十四話 なぜだか僕は誇らしい。
「やっぱり、女の子になっちゃったから、もう慶二とはずっと親友でいられないのかな?」
――どうしてその結論に至ったんだ。
慶二は、そう叫びたくなった。
――そして、俺はどう答えればいいんだ。
普段なら、彼は即答で
「そんなの変わらねえよ。俺たちはずっと親友だろ?」
と告げていただろう。
恥ずかしげもなくそう口にできる彼の青さは、一種の美徳といえた。
だが、何故か今だけは出来なかった。
上手く説明できない未練が、彼の口を塞いでいた。
寝起きのせいか、口の中がカラカラに乾いている。
いつもなら明瞭な自分の心に、まるで靄がかかったかのよう。先ほどまで掻き抱いていた少女の残り香の影響だろうか。自分が何を想い、何を感じているのか。今の慶二には、全くわからなかった。
「……わからん」
「そっか……」
慶二がぼそりと呟くと、悠は項垂れる。
「違う……違うんだ」
そんな悠が見ていられなくて、慶二は続けた。
「お前は、悠だ。幼馴染……親友の、悠。それは、間違いないんだ」
「うん……」
自分の心境を再確認するかのように、言葉として紡いでいく。
――それは、これからも永遠に変わらない。
たった一言を付け加えればいい。
そうわかっているのだが、慶二の口は動かなかった。
――俺と悠は、親友だよな?
それは、間違いのない事実である。何に躊躇いを感じているのか。
慶二は何度も自問自答を繰り返す。
だが、答えは出なかった。
「……やっぱ、わからん」
「……どっち?」
「あーもう!」
頭をがりがりと掻き毟ると、慶二は意を決した。
「俺たちの関係が変わらなければ、ずっと親友ってことだよ! 終わり!」
とりあえず、胸の内を全て吐き出した。
悠は一瞬呆気にとられ――
「あは……あははは……!」
大爆笑。
「い、意味わかんない!」
関係が変わらなければ、関係も変わらない。
質問に対しなんの答えにもなってないじゃないかと言い、悠は身をよじる。
――俺はお前が意味わかんねえ。
何がそんなにおかしいのか。
慶二の困惑を余所に、悠はまるで鈴が転がるかのような音色で笑う。
何故だか、目の前の少女が笑っていると、慶二まで心が明るくなるのを感じていた。
吊られて笑い出す。
一しきり二人で笑いあうと
「……要するに、現状維持ってことだよ。わかったか?」
「うん、わかった。ごめん、これからは気を付ける。だから、よろしく、慶二」
二人は堅く握手を交わす。
このときだけ、慶二は確かに同性の絆を感じた。
――そうだ。姿が変わっても、悠は悠なんだ。
すっと重荷が消えたかのように、慶二の肩が軽くなった。
悠が余計な刺激さえしてくれなければ、何も問題はないのだ。
どこか楽観的に、慶二はそう考えた。
なんでこんなことに悩んでいたんだろう! 踊りだしたい気分ですらある。
「あ、そういえば、何しに来たんだ?」
その気持ちのまま、最初から気になっていたことを聞いた。
「そうだね、すっかり忘れてた」
おかげで悠も要件を思い出した。
「三日たって魔力、殆どなくなっちゃったから。魔力ちょーだい?」
彼女はそう言って、ぺろりと舌を出しはにかんだ。
慶二は漸くになって気づいた――否、思い出したのだ。
これは、辛く苦しいマラソンの真っ最中なのだと。
そして、この旅路は修羅の道であると。
◆
今日の戦いは終わった。
慶二は、精神的な疲弊からぐったりとしながら、悠を見送る。
「あ、慶二」
「なんだ?」
玄関を開けたところで悠が振り返った。
汗ばんだ肌が紅潮していた。
「そういえば、宿題終わったの?」
「いや……まだだ」
夏休みの終わり際の家族旅行。それが古井家の恒例行事である。
父親の仕事の都合で、お盆の時期に休みが取れないため、少しずれこむのだ。
参加資格はただ一つ。
ちゃんと夏休みの宿題を終わらせていること。
これは毎年口を酸っぱくして言われていて、破ることは許されない。
「駄目だよ。ちゃんとやらないと。また置き去りにされちゃうよ」
