十七話 クラスの空気が息苦しい。
登校中、親しい友人とは殆どすれ違わなかった。
普段より早めに出たので当然である。
狙ったわけではないが、衆目に晒されるのを免れたのは、悠にとってありがたい。
耶麻中学校。
一学年四クラスと少し小さめの中学校。
これが悠たちの通う学び舎である。校舎は古ぼけつつあるものの、歴史を感じさせるその厳かさが悠は好きだった。
悠は、慶二と校門前で一度別れるつもりだった。
まず職員室に向かうよう、母から言われていたためだ。
「じゃ、慶二。後で教室でね」
そう告げ、さっさと職員室に行こうとする。
「ちょっと待て。俺も行く」
「え?」
「あんまり早く教室行っても誰もいないしな。付き添うぜ」
悠は少し考えると、慶二が適当な理由をこじつけたのだと察した。
別に、彼一人で教室にいても何の問題もない。
それに、実夏たちの登校時間は早めなのですぐに話し相手も見つかるはずだ。
実のところ、自分のためなのだろう。
そう悠は結論付けた。
教師との話が長引けば廊下に生徒が増える。そうすれば、自然と悠が注目を浴びる。
その際、一人にするのが気にかかったのかもしれない。
「うん。わかった。……ありがと。ちょっと待っててね」
本音を言えば心細かった悠は素直に礼を言う。
そして、二人は職員室へと向かった。
◆
会話の相手は、担任である木戸 静だった。
一昨年、新任してきた若い女教師で、科目は国語。少し厳しいところはあるものの、生徒に親身になってくれる評判の良い先生だ。
若いとはいえ、中学生からすれば大分年上。大人の色香を思わせる肉感的なボディは男子中学生には少し目の毒。悠も、一学期は少しドキドキしてしまった。
「大変だったわね、一間くん」
「いえ……。もう慣れました」
「一間くんのサポートは我々も行うから、問題があればいいなさい」
新任教師ということで同席していた教頭も気遣わしげに言う。
「はい。ありがとうございます」
「えっと。これからは学校でも女子として扱うからね? いいかな?」
「……はい。問題ありません」
要するに、トイレや更衣室は女性用を使えということである。
この後、二言三言交わしただけで、両親の手回しのおかげか、驚くほどあっさりと用事は終わった。
「ん、終わったか?」
職員室を後にした悠に慶二が声をかけた。
彼は中に入らず、壁にもたれて悠を待っていた。
「待たせてごめん。じゃ、いこっか」
廊下も疎らに人が増え始めている。
悠たちは自分たちの教室である一年B組へと急いだ。
◆
「悠! おはよう!」
「おはようございます、悠さん」
教室に入った悠を迎えたのは実夏と理沙だった。
「うん、おはよ……」
悠は肩で息をしながら返事をする。
耶麻中の教室は、階数と学年が反比例する。一年生は三階。二年生は二階。三年生は一階である。
出来るだけ人目につかないよう、急いで階段を駆け上がった結果、悠は体力を使い果たしてしまった。ただでさえ運動が苦手なところを女性化したので尚更だ。
「よう、二人とも」
一方慶二は涼しい顔。
鍛え方が違う。その気になれば悠を抱えてでも悠々と登るだろう。
「やっぱ、スカートなのね」
「うん……似合わないかな?」
「逆逆。凄く似合ってるわよ!」
曇った悠を、実夏が抱きしめる。
同性のスキンシップということなのだろうが、悠には慣れない。
かつての想い人というのだから尚更である。
「ごほん、実夏さん、悠さんを離してください。悠さん、そこにいると通行の邪魔ですよ」
理沙の警告。
悠たちがいたのは教室の入り際。
必然的に蓋をする形になり、とても目立つ。
悠は赤面し、慌てて離れた。
「一間、お前女になったって本当だったんだな」
後ろから、男子生徒が声をかけてくる。
普段話さない相手だった。
じろじろと、胸やスカートにより露出した太ももを見られ、悠は委縮しそうになる。
「うん。起きたら、こうなってた」
「マジでそんなことあるんだなあ……。見るまで信じられなかったわ。ま、頑張れよ」
興味はあるのだろうが、話が続かず去っていく。
