十六話 さすがに僕も恥ずかしい。
結局、慶二は三日のうちに宿題を終わらせ、旅立っていった。
……その前日に魔力供給を行い、精神を磨り減らすことになったが。
宿題が殆ど手つかずだった実夏は、それ以降も連日悠の家に押し掛けることとなった。
悠としては、内心とてもうれしい。
ぎくしゃくしてもおかしくない告白の後だというのに、関係性が変わることなく付き合えているからだ。
理沙もほとんど毎日来た。
彼女は色々なお稽古に縛られ時間を取るのが難しいのだが、バカンスで会えなかった穴埋めをするかのように、足しげく通う。
そして、あっという間に激動の夏休み後半は終わった。
◆
始業式前日。夏休み最後の日。
悠は特大の渋面を作っていた。
「これ、着なきゃ駄目なんだよね……?」
悠が女になってから二週間が経過していた。
結局、男には戻れていない。
まあ、それだけ経てば女性の服にも慣れつつある。
目の前にあるのは制服である。
もちろん女生徒用の。
「そうね。先生方の方に連絡はしてあるし、処理も終わってるわ。二学期からは女子生徒ってことになるわね」
事も無げに美楽が答える。
悠としては、仕方ないと思える。
結局事態は好転していないのだから。
だが。
それでも。
受け入れられないことがあるのだ。
「スカート……」
そう。
当然ながら女子用の制服はスカートである。
この事実は、夏休み中一貫してズボンで通してきた悠に、大きな精神的打撃を与えていた。
可能性を考えなかったわけではない。
女子の制服は、一学期中に見慣れたものである。男に戻らなければ自分が着用することになるのは道理。
しかし、悠は現実から目を背けてきた。
実夏の面倒を見ることは、彼女にとって一種の現実逃避となっていたのである。
幸い、上は男子のときと変わらないカッターシャツ。女性用ではあるが、サイズの違いだけなので抵抗はない。
残暑が厳しい間は夏服で通すことが出来る。
もちろん、それ以降はブレザーを羽織ることになるのだが。
「ズボンじゃ、駄目?」
「諦めなさい。っていうか、そっちの方が余計目立つわよ」
悠は、熟慮に熟慮を重ねた。
男としての矜持を捨てスカートを履くか。
三年間、異彩を放ち続けるか――。
結論は、前者だった。
◆
美楽としては内心、「どっちでも登校初期は目立つだろうけど」と思っていたが口には出さない。
メンタル的に弱い悠の場合、登校拒否になりかねない。
――まあ、登校しちゃえばなんとかなるでしょ。
そう美楽は考えていた。
悠は、我が子ながら友達は多くないが友人関係に恵まれた子なのだ。
「魔法」の通じない慶二や実夏は、人外であるという一間家の告白を二つ返事で受け入れてくれた。
理沙の対応も然り。
あくまで「魔法」とは、「突然性別が変わることもありえる」と認識を書き換えるもの。女性になった悠を受け入れるかどうかは別の話。
だというのに、彼らは忌避することなく友人でいてくれる。
これほど幸せなことはないだろう。
夢魔である以上、避けられない困難というものがある。
悠はその第一段階に立っただけ。
しかし、娘を支えてくれる友人がいれば大丈夫。
美楽はそう信じているのだ。
◆
翌朝。
決意はしたものの、悠は悶絶していた。
まるで、触れてはならぬもののように、おっかなびっくり手を伸ばす。
「いい加減にしなさい! 遅刻するわよ!」
傍から突っ込みが入った。
美楽である。
珍しく朝早くに目が覚めたとはいえ、このままうだうだしていては遅刻は確実。
「ショーツ着けてブラジャーしておいて、今さらでしょうに」
諭すように言われてしまうと、悠としてはぐうの音も出ない。
――よし!
悠は、いつものように気合を入れ、頬を叩く。
――もう。やるしかない。
◆
慶二は、いつも登校より少し早い時間に家を出る。
登校に要する時間は二十分ほど。だというのに、三十分以上前である。
理由は、一間家へ立ち寄るためである。
悠は朝が弱いため、登校中、あっちへふらふら、こっちへふらふらと心配極まりない。
そんな幼馴染を、彼が心配し朝迎えに来るのは必然といえた。
ちなみに、彼の通う中学は朝練を廃止している。
昨年から校則で一律禁止にされているのだ。
睡眠時間などの悪影響を懸念してとか、一時期色々ニュースになった記憶があるが、慶二としてはどうでもいい。
兄である慶一と比べ、練習不足なのではないかという懸念がちらりと過る程度。
慶二は、特に意識することなくチャイムを鳴らす。
いつもなら出迎えるのは美楽。
『悠、まだ準備してるからちょっと待ってね』
なんて言われて、リビングに上がらせてもらう。
それが、彼の日常。
どたどたと音がして、ドアが開いた。
何か、デジャブ。
「慶二、おはよう!」
悠だった。
妙に、テンションが高い。
「よ、よう」
慶二は何か違和感を覚えた。
――あ。
上半身はカッターシャツ。
今までと違い、主張する膨らみがあるものの、慶二はスルー。慣れという名の一種の諦めである。
下半身が、ひらひら。
丈は同級生に比べ長めなものの、悠が動けば合わせて広がる。
学ラン姿のあどけない男子生徒ではなく、間違いなく女子生徒がそこにいた。
◆
「スカートだよ、スカート!」
「あ、うん。そうだな」
気圧されたのか、慶二は気の利いたことは言えず、あいまいな返事。
が、これは正解だった。
あくまで、悠はスカートを履いて喜んでいるわけではない。
現に、彼女の顔は真っ赤。
いつぞやと同じく、完全なヤケクソ。
羞恥が極まった結果、燥いでいるだけである。
「凄いよこれ、ひらひらして面白いんだ」
本心と全く異なることを言う。
下半身のすーすーした感覚は、悠にとって明らかに未知のものであった。
布にはそれなりの重さがあり、簡単なことで捲れあがるとは思えないが、それでも不安はぬぐえない。
もういっそ笑い飛ばしてほしい。そんな気分。
「こういうの学園ドラマのシーンであったよね」
そう言って悠はくるくると回り出す。
自然と裾は広がっていき……。
「――ストーップ!」
白い何かが見えそうになり、慶二は叫ぶ。
「ふぇあ? う、うん」
「落ち着け、それで動き回るな。見える」
何が、とは言わない。
悠は首をかしげ――ぼっと火を噴くように真っ赤になった。
「お、お見苦しいものをお見せしました」
「いや、見てない。わかればいいから、わかれば……」
慶二は、悠を落ち着かせようと必死に宥める。
「まあ、行くか……」
「う、うん……」
二人の足取りは、重い。
一緒に登校イベントを作るためだけに廃止される朝練。