二十五話 文芸部なのに騒々しい。
柵谷マーク。
彼は入学早々、類を見ない美形として話題になった男である。
その存在は、学校中でも話題で持ちきりとなり、最初の一月だけはモテにモテた。
女子からは羨望の、男子からは殺意の籠った眼差しが向けられ続けたのだ。
そう、一月だけは。
実際に話してみれば、まず大半が振るいにかけられた。
――なんか、イメージと違う。
真に勝手な話だが、一方的な先入観の前に興味を失った少女は非常に多かった。
次に会話内容である。
彼は同級生女子に
「声変りとかする前に、魔法少女のコスプレしてみたいんよなー」
などと平然と言い放つ。
「してほしい」ではなく「してみたい」である。流石の見た目も内面のフォローは不可能。
蜘蛛の子を散らすかのように女生徒は立ち去り、たった一月の彼のモテ期は終わった。
マークとしても悪気があったわけではない。彼の中では、日本とは人類総オタクな国であったのだ。
異文化コミュニケーションの難しさを感じさせる、恐ろしく一方的なイメージ。
そう、彼は所謂オタク少年――それもかなりディープな――であった。
◆
マークは母方がアメリカ人で、小学校まではアメリカに住んでいた。
人種のるつぼである米国ではハーフなどさほど珍しくはない。マークもそんな少年の一人だった。
そんな彼だが、思春期に差し掛かり、ある一つの事柄に興味を持ち始める。
父の故郷、日本である。
本屋に向かうたび、つい日本の書籍に目が行く。しかし、なんだか足踏みしてしまい、手に取るまではいかない。
だが、ある日、彼は禁断の扉を開いてしまった。
小学校のパソコン授業で、思い思いのワードを検索してよいと先生の許しが出た。
思わずマークは「日本」「文化」と入力し、ネットサーフィンに没頭する。
結局、マークが我に返ったのは授業が終わり、教師に声をかけられてからであった。
それ以来、マークは日本フリークとなった。
――寿司? 芸者? そんなものくだらない。忍者は……悪くないけど、日本にはもっと素晴らしいものがある。
マークが人生最初の日本文化として認識したもの。
――それはアニメであった。
◆
「で、水被ると女になるんか? お湯で男には戻らへんの?」
マークは珍妙な関西弁で悠に聞く。
この口調は、アニメ視聴から日本語を勉強した結果、らしい。
「ううん。ずっとこのまま」
「そっかあ、大変そうやなあ。アニメみたいにはいかんね」
――そんなにコロコロ変わる方が大変そうな気もするけど。
もし、この状況で男に戻れば間違いなく変態扱いされてしまう。それなら、まだ女の子の方がマシ。
悠は内心そう思うが、胸の中に秘めておく。
――もしかしたら理沙ちゃんは喜ぶかもしれない。
悠は未だに夏休みの激白を忘れてはいない。
ちなみに、マークも理沙好みの美少年である。
しかし、悠が訊いてみたところ、理沙は彼を女装させたいとは思っていないらしい。
……マークは理沙の天敵なのである。
彼は理沙に好意を抱いているが、あくまで日本人形然とした見た目に対して。当人曰く、最初に見たアニメのヒロインの一人にそっくりらしい。
マークは出会って早々に彼女に告白し、「そんな好意は生理的に無理」とばっさり切り捨てられたのは、文芸部の人間全員が知る事実である。
しかしマークもへこたれていない。
好意といっても恋ではなく、尊敬に近いものなのだ。
「先輩、――一番最後のおいが言うのもなんやけど、そろそろ部活はじめようや」
マークは平然と火野、水島の方へ向かう。
普段なら悠も同様に気にせず接するのだが、あれが恋人同士のやり取りとしってしまうと無理。
水島はマークが入室してからも延々と撫でられ続けていたのだ。
悠としては共感できなくもないが、火野の腕の負担が気にかかった。
「あら、ごめんなさいね。じゃあ、二学期最初の文芸部活動を始めます」
水島には、微塵も照れる様子はなかった。