悠としてもどう話題を広げればいいのかわからないので、ほっと一息。
「悠君、噂には聞いてたけど……うわー。ホントに女の子だ~!」
今度は女子生徒。
「う、うん」
噂になっていたのか。
悠は複雑な心境である。
「ショックだよ~!」
きゃぴきゃぴした娘で、悠はテンションについていけない。
悠は、友達百人できるかな、なんてタイプではない。浅く広くではなく、少数の友人と深い付き合いをしたい性格。
クラスメイトでも話さない生徒は多いのだ。
異性であったとあればなおさらである。
「だって、あたしより可愛いし~! 元男子に負けてる女子ってなんなのよって言いたくなる~」
「一香。あたしもそう思うわ……」
悠の困惑を余所に、実夏と意気投合。
一香と実夏は肩を組み、窓まで行き、何やら叫んでいた。
「なんか、僕が女の子になっても皆普通だね」
悠がこぼす。
もっと大騒ぎになるかと思っていた。
順応してもらえるのは嬉しいが、アイデンティティを考えるともやもやとした気分。
「……本当に悲しんでる子は、私みたいに意外と近くにいるかもしれませんよ?」
理沙がぼそりと漏らした言葉は、悠の耳には届かなかった。
◆
悠たちが教室に入ってから十分ほど。
予鈴が鳴り、全員思い思いの場所に着席していた。黒板に書かれていたのだが、始業式が終わった後のホームルームまで、自由に席は選んでいいらしい。
悠たち四人は、窓際の席に固まって座っている。
早朝から登校した特権である。
最初、あっさりクラスに馴染めそう……なんて軽く考えていた悠だが、そうは問屋が下ろさなかった。
声をかけてきたのは軽薄そうな男子が殆どで、残りの男子と女子は最初の一香を除くと遠巻きに眺めているだけだった。
誰かがぼそりと
「これから悠くんと一緒に着替えたりするのかな」
なんて呟いたのが影響しているのかもしれない。
それを聞いた実夏は憤慨した。当然ながら、彼女は悠の変化を受け入れた側の人間である。
しかし、悠は、内心当然だと思っていた。
簡単に受け入れてくれた友人たちが異常なのだ。あまり仲の良くない生徒であれば、抵抗を感じて当たり前。
無理に押し付けるのではなく、少しずつ受け入れてもらえればいい。
「はい、みんな注目~」
担任の木戸が、生徒に呼びかける。
「これから、体育館に移動します。並び方は男女別の出席番号順よ。始業式が終わったら、ホームルームを行うので、時間までにちゃんと着席するように」
「「は~い」」
気まずさを払拭するような、元気のよい返事。
一見緩いが、生徒たちの行動は素早い。
悠には、木戸と生徒の信頼関係を示しているように思えた。
◆
体育館。
夏場なので木の床がひんやりとして気持ちいい。
悠は女子の列に並んでいる。
特に誰も異論を挟むことはなかった。
ハ行なので本来なら真ん中より後ろぐらいなのだが、今回だけ一番後ろ。これは、今朝職員室で指示されたことである。
スカートを床とお尻に挟むように気を付けて座る。
今朝から座るとき、気を付けようと何度も自分に言い聞かせてきた行動だ。
一香は、そんな悠を見て
「あ、心配ないみたいだね~」
と言った。
彼女の苗字は代々木という。いつもなら彼女が最後尾である。
「うん。お母さんに結構厳しく言われたからね」
一香は、一学期では関わりの薄い生徒だった。
しかし、話してみれば――テンションの高さはともかく――とっつきやすい。
「ふ~ん。いいお母さんじゃない。うちのお母さんとか、私が男になっても注意とかしてくれなさそう~」
――もし男の子に変わったなら、お父さんが手ほどきをするべきじゃないのかな。それに、男は注意することなんて殆どなくて楽だった。
先ほどのスカートについてもそうだが、女性は気にしなければならないことが多い。
座るとき股を開かないようにしたり、歩幅を小さくしたり。
階段を上るときなんて、急いでいることもあって中身が見えるのではないかと気が気でなかった。
母のしつけに辟易していたこともあって、内心悠はそう思ったのだが、口にはしない。
そして、チャイムが鳴り、式が始まった。