三十八話 感性の違いは難しい。
暗闇の中、大音量が鳴り響いていた。
『――十月十七日公開』
外国人の男女が互いに手を伸ばし合うシーンで映像が切り替わり、キャストや上映系列を示すテロップが流れ始める。
映画の予告の段階である。
これが一つ目。
直前にはリバーシティのCMが流れていた。恐らく映画館限定の長尺のもの。
現在リバーシティにいる客に対し、さらなる宣伝をして何の意味があるのだろう?
慶二は疑問を覚えるが口にはしなかった。
『――あのヒーローが帰ってくる!』
今度は爆音とともに青い甲冑に似たスーツの男が現れた。
銀幕に映っているのは、慶二が幼稚園ぐらいのころに放映されていたキャラクターだ。確かモチーフはカブト虫。
未だにシリーズは継続されていて、最近は懐古層を狙ってリバイバルを行っているらしい。
慶二はたまに――それも悠と一緒のときぐらい――しか映画館に行かないのだが、意外とこういう予告の時間が好きである。
どの作品も壮大さを醸し出していて、つい想像を掻き立てられる。
悠も同様であり、いつも映画の後に「次はあれを見に行こうか」「レンタルされるまで待とう」なんて話し合ったりしていた。
――勿論実際に見てみるとがっかりすることも往々にあるのだが。
予告が切り替わったタイミング、ポップコーンを一掴み遠慮なく頂くと口の中へ放り込む。
キャラメルソースの甘ったるい味わいが広がった。
友人の頼みもあり手慰みとして食べているものの、慶二は甘味が好きではない。どちらかといえば塩味や辛いのが好みである。
それに関しても隣にいる親友は同じだったはず。
だからポップコーンを買うとしても、うす塩やカレー味が多かったというのに。
どうしたことだろう?
慶二はそう思った。
加えていえば、悠がデザート――にしては重いが――を食べるのは珍しい。
彼は少食なのだ。食べるにしても、昼食から時間をおいてからが多かったはずだ。
――いや、最近は弁当にも持ってきてたっけ?
記憶を辿ってみれば、一昨日の金曜日はゼリーを持参していた気がする。
美楽の心遣いか、慶二の分も入っていたのだが、前述のとおり好みでないのであげてしまった。
どこか不可解なものを感じながら、再びポップコーンに手を伸ばす。
重低音が腹に響くのを心地良く感じていると、ようやく映画本編が始まった。
◆
慶二たちの見ている映画は、大宇宙を舞台にした一大スペクタルのはずである。
軍人である男性主人公が仲間たちスペースシップを駆り、銀河を旅するのだ。
宣伝でも敵対する戦艦との胸躍る戦闘シーンが取り上げられていた。
だというのに、現在銀幕に映し出されているのはメロドラマさながらの光景。
一度ヒロインに想いを告げるも断られた主人公が、彼女の事情を知り、それを念頭に置いてもう一度告白する場面だった。
一言でいえば退屈。
手に汗握るバトルを期待していたのに、流れをぶった切って想いもよらないものを見せられた気分だった。
『――君のことが好きなんだ!』
『――私も……』
そしてガッツリキスシーン。
暗転して場面が変われば、ベッドで裸身を毛布に来るんだ二人の姿があった。
所謂朝チュンである。
一人ならば気にも留めないのだが、複数人で見ていると妙に恥ずかしい。
何とも言えない気まずさを感じ、慶二はそれを紛らわすようにポップコーンを味わおうとした。
すると、柔らかいものに触れた。
「あ、ごめん」
事も無げに悠が言う。
目をやれば彼女の手だったらしい。映画館なので小声だ。
「いや……」
慶二の返答も彼に似合わずか細いもの。
彼の心臓は早鐘を打っていた。
もしかしたら性的な場面を見た影響かもしれない。
少女の横顔から画面へ視線を戻すとすでに戦闘シーンが始まっている。
「ふぅ……」
安心のため息をつくと、慶二は再び映画へ集中し始めた。
◆
「面白かったね」
シネマホールを出て、ゴミ箱にジュースとポップコーンのカップを片し終わると、悠が言った。
両方空である。
悠自身も驚くことに、思いのほか多く食べることが出来た。
映画に集中していたことも余計だったのかもしれない。
とても登場人物の心情が繊細に描かれていて、思わずのめり込んでしまったのだ。
特にヒロインの少女が悠のお気に入りだった。
か弱いながらも芯に強い思いを秘めたタイプの女性で、昨日読んだ小説の主人公とはまた違うがそれも良い。
主人公と結ばれるシーンは胸に熱いものが込み上げるほどである。
もしかすると、自分に足りないものだから尊敬が湧くのかもしれない。
「あ、ああ……」
一方、慶二の答えはどこか曖昧。
しかし興奮の冷めやらぬ悠はそれに気づかない。
「キャラクターの描写が良かったから、最後のシーンも際立ったんだと思う」
うんうんと頷きつつ、出口へと進んでいく。
と、ようやくそこで慶二の様子がおかしいと悠は思った。
普段ならもう少しお互いに感想を言うはずである。
しかし彼の口数は少なかった。
「あ、もしかしてポップコーン物足りなかった?」
申し出ておきながら随分自分で食べてしまった。
それが不機嫌――かどうかは定かでないが――の原因かと悠は思い至ったのだ。
「……いや、そうじゃない。俺は甘いのそんなに好きじゃないし」
どうやらはずれだったようだ。
であればなんだろう? 悠が心当たりを考えていると、慶二が切り出す。
「そういえば、予告で流れてたヒーローのやつ、俺たちが子供の頃のやつだよな」
「うん、懐かしいよね。でも、最初に流れた映画も見てみたいなあ」
海外の高校で起きた切ない恋の物語らしい。
予告を見た段階では面白そうだった。機会があれば見てみるのも悪くないはずだ。
「……そうか。それより時計屋行こうぜ」
促され、普段より口数少なな彼に疑問を抱きながらも悠はついていく。
時計屋は二階。
たまに平電が時計を直しに行くぐらいで、悠自身は足を踏み入れたことがない。
ワクワクに押し流され、感じていた疑問はどこかへ消えてしまっていた。