逆に見ているこちらが恥ずかしい。
悠はようやく、理沙の想いを理解することが出来た。
◆
耶麻中文芸部は総勢五人の弱小部。
校則で部活の存続に必要な最低人数は五人なので、ギリギリのところで踏みとどまっている状況だ。
不人気の理由は一つ。
活動内容のなさである。当たり前だが、文芸部に大会などはない。
季節の移り変わりに一冊の本を作り、配布するだけ。
はっきり言ってしまえば、毎日部室に来る必要すらない。
自宅で原稿を作り、事前に渡すだけでも十分なのだから。
しかし、部員たちは連日集まってくる。
理由は簡単。単純に居心地がいいのである。
図書室に隣接した立地のおかげで、読む本に困らない。
しかも図書室ではないのである程度のお喋り、飲食も自由。
勇気があれば自作の原稿の感想まで頼める。
個性の強いメンバーであるが、全員本好きなのは共通しているのだ。
「悠ぁ。読んでみて感想くれへん?」
マークが取り出したのは束になった原稿用紙。
夏休みの間、心血を注いだという大作である。
「うん。わかった。ちょうど読む本なかったんだ。マークの書くお話は、独創的で好きだよ」
――ええと、一学期の作品は……忍者の血を引いた魔法少女が、現世に蘇った魔王将軍信長と戦うお話だったかな。
マークの作品はライトノベル。
アニメで培った独特の世界観、ロジックに積み上げられたそれは荒唐無稽。常に悠の予想の斜め上を行く。
あんなに怪しかった明智光秀が忠臣であり、真の黒幕がホトトギスだなんて思いもよらなかった。
……単に歴史の知識が全くないだけという発想は、悠にはない。
「悠さん、読む本がないのでしたら、こういうのはどうですか?」
夏休みのお礼とばかりに、理沙が数冊の本を持ってきた。
「えーっと……ってこれ!」
悠は表紙を見ただけで面食らう。
大木の傍で抱き合う男女。キラキラとしたエフェクトがかけられており、耽美な印象を与えてくる。
「恋愛小説ですよ。悠さん、あまりこういうの読まれないですし、折角だから挑戦してみたらと思って」
「……でも」
興味がないと言ったら嘘になる。
しかし、男子中学生が少女小説を手に取るなんてハードルが高すぎる。
「こんな本読んで、友達に噂されたら恥ずかしいし……」
「安心してください。今の悠さんは女子ですから、誰もからかったりしませんよ」
理沙は悠の手を取り微笑む。
「う、うん……」
雰囲気に気圧され、つい受け取ってしまう。
「うーむ。悠が女子になったことで、部活の男女比が逆転してしまったな」
「そういえばそうね。文芸部にしては珍しく、男の子の方が多い部活だったのに」
さりげなく先輩たちが話に入ってくる。
二人は部室内のノートパソコンを使い、原稿のプロット作りをしていたらしい。
「お約束やと男の子一人に、残りは全員女の子やしね」
「あはは、漫画じゃないんだから……なんて言ってる僕の状況も十分漫画みたいか」
マークの言葉に悠は苦笑い。
周囲には公言していないが、悠は人間ですらないのである。
「でも、その経験を活かしたお話を書いてみるのも面白いかもしれないわよ?」
「経験……ですか?」
「そう。何事も文の肥やしになるの。昔は男の子だったのに、いきなり女の子になる。そんな貴重な経験、悠ちゃんぐらいしか出来ないのよ」
水島の言葉は、悠にとって思いもよらないものだった。
女の子になって、自分だけでなく周囲との関係も変動していく。それは自分の迂闊な行動の結果でしかない。
そう思い込んでいた悠は、貴重な経験なんて考えたことは一度もなかった。
「うーん。……ちょっと考えますね」
曖昧に答えつつも、悠は内心胸が躍るのを感じていた。
イケメンなのにモテないってキャラを描こうとしたらどうしてこうなった。
ちなみにマーク君はネタとしては面白いので男子からカルト的な人気があります。一応、女子からも悪意ではなくネタ交じりで「キモい」って言われるようなポジション。