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短編集、あと冒頭だけ書いてしまったもの

Q. 小説とは

散文にして、落ち着いた読み返しなどをしておりません。

内容の荒をお許し下さい。

『小説家になろう』内に於けるエッセイは、無論と言うか書き手たる人物に贈る物が多い。

このホームページ上で載せられている事を抜きにしても、人間一人が体験しうる物事には限界がある。そしてその内、人に話して面白い、興味深い物事と言うのはそうそう多くはない。ふかしイモを作ろうとして電子レンジを爆破させてしまった私の体験談は恐らくココで語る必要性も無いだろう。精々サツマイモを食べるときに「そういえば家のレンジ爆発したわ」と言って軽い話の肴にするのが限界である。


ともすれば、人生体験がより色濃く出る可能性があるのがエッセイというジャンルなのではないか。仮想の世界である小説という世界を離れ、現実の世界での経験を、わざわざ伝わりにくいはずの小説で示す。ある種その行動は理屈に合わない、非効率的であるという考えも勿論出てくる。

小説という手段がそもそも非効率的じゃないのか。非効率に非効率を掛けて、指数関数的に効率悪化。

オーダーの数値が合ってれば大体オッケイな世界、ではない。


何を持って効率かは多岐にわたる。

メッセージ性。

絵や写真に対し、そのダイレクトな強さはなかなか小説は持ち得ない。

動画や音楽。文字を読むことが出来ない人にも、それらを伝えることは出来る。逆も無論成立するが。


娯楽性。

娯楽の選択肢が増大し、楽しみの共有が難しくなっている現代。小説は、娯楽の選択肢の1つに入りうるのか。未だにゲームやアニメ、趣味でするスポーツとはまた違う所に小説は置かれているように思われる。


芸術性。

……正直言ってどう言えばいいのか。大衆小説と純文学の違いが関わってくるのだろう。純文学の売上が良くないことが、その芸術性の低さを示しているのではないかという問題提起が以前になされたこともある。芸術性が高い事が市場において有利ではないことは充分理解できるが、なら芸術とは何なのかという問題になる。

絵画や音楽などの芸術は、芸術性がそのまま市場に有利に働く事を考えると小説はまた不利なのかもしれない。(絵画でもあるのか?)そもそも芸術に効率というのがナンