十八話 クラスのみんなは優しい。
校長先生のそこそこ長い話が終わった。
彼は今年、初めて校長に就任したらしい。
悠たちの入学式で
「私も皆さんと同じ学生の頃、式の度、先生が長い挨拶をするのが疑問でした。校長として、簡潔にわかりやすいお話をしたいと心がけています」
なんて告げて生徒の笑いをとっていたのだが、一学期の終業式のころには間延びしたスピーチをするようになっていた。
そして、今回は更に時間が伸びた。
――もしかして、一種の職業病なんじゃないかな。
なんて悠がぼんやり考えていると
「えー。全校生徒にお伝えしておきたいことがあります。本日から、一年B組の一間 悠くんが女子生徒として学校に通うことになります。一間くん、前へ」
教頭に名前を呼ばれてどきり。
事前に教えてもらっていたのだが、それでも心臓が早鐘を打つ。
このためにわざわざ学年の最後尾にいたのだ。
立ち上がり、体育館の脇を通りステージに立つころには、真っ赤な茹蛸が誕生していた。
それと同時に、学生たちが小さくだがざわめき始める。
全校生徒の前に出るなんてことは、悠にとって生まれて初めての経験である。
ステージ中央のマイクの前に立つ前、手で頬をぱちんと叩く。
――お母さんも言ってた。掴みが大切だって。
自分に言い聞かせるように心の中で呟くと
「ひ、一間、悠です。こ、これからも、よ、よろしくお願いします」
お辞儀――と同時にマイクに頭を打ち付けた。
キィィーン――と耳障りなハウリングが響く。
これには教師陣も苦笑い。
「……やると思った」
誰かが呟き、悠をよく知る級友たちは一様に生暖かい視線を送る。
何はともあれ、紹介は終わった。
脱兎のように悠は駆ける。
呆気にとられていた教頭はハッとし
「え、え~っと。一間くんの性別が変わった原因はわからない。しかし、これからも仲良くするように。また、女子生徒たちも出来る限りサポートをするように」
と締めくくった。
◆
悠が額を抑えながら戻ってくると、クラス全員の瞳が一斉に彼女に向いた。
「ひっ」
悠はつい後ずさる。
しかし、瞳の宿るものは決して悪感情ではなかった。
どこか、微笑ましいものを見つめる様な眼差し。
とりあえず、アクシデントにもかかわらず掴みはOKだったようだ。
教頭も、悠が着席したのを見届けると
「え~。夏休みが終わったからといって、気を抜かないように。数か月前の男子高校生の失踪事件は未だ解決していない。特に、女生徒は出来る限り登下校は複数人で行うように」
と諸注意へと移行していった。
◆
式が終わり、全員教室へと帰る。
「まさか、吃驚したわ。全校の前に悠が出るとは思わなかった」
途中、実夏が話しかけてきた。
「うん、なんか、お母さんが先生に頼んだんだって。まず、全員に知らしめておいた方がいいって」
本音を言えば、悠としては余計なお世話。
顔から火が出るかと思うぐらい恥ずかしかった。
「いえいえ。中々立派でしたよ。間違いなく半数以上の心を掴んだと思います」
理沙だ。
ガッツポーズを見せている。
恐らく、彼女としては嫌味や毒舌を言っているわけではない。
素なのだから質が悪い。
「……だといいけど」
反論する気にもなれず、むくれっつらで返す悠。
始業式での出来事は、間違いなく彼女に精神的ダメージを刻んだのだ。
◆
教室に着いてすぐホームルームが始まる。
予定時刻より少し式は終わったのだが、その分押して進めるスケジュールになったようである。
学生たちも異論はない。
小さな休み時間より、長い放課後の方が待ち遠しいのだ。
「始業式で教頭が仰ったとおり、悠さんが女子生徒として通うことになりました。悠さん、もう一度だけ前に出てもらえる?」
「……はい」
先ほどの珍事を思い出し、また心臓がバクバク。
出来る限り平静を装いつつ、悠が前に出る。
「ええっと。二週間前、朝起きたらこうなってました。いつ戻るかもわからないけど、よろしくお願いします」
悠はぺこりとお辞儀。
流石に今度はマイクがないので頭をぶつけたりはしない。
教室を見渡すと、全体的に級友たちの眼差しが柔らかく感じられた。
――確かに、掴みはOK。
先ほどの出来事を想い返すと赤面するしかないが、悠としては安心する。
受け入れられないのは仕方ないと思っていても、無用な軋轢も困る。
「はいはーい!」
悠が席に戻ろうかと思った直前、軽薄そうな男子が手を挙げた。
彼の名は鹿山 銀。
悠が今朝教室に入ったとき、話しかけなかった一人である。髪は染めていないものの、いかにもチャラい雰囲気の男子。
「鹿山くん、今は質問の時間じゃないんだけどな」
木戸の声は咎めるよう。
しかし、悠は困ったように
「いえ。大丈夫です。鹿山くん、何?」
質問を受け付けることにした。
「悠って、パンツとかも女子の履いてるのか?」
「……」
場が凍りついた。
れっきとした、紛うことなきセクハラであった。
一瞬の静寂を破り
「死ね、鹿山!」
「エロ鹿山、地獄に墜ちろ!」
暴言の嵐が鹿山を襲った。
クラス中の女子の敵意が、鹿山に向いたのである。
「悠ちゃん、こんなバカのこと気にしないでいいからね」
「まあ、元から女の子みたいだったしね……」
「一間くん、もし変なこと言われたらあたしたちに伝えてよね」
少し聞き捨てならない台詞は聞こえたものの、悠は女子たちに受け入れられた。
曖昧に微笑みつつ、悠は自分の席へと戻る。
そのとき、彼女は確かに見たのだ。
鹿山が自分に向けてサムズアップをする姿を。
悠は、胸の内に暖かいものを感じていた。
◆
席替えの後、宿題の提出と続き、本日のホームルームは無事終了した。
途中、実夏が
「すみません先生、宿題一つ忘れちゃいました!」
なんて言うアクシデントもあったが。
慶二は思う。
絶対嘘だ。
多分、自宅でやると言っておきながら手つかずのままこの日を迎えたのだろう。
あいつはそういうやつだ。
「――明日までだからね?」
木戸も見透かしたかのように仄めかす。
対する実夏は笑って誤魔化す。
そんな一幕は兎も角、解放された生徒たちは下校していく。
午前終わりなので、食べ盛りの彼らはおなかペコペコなのだ。
実夏と理沙も早々に離脱。
実夏は
「あー、明日から実力テストとか、憂鬱だわ……」
なんて言い残していった。
教室に残ったのは、悠と慶二だけ。
席から立とうとしない悠に、つい慶二まで付き合ってしまった。
「……帰ろうぜ?」
なんとなく気まずくて慶二が口を開いた。
「あの、慶二……」
悠は口をもごもご。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
「いや、あのね」
慶二が顔を覗き込めば、彼女は赤面していた。
「緊張したせいか、疲れちゃって……。学校で悪いんだけど、魔力欲しいなって……」
◆
「ぁぁっ……あっ……」
悠の喘ぎ声を極力耳から排するよう努めながら、慶二は手を握る。
厳しい残暑の季節だというのに、窓は閉め切りドアも内側から鍵をかける。
嬌声を外へ響かせないための配慮なのだが、傍からはまるで情事に及んでいるようであった。
「ぅぅ……もっとっ……ふぁぁっ……だめっ……」
悠の顔は真っ赤である。
羞恥のためなのか、快楽のためなのか。
単に暑さという可能性もあるが、焼き切れそうな慶二の脳みそで判断することは出来なかった。
カッターシャツから透けたキャミソールが慶二の視線を誘う。
慶二は振り払うように瞳を閉じ、脳内でひたすらお経を唱える。
少女の汗の香りが、鼻孔を擽っていた。
そうして、たっぷり三十分生き地獄を堪能してから、二人は下校することなった。