二十六話 男の嫉妬は見苦しい。
学校中に、下校を促すチャイムが鳴り響く。
時計を見ればもう六時近くを回っていた。
気の置けない仲間たちとわいわい騒いでいるだけで、あっという間に時間が過ぎてしまう。
悠たちは名残惜しさを感じながらも、部室を後にした。
九月に入ったばかりなので、夕闇に包まれるのはまだ先のことである。
とはいえ、諸注意でもあった通り、最近は物騒なのだ。
母にも強く、気を付けるように言いつけられてある。
「悠さんは、いつも通り?」
渡り廊下を抜け、一棟の廊下を歩きながら理沙が言った。
人影のない学校は、思った以上に声が響く。
「うん。今日はグラウンド練習の日だから、向こうに行ってみる」
「そうですか。私も、一緒に下校出来たらよかったんですが」
「おいは同じ方向やから帰れるで!」
マークがアピールするものの、理沙は無視。
今ここにいるのは一年生三人組のみ。
二年生のカップルは、相変わらず二人の世界に入ってしまっていたので置いてきた。
「家の方向が同じでも、理沙ちゃんは車だから無理だよ」
さりげなく悠もマークを無視しつつ、理沙を諭す。
彼女の両親はかなり過保護。だから実夏との下校すら許されないのだと悠は知っている。
「はあ……、早く子離れをしてほしいものです」
「そういうけど、親子仲がいいってのは悪いことちゃうでー」
「……そうでしょうか?」
むむむ、と理沙は納得のいかない顔。
「おいは、おとんと仲がいいから日本に来れたんやし。おかげで、こんな仲良い友達もできた」
「……こういう、素直なところはマークの美徳だと思うよ」
出会って一年も経っていないというのに、あっけらかんと言ってしまえる彼に、悠は素直に感心する。
幼馴染や親友相手ならともかく、知り合って間もない相手では赤面してしまうだろう。
このあたり、人種の違いもあるのだろうか。
視線をやれば、理沙も満更ではなさそうな顔をしている。
間違いなく恋愛感情に発展することはないだろうが、一年生三人組の関係は悪くない。むしろ良好なのである。
気づけば、下駄箱にまでたどり着いていた。
「じゃあね、二人とも。また明日」
「ほなー」
「さようなら、気を付けて帰ってくださいね」
各々は自分の靴を取り出すと、別れを告げ散って行った。
◆
悠がグラウンドに向かうと、ジャージ姿の学生と何度かすれ違った。
部活帰りの先輩たちである。
彼らが物珍しそうに見つめてくるので、悠はつい恐縮してしまう。
「おう、一間。慶二か?」
そんな悠に堂々と声をかけてくる男が一人。
「あ、鹿山先輩。お久しぶりです」
見知った顔に、悠の顔が華やいだ。
彼の名は鹿山 金。
悠の級友である銀の兄で、一つ上。
角刈りに日焼けした肌。チャラい弟に比べると、随分真面目そうなスポーツ少年である。
「そうなんです。まだ部室にいますか?」
金とは小学校でも同じだったので、悠としては物おじせず話せる貴重な先輩。
部長として慶二の面倒もよく見ていてくれるらしく、接する機会は多い方だ。
「確かいたと思うぞ。毎日毎日迎えに来るとか、お前らは相変わらず仲いいなあ」
「あはは、幼馴染ですから」
「俺も、あと二年早く生まれて慶一さんと同級生になりたかったぜ……」
心底残念そうに言う金に、悠は苦笑で返す。
彼は慶二の兄に心酔しているので、ことあるごとに近況を聞きたがるのだ。
少なくとも、今の彼にとっては後輩が女の子になったことより、慶一の方が気にかかるらしい。
――もしかしたら、慶二の面倒を見ているのも……?
邪推してしまい、うすら寒いものを感じて悠は思考を打ち払う。
「じゃあ、部室に行ってみますね。ありがとうございます、鹿山先輩」
「おう! 前から言ってるが、どうせならマネージャーやってくれてもいいんだぜ? 女の子になった今なら益々大歓迎!」
「……考えておきます」
やんわりと断ると、悠はサッカー部部室へと歩みを進めた。
◆
「あ、慶二!」
――もし着替えていたらどうしよう? 部室には入りづらいし、ノックとかするべきなのかな?
この時間帯の部室は、薄暗くて少し怖い。
出来ることなら入りたくはない……なんて悶々としていた悠だが、あっさり慶二とエンカウントした。
彼は部室の入り口前で先輩たちに囲まれている。
全員ジャージ姿。
一応校則で登下校は制服姿が義務付けられているのだが、守る生徒なんてほとんどいない。
汗をかいたあと、制服に着替えるのも面倒だからである。先生も黙認している状況。
「ん? 誰だ?」
「彼女か、慶二?」
先輩たちがざわついた。
どうやら、彼らは悠だと気づかなかったらしい。
「違いますよ、先輩。悠です」
慶二が弁明する。
悠には、何故か彼が焦っているように思えた。
――何か、問題あったかな?
が、すぐに疑問は氷解する。
「ああ……始業式の。なんだ、いつもみたいに幼馴染が迎えに来ただけか」
「だよなー、先輩を差し置いて彼女とか有り得んよなあ?」
「……幼馴染って時点で羨ましくね?」
「じゃ、お先失礼っす。……悠、行こうぜ」
「し、失礼します」
なにやら不穏なものを感じ、二人はぺこりとお辞儀をしてすぐ部室を後にするのだった。
◆
「いやー、ビビった。先輩怖すぎだろ」
帰り道。
本気で慶二が震えながら言うので、悠はくすりと笑いそうになった。
とはいえ、彼女も肝を冷やしたのは間違いない。
「うん。まさか性別が変わったぐらいであんなに反応されるなんて思わないよね」
歩きつつ悠がそう言う。
ぴたり。慶二の足が止まった。
悠はそれに気づくと、怪訝そうに彼を窺う。残念ながら夕日の逆光を受け、慶二の表情はわからなかった。
「どうかした?」
「い、いや。なんでもない」
少しだけ悠は疑問に思ったものの、特に言及することはなかった。
「あ、そういえば日曜なんだけど……」
「日曜? 何かあったっけ?」
「忘れたの? 夏休みの初め、予約したゲームの発売日、今週の土曜だよ。それに、映画の公開日も。土曜は部活があるから日曜に、って約束したよね?」
……慶二は数秒の間フリーズ。
そして
「ああ、忘れてた。夏休み中、色々あったからなあ」
納得とばかりに頷きだした。
「ごめん……」
色々の原因は間違いなく自分。
悠は俯いてしまう。
「あ、すまん。責めてるわけじゃないんだ。……それぐらい充実してたってことだよ」
物はいいようである。
そう思いつつも、悠は親友の心遣いに、顔を綻ばせることで答えたのだった。