悠は小学二年生のころを思い出しているのだろう。
自由研究を放置していた慶二は、容赦なく置いて行かれた。
もちろん、彼の両親もただ放置するのではなく、一間家に面倒を見てもらうよう頼み込んでいたのだが。
両親と兄がいない二泊三日の間、慶二は泣いて泣いて仕方なかった。
いつもなら泣いて慰められるのは悠の方である。お互いの立場が逆転した、少し新鮮な思い出。
とはいえ、悠は若干の勘違いをしている。
慶二が泣いたのは、家族がいなくて寂しかったからではない。
彼にとって、一間家も第二の家族のようなものである。寂しさなど感じるはずもない。
当人としては、旅行先に来日するという、外国人サッカー選手を一目見たかったのだ。ただそれだけ。その機会が――もしかしたら永遠に――失われたのが、ただただ口惜しかった。
彼はむっとして
「別にいいけどよ」
と返す。
「あはは。またうちに泊まりに来るつもり?」
――それもいいか。
と慶二は言いかけて、我に返った。
「……中学生なんだ、一人で留守番ぐらいできるさ」
「まあ、そんなこと言わないで。おじさんやおばさんも悲しむよ。慶二と一緒に旅行したくて頑張ってるんだから」
慶二の迷いに気づかず、悠は諭す。
「明日から勉強見てあげるから。慶二ならすぐ間に合うよ」
慶二は典型的な「やればできる子」であった。
集中さえすれば、残り半分もあっさりと片づけてしまうだろう。
そのために、悠と一緒に勉強するのはいつものことである。
「ま、頼むわ」
親友からの好意は素直に嬉しい。
慶二は照れを隠しながら申し出を受けた。
「じゃ、明日の午前から……慶二の部屋でいい?」
「えと。それは、駄目だ」
ぎょっとして慶二は断る。
明日、慶一は高校のサッカー部の練習があるので家にいない。つまり、この無防備な少女と二人きりになってしまう。親友であり続けるためにも、それだけは、避けたい。
「じゃあ、僕の部屋に来てくれる?」
「ああ。……じゃ、明日な」
悠の家なら基本的に美楽がいる。
彼女もどこか焚き付ける様なところがあるが、自分の家よりずっとマシ。
それが慶二の結論だった。
◆
悠の去った後。
慶二が自分の部屋に戻ろうとして踵を返すと、そこには慶一がいた。
眼鏡が光を反射し、煌めいていた。
表情は伺えないが、多分にやついているのだろう。
「いや~、悠ちゃん可愛いなあ」
「兄貴……」
外ではクール系を気取っている慶一だが、弟の前では素である。
気を許しているということなのだろうが、慶二からすれば複雑である。
「正直、すげえ好みだわ。こないだまで男だったとは思えん」
「……手、出したら承知しねえぞ」
慶一は女好きというわけではない。だが、中学と高校でモテていたのは知っている。
つい、慶二は親友を思い、牽制。
「心配すんなって、取らねえから」
「な……、取るってなんだよ!」
「はぁ~。なんでお前にだけ可愛い幼馴染が二人もいるのかねえ」
羨ましいとしきりに呟くと、慶一はリビングの方へ戻ってしまう。
結局、慶二は悶々とした思いを抱えながら一晩を過ごすことになった。
◆
一方、悠は自室に戻るとベッドに飛び込み、横になった。
先ほど、母に
「下したばかりの新品をくしゃくしゃにしちゃって。そういうことは避けなさい」
と叱られたばかりだというのにである。
「ふふふ、ずっと慶二は親友って言ってくれた!」
つい、口から喜びが漏れ、足をパタパタ。
もしこの場に他者がいれば、まるで褒められた子犬が尻尾を振っているようだと感じただろう。
――数日の間、悠は寂しさを感じていた。
同性になり距離が近くなった実夏。それとは反対に、異性となり距離を感じるようになった慶二。
――露骨に避けられている。
なぜだか、それは彼女にとって耐えがたいことで、ずっと不安に駆られていた。
ベッドに潜り込んだのも――一喝されてしまったが――かつてのような関係に戻りたいという思いからであった。
だが、不安は解消された。
もう思い悩むことはない。
悠は、どこか舞い上がるような気持ちで一晩を過ごした。