四話 僕は夢魔だったらしい。
「お話の続きはお父さんが帰ってきてからね?」
美楽にそう言われ、悠は自室の片づけをすることになった。
……この部屋で過ごすのはあくまで自分である。身から出た錆だし、居心地をよくするため配置しなおすのは当然であるといえた。
とりあえず黙々と作業を行う。
手が止まれば、余計なことを考えてしまう。
意を決して悠が倒れた鏡を起こしてやると、自分の姿が映し出される。
記憶より丸みを帯びた顔。若干たれ目気味の瞳。
黒々とした髪は、数時間前より少し長くなり、色艶が良くなったように思えた。
――やっぱり女の子だ。
動悸が早くなったのに気づき、慌てて目を逸らす。
目下、浮かぶのはこの体のこと。
両親は事情を知っているらしいので受け入れてくれるのは当然だろう。だが、他の人たちは?
性別が一夜にして変貌するなんて、異常である。
――そりゃ夢魔だからで済めばいいけどさ!
実は人外です――なんて告白すればどうなるか。
悠にも容易に想像がつく。
村八分からのマスコミによる報道。そして研究機関への引き渡し――。
漫画や映画では往々にして、このルートを辿るものだ。現実においても大差ないだろう。
百歩譲って、それでいいとしても――
――ミミちゃんや慶二、理沙はなんて思うだろう……。
そう考え、更に心に重いものが伸し掛かった。
――僕は、ミミちゃんに告白した。
そして、振られた。
まあ、そこまではまだいい。
いや、勿論よくはないのだが。
だがそのあとの対応が不味すぎる。
――僕は彼女の好意を無碍にした。
彼女の申し出は現状維持。それは、悠にとっても悪くない提案ではあった。
想いを伝え、敗れたからと疎遠になってしまうより。
友達として、「昔は好きだったんだよ」って笑いあえる関係の方がずっといいに決まってる。
悠は心からそう思ったのだ。
しかし、悠のとった回答は「逃げ」だった。実夏としても、苦肉の策だったのだろう。
長年築き上げた関係を壊したくなくて、絞り出した答えだったのだ。
それを悠は踏みにじった。
――そういえば、ミミちゃんの好きな人って誰なんだろう……。
どんどん考えが脱線していく。
悠はそれに気づくと頭を振った。
自室の惨状はまだ収まっていない。
余計なことを考える前に、為すべきことを為すのだ。
そう悠は気合を入れると、また自室の修復に取り掛かった。
◆
悠の父親が帰宅したのは三十分後のことだった。
彼の名前は一間 平電。
……断じて、彼は外国人ではない。戸籍上は、生粋の日本人である。
確かに変わった名前だと悠は幼いころから何度か思ったが、まあ人の名前なんてそんなものだと流していた。
「お父さん、お帰り……」
待ちわびたとばかりに駆け寄る元息子に、父は
「悠……本当に女の子になっちゃったんですね! 美楽さんに似て、可愛らしいっ!」
とてつもなくハイテンションだった。
「ちょ、お父さん声がおおきっ」
「男の子だったころも、凛々しかったですけどね。いやあ、どちらに転んでも僕たちの子供なだけはあります!」
……親ばかである。
褒められる悠もうれしくはない。
むしろ、顔から火が出るほど恥ずかしい。
「あなた。ストップ。まずは説明してからにしましょ」
最愛の妻の静止の声に、平電は平静を取り戻した。
「ああ、すみませんね、悠。混乱してるでしょうに。仕事がどうしても抜けられなくて」
「ううん、こっちこそごめん。忙しい時期なのに。迷惑かけて」
しょんぼりとする悠に、平電は相好を崩す。
「いえ、愛する我が子より優先することなどありませんから」
悠の頭に手が伸びる。
普段より、少し縮んだ我が子は撫でやすい。
――なんか僕、撫でられてばかりのような。
と玄関で和気あいあいとしていると
ぐぅ。
とお腹の虫が鳴いた。
悠のものである。
思えば、彼女は昼以降何も口にしていない。身体が空腹を訴えるのも、当然であった。
「先にご飯にしましょっか」
美楽がそういうと
「……絶対説明してよね」
空腹には勝てず、悠は渋々と頷くのだった。
◆
夕食後、食器の片づけが終わり、家族三人が向かい合うようにして座っていた。
今日のおかずはハンバーグだった。
箸で切れば肉汁が溢れ、視覚から食欲を誘う。
悠の大好物だ。
しかし、お腹いっぱい――といっても少食だが――食べたはずなのに、どこか物足りなさを感じていた。
とはいえ、今それを訴える必要はない。
まずは事情を説明してもらわねば。そう悠は考えた。
「ええと。どこまで聞きました?」
探るような父の声。
「僕とお母さんが夢魔で、お父さんが魔法使いってところだけ」
「本当にさわりの部分ですね。では、説明を始めましょう」
平電は塾の講師をしている。
そのためか、説明好き。息子の悠としては、興味深い内容なら嬉しいのだが、どうでもいい話だとちょっとうざい。
今回は間違いなく前者なのだが。
「まず最初に。私たち家族はこの世界の人間ではありません」
「……は?」
「悠は物心つく前だから覚えてるわけないわよ」
両親は困惑する悠をスルー。
「僕たちはこことは別の世界に住んでたんですよ。転移の魔法を試したら、こっちに来ちゃったんです」
「それが、あなたが一歳のころね。そっちの世界は、ドラゴンとかエルフとか、ファンタジーな生き物がうじゃうじゃいたのよ」
――頭が痛い。
「ひ、引っ越しってそういうことだったの?」
「まさか、世界ごと飛び越えるなんて思わず、苦労しましたねえ……」
「まあ、この町の人たちみんないい人だったから。身元も知れない私たちをすんなり受け入れてくれたのよね」
悠はもう目が回りそうなのだが、両親にとっては済んだことらしい。
「で、あたしと血をひいてる悠は夢魔って種族なのよ。こっちのゲームとかお話にも出てくるでしょ?」
母の言葉に、サキュバスを想像し、悠の顔が真っ赤に染まる。
――えっと、その、せ、性行為でエネルギーを吸い取る種族だよね。
「他人の魔力を吸わないと生きていけないのよ。それが異性だとなおよし」
「大抵、パートナーから魔力を供給してもらいますね。美楽さんの場合、僕です」
「そ、それはわかった! 理解できないけどわかったから!」
子にとって、親の情事など想像したいものではない。
慌てて悠は話を進める。
「どうして僕は、その、女の子になっちゃったの?」
「えーっと……お父さんの前で言っていいの? 振られたこと」
「もう言ってるじゃないか!」
わざとかと問い詰めたくなる母に、悠が突っ込む。
「あー。実夏ちゃん、駄目でしたか……」
「なんでお父さんはそれでわかるの!?」
悠は悶絶するが、正直、親からしても一目瞭然なほど悠の好意はわかりやすかった。
知らぬが仏とはこのことである。
「そのときに『女の子になりたい』とでも思ったんでしょうね。そのせいよ」
「夢魔って、そんなに簡単に変われるものなの?」
ならすぐに戻れるのではないか。
そんな淡い期待が悠の胸に生まれ
「無理ですね」
砕けた。
「……どうして?」
「恐らくですが、突発的な現象だと思います。幾つかの条件が重なった結果……としか言えませんね。簡単に戻るのは難しいでしょう」
悠はしょんぼり。
濡れた犬のような姿に平電の胸は締め付けられ
「とりあえず、『男に戻りたい』と強い思いを込めてみてください。一晩様子を見ましょう」
と慰めの言葉をかけたのだった。