二十二話 お昼ご飯は姦しい。
あけましておめでとうございます。
ホームルームが終わり、昼食の時間となる。
生徒たちは一様に伸びをし、思い思いの友人の席へ集まっていく。
耶麻中は給食ではなく弁当制であり、休み時間中であれば何処で食事をとるのも自由だ。勿論、出入りを禁じられていなければだが。
弁当を忘れた生徒のため学食と購買があるものの、前者は安さと引き換えに味は悪く、後者は品揃えが酷い。すこぶる生徒たちの評判は悪かった。
愛子が教室を出ると、自然と猪田と蝶野の二人が続く。
自分たちを彼女の舎弟と言って憚らない彼らの行動は早い。このあたりが彼女が女番長と呼ばれる由縁。
慶二も、友人たちの元へと向かう。
悠と実夏、理沙のいつものメンバーである。
始業式から直接テスト週間に移行したため、学校で昼食を食べるのは、二学期では今日が初めてだ。
クラスの男子生徒の視線が、慶二を貫いた。
女三人に囲まれたハーレム野郎――とでも言いたげだ。目は口ほどに物を言う。
慶二は後ずさりそうになり、思い直す。
一学期までは男女均等のグループだったはずで、謂れのない冤罪である。
「あ、朝渡すの忘れてたけど、慶二の分のお弁当だよ」
悠はカバンから取り出すと慶二に手渡した。
ブルーの茶巾袋に包まれたそれは、ずっしりと重い。
視線が殺意を帯びた。
慶二はそう思った。
この弁当は、悠が作ったわけではない。
慶二の両親の職業上、生活サイクルは独特である。そのため朝、弁当を作る余裕がないことが多い。
そんな事情を酌んだ美楽が、二人分作っているのだ。
彼女曰く、
「悠はあんまり食べてくれないから嬉しい」
だそうで。
当然、一学期に何度もこの光景を目撃したクラスメイト達も知っているはずである。
だというのに、射殺さんばかりの視線が慶二に集中する。
恐ろしいことに、一週間もすればクラスの男子たちも悠を女子として――性的な意味で――見るようになった。
確かに、現在の悠は間違いなく美少女である。
基本的に真面目だし、押しの弱いところは女子と見れば庇護欲をそそり魅力的。
それについては慶二も同意するほかない。
「ああ、ありがとうな」
出来る限りの平静を装い、慶二は受け取った。
そして
「……今日は別の教室で食おうぜ」
と絞り出すように言うのだった。
◆
幸いなことに、誰もいない空き教室はすぐに見つかった。
四人は適当な机を見繕うと寄せ合い座った。
それぞれが弁当を広げていく。
悠は小さめのブルーの弁当箱。手のひらサイズの一品だ。
その上、積み重ねるタイプではなく、一重だけ。
一学期から変わらず同じもの。男のころから少食だったので、少女となった今でも買い替える必要はなかった。
彩り鮮やかで、野菜と肉がバランスよく配置されている。
少しでも我が子の栄養バランスを配慮しようとした、母の愛の賜物。
悠は弁当箱を見るたび、一時期母がキャラ弁にはまっていたことを思い出す。
開けるたび、有名アニメのキャラクターが飛び出すので――手間は認めるものの――恥ずかしくて仕方がなかった。
主に小学校低学年で卒業して当たり前のような作品ばかりがチョイスされるのだ。
一言でいえば、母の愛が重い。
今のお弁当には、あまり好きでない――例えばピーマンなど――が欠かさず入っているのだが、あの頃よりはずっとマシ。
悠はそう思った。
一方、慶二のものは、重さが示す通り黒塗りの巨体であった。
A4のノートほどの面積で、更に二重。調理者が同じなので、当然中身は悠のものと一致している。しかし、圧倒的に量が異なっていた。
軽く見積もって四倍はあるだろう。
「相変わらず、悠は少食ねえ」
実夏が呆れたように言う。
彼女の弁当箱は、面積だけなら悠のものと同じ。鮮やかなピンクが女の子らしい。だが、高さが大きく異なる。
三段重ねの大容量タイプ。
驚くべきことに、彼女の弁当はこれで終わりではない。本来なら四段重ねなのだ。ここまでくれば慶二のものと大差ない上、可愛らしいという次元ではない。
しかし、その一段の中身はとうの昔に彼女の腹の中へと納まってしまっていた。所謂早弁というやつである。
「どちらかといえば、ミミさんが太らない方が不思議です」
理沙は目を細めて言う。
手にした弁当箱は、悠のものと大差ない。
最近彼女はダイエット中らしい。
曰く、バカンスの際、ワンピースタイプの水着を着て腹周りの弛みを悟ったとか。
結果、母に頼み込み、無理なくダイエットを遂行できるメニューを継続的に続けている。
悠は彼女の家を訪れたとき初めて知ったのだが、理沙の母親は料理研究家らしい。
注視すれば、弁当の中身は肉のようで実は豆腐だったりしている。
まるで精進料理である。
「食べたら運動する。これが全てよ」
ふふんと実夏が自慢げに鼻を鳴らす。
事実、彼女は胸を除けば非常にスレンダー。半袖のカッターシャツとスカートから覗く手足には、しなやかな筋肉がついていて、野性味を感じさせる。
一部分とそれ以外のギャップが、女性らしさを強調していた。
無意識に目をやってしまうのは仕方ない。
悠は、かつての行いを弁解するかのようにそう思った。
「むむむ」
理沙は悔しそうに唸る。
基本的にインドア派の彼女としては、実夏のような真似は逆立ちしても無理だろう。
それどころか、理沙は逆立ちすら出来ないのだ。
男子の最下位が悠であれば、女子のそれは理沙。
これからは同じ土俵で二人が最下位争いを繰り広げることとなる。
――でも、そんなに理沙ちゃんは太ってないと思うけど。
たこさんウインナーを小さな口に放り込んで、悠は内心でそう呟く。
男の子の経験があるからかもしれないが、悠は少しぽっちゃり目の方が女の子は魅力的だと思う。
抱きしめたときに折れてしまいそうな華奢さより、柔らかな弾力を求めたい。
……何故か悠の頭を過ったのは、夏休み、慶二の部屋に忍び込んだ時のことだった。寝ぼけた彼に抱きしめられた。
――僕も、そんな風に思われたのだろうか。
そんな考えが浮かび、悠の頬がいきなり熱を持ち始めた。
もしかしたら、自分はとんでもなく恥ずかしいことをしたのではないか。
何故か半月以上経過してから悠はようやくそう思い始めた。
「どうした?」
訝しげに自分の顔を覗き込んでいる慶二に気づき、慌てて手を振る。
「いや、なんでもないよ。なんでも……あはは」
慶二は怪訝な顔をしたままだったが、
「まあ、運動することはいいことだな。そうでもないと、悠や理沙は引き籠ったままだろ」
とだけ言って、白米を口へと掻きこんだ。
どうやら、体育祭のことらしい。
「へえ、そんなこと言うなら、本気でやりなさいよね」
すかさず実夏が応えた。
慶二は途端に、しまったとばかりに苦々しい顔をする。
先ほどのホームルームで、慶二一人の反対を押し切り、リレーへの強制参加が決まった。
メンバーは実夏、愛子、慶二、蝶野の四人。
案の定というか、慶二の懸念通りの女子二人が選抜されたのであった。
面倒事に巻き込まれたくないのだろう。
慶二は助けを求めるように親友をちらり。
自分が二人の今回の対立の焦点となっていることは悠も知っている。
親友の頼みとあらば聞いてあげたいのも事実。
だが、彼女は曖昧に笑いを浮かべることしか出来なかった。