三十二話 両親の昔話は凄まじい。
美楽――いやミラは、小さな夢魔の村に生まれた少女だった。
基本的に夢魔は単独行動を好む。十歳になったあたりで独り立ちし、自由気ままに旅をして魔力を供給してくれるパートナーを探すのだ。
そうして、適齢期を迎えたあたりで村に戻り、異性の同種を伴侶とする。
あくまでパートナーは、呪歌で惑わせ魅了した末に襲う餌でしかないのである。
ミラも自分も当然先達と同じようにして生きていくのだと思っていた。
しかし現実は大きく異なった。
基本的に夢魔には大きく分けて二つの力がある。
一つは呪歌。
歌に魔力と感情を乗せ、相手の心を揺さぶる力。
もう一つは魅了。
魔力を籠めた眼差しにより相手の認識を書き換え、好感を抱かせる力。
残念なことに、ミラはこの二つの力両方が弱かった。弱いどころか皆無といっていいかもしれない。
幸い見目麗しい少女ではあったが――夢魔は種族の性質上基本的に美形なのだ――、能力を使いこなせなければ夢魔の一人前とは認められない。
旅立てず無為に暮らす日々。
自然とミラは落ちこぼれの烙印を押され、村での居場所がなくなって行った。
ある日、我慢の限界に来たミラは村を飛び出し旅立った。
村長などに許可を貰ったわけではないので、二度と村へは戻れない覚悟である。
◆
人間の街に辿り着いたミラは、深々としたローブで顔を隠し、人々に紛れて過ごした。
奴隷商人に誘拐される危険性を案じてのこと。
力の弱い夢魔にとって、美貌を利用しようとする人買いは天敵なのだ。
日銭を稼いでは、なんとか飢えをしのぐ日々が続いた。
が、食事で腹は膨れても魔力は補えない。
早々に魔力が尽き、ミラは行き倒れてしまう――。
そんなところに現れたのがヘイデンだった。
ミラは、夢魔の嗅覚で目の前の男の魔力量を感じ取った。
そうして一計を案じたのである。
――この男を上手く誑かせないものか、と。
◆
ヘイデンは基本的に間の抜けた男だった。
だというのに説明好きでもある。
ミラが
「魔道士として身を立てるため魔法を教わりたい」
といえば、本来の目的に気づかずあっさりと了承し、魔法について教示し始めた。
こうしてミラはヘイデンの弟子となったのだ。
ヘイデンは、人の世界では大賢者と呼ばれていた。
魔物退治はもちろん、国の要人に召集されることもある。
弟子となったミラは、どこについていくにも一緒。そして修業の最中に魔力を奪う毎日。……ただし魔法に関しては全くといっていいほど成長しなかったが。
精々下位の中の下位の炎魔法をつかるのがやっとというほど。
さて、共に過ごすとすぐわかったのだが、ヘイデンには壊滅的に生活能力がなかった。
誰かに起こしてもらわない限り、平然と昼過ぎまで寝ている。洗濯ものをしないどころか、一度着ただけで捨ててしまう。食事は常に店屋物。
……裏を返せば、それを許されるだけの能力と財力があったのだが。
これは、村で慎ましく暮らしていたミラにとって、到底信じられることではなかった。
見るに堪えず、ミラはヘイデンの世話をするようになる――。
◆
一緒に暮らすうち、自然とミラはヘイデンに興味を持ち始めた。
世話を焼いているうちに、ミラには彼が大きな子供のように見えてきたのだ。
最初は、単なる魔力供給のために騙していただけなのに――。
それに、ヘイデンの近くに人間の女性が近づくとイライラする。
――これが恋であることに気づいたミラの心は乱れた。
繰り返すが、夢魔にとって、同種以外の存在は餌でしかないのだ。
そもそも自分はヘイデンを騙している。
身近なはずなのに遠く感じる毎日が続く。
そんなある日、ヘイデンが告げた。
「僕と結婚しませんか?」
と。
「え?」
ミラは耳を疑った。
段階をすっ飛ばしすぎじゃないかと。階段でいえば、一段や二段飛ばしの比ではない。いきなり二階へとジャンプするようなもの。
呆然とするミラに彼は言った。
「なんだか常にミラさんが隣にいないと落ち着かないんですよ。多分これは恋だと思うんです。だから、結婚しましょう」
ロマンもへったくれもない、恐ろしく真っ直ぐなプロポーズ。
だが真摯さは感じる。
そんな彼に偽ることは出来ず、ミラは応える。
「――私は人間じゃないの。夢魔で、あなたの魔力が欲しいから近づいただけなのよ。全部騙してただけなんだから」
彼女の告白をヘイデンはただ黙って聞いていた。
そして、それが終わると
「知ってましたよ。だって僕は大賢者ですから。魔力の流れる感覚なんてすぐにわかります」
と事も無げに言うのである。
「じゃあ……何故弟子に?」
「夢魔とか人とか、種族とかどうでもいいと思うんです。大事なのは人となりと個性ですよ。僕はミラさんのことが好きですから」
そんなヘイデンを見ていると、ミラはなんだかとても馬鹿らしくなった。
――種族になんの意味があるだろう。なら、今から村に戻って夢魔の男を愛せるのだろうか?
答えは否だった。
◆
二人は結ばれ、間にはハルカという子供が生まれた。
多分、男の子。
夢魔と人のハーフは事例が少なく、とても不安定な存在なのだという。
幸せな日々は――続かなかった。
大賢者が淫魔に堕落させられ姦淫しているという報が国中を巡ったのである。
出所がどこなのかはわからない。
ヘイデンの実力を妬んだ同業者なのか、もしくは彼に横恋慕しミラを蹴落とそうとした女性か。
二人は調べることもしなかった。
ミラとヘイデンにとってはどうでもよかったからだ。
そんなことよりも、生まれたばかりの子供の方が大事。
国から差し向けられる追手から逃れる毎日が続いた。
そして、二人は決意する。
禁術である転移魔法で別の大陸へ――追手の届かぬところで暮らそう、と。
しかし結果は大陸どころか、見たこともない世界――その名も地球へ辿り着いたのである。
そうしてミラは美楽に、ヘイデンは平電に、ハルカは悠となったのだ。
◆
美楽の話を聞き、悠は口をあんぐり。
「なんか、スケール凄すぎない?」
事実は小説よりも奇なり。
先ほど読んだファンタジー恋愛ものに勝るとも劣らない規模の物語であった。
これはもう両親のなれ初め話というレベルではない。
「本当に大変だったのよ? 悠の夜泣きで殺されるかと思ったわ」
「ご、ごめん」
「……冗談よ。随分話し込んじゃったわね。もう十分煮えたでしょうし、夕ご飯にしましょうか」
美楽はそれだけ言って、キッチンへ向かうとカレー皿にご飯を盛り始める。
悠が手伝おうかと申し出たが、二人分だから十分と断られる。
「――悠も私ぐらい力が弱かったら安心なのだけど……」
少し離れた場所だったので、彼女の呟きは悠には聞こえなかった。