはずだ。
それが、自分と出かけるだけでもじもじとするなんて、らしくない。
彼女は、鹿山と話していたとき自然に女子の気持ちがわかると言っていた。
甘いポップコーンを美味しそうに頬張っていた。
懐かしのヒーローより、恋愛映画の方に興味を向けていた。
腕時計と服を合わせて、どちらが似合うかを確かめたりしていた。
もしかすれば些細な変化なのかもしれない。
今、背中にいる温かなそれは、確かに悠なのだ。
共有した思い出はあるし、性格も大きく変わったわけではない。
しかし、間違いなく今日一日一緒にいたのは女の子だった。
慶二は悠のことを女性だと認識し、居心地の悪さを感じていたのだ。
もちろん、一月前のあの日以降、ずっと悠は少女である。
慶二にそれを否定するつもりはないし、理解してある程度は念頭に置いていた。
でも、あくまで親友という立場を変えるつもりはなかった。
だからこそ、慶一や実夏のからかいに反発していたのだ。
慶二が感じたのは、自分と彼女の関係性が変わってしまうのではないかという不安。
悠の話した物語の騎士ではないが、自分と悠は常に友人として傍にいて、危なっかしい弟分を見守っていくのだと思っていた。
それだけ考えて、慶二は悠と実夏の恋路を応援していたときを想起した。
あのとき、二人が結ばれれば間違いなく祝福をしていた。
悠がずっと一途に見つめていたのを知っていたし、実夏も決して悪い人間ではない。
勿論、実夏ではなく理沙が――その他が相手でも協力を惜しまなかっただろう。
悠と慶二。
二人は男同士の親友だったから。
しかし、現実はそうはならなかった。
悠は失恋し、不思議なことに女の子の姿になって、実夏との友情を取り戻したのである。
そう、今の悠は女の子なのだ。
いつか、また別の好きな人が出来るかもしれない。
そしてそれは、男の子に戻らない限りは男性だろう。
もしかしたら、いつの日か悠は自分以外の男とこうして遊びに出かけるのだろうか。
自分はあくまで幼馴染でしかなく、彼女を束縛する権利はない。
名前の知らない男と――身近にいる男の可能性もある――と一緒にいる彼女を、自分は祝福できるのだろうか。
慶二の心は、あろうことか自分の想像で波だった。
かつてのことである。
慶二は、実夏と仲良くする男の子全員に嫉妬する悠を慰めた。
――馬鹿だな。堂々としてろよ。多分、ミミと一番仲がいいのはお前だから。
慶二は元気づける意味合いも込めて――無責任にそう言ったのである。
あのとき、彼には悠が何に悩んでいるのかわからなかった。
しかし、今となっては当の自分が同じような心情なのだから笑うしかない。
そもそも、悠は戻るつもりはあるのだろうか。
儚げな少女から、気弱な幼馴染の少年へと。
だとしたらあまりにも順応しすぎだと慶二は思った。
◆
「……慶二?」
悠の呼びかけで、慶二は自分が早歩きになっていることに気づいた。
自分まで躓けば背中の少女も怪我をする。
そう思い、出来る限り緩やかにペースダウン。
「えと、今日は楽しかったね」
「ん……ああ」
つい上の空のような返事になってしまった。
「もしかして、つまらなかった?」
「いや、そうじゃないけどよ」
慶二は慌てて取り繕う。
すると、何故だか悠は自分の体重を気にしだした。
想いもよらないことをいう彼女に慶二は苦笑し――意を決して訊いてみることにする。
「お前……兄貴のこと、どう思う?」
まず一番に慶二の頭に思い浮かんだのは、兄の顔。
男女関わらず当時の小学生の尊敬を一身に集めていた彼だ。
悠もよく懐いていたのを覚えている。
「うーん? 何、いきなり?」
「……なんとなく気になった」
唐突すぎたかと内心思いつつも適当に誤魔化す。
彼女は少しだけ考え込んで
「格好いいとは思うけど」
とだけ告げた。
悠の表情は、背負っている慶二にはわからない。
「そうか……」
「変な慶二だなあ……」
しきりに呟く彼女の言葉は、慶二の耳には入らなかった。
胸がざわつくのを感じていたためだ。
これが悠の言っていた恋という感情なのだろうか。
ただ弟分を他人にとられたくないという、子供じみた独占欲なのかもしれない。
いや、むしろその可能性が高いと慶二は思った。
だとしても、このままもやもやしたものを抱え込んでいては、必ず親友に顔向けできなくなる日がくるだろう。
だから、慶二は意を決して告げた。
「悠がもし女のままだったら」
「……」
少女からの返事はない。
しかし、慶二は続ける。
「このままだと、もしかしたら俺とお前は親友じゃなくなるかもしれない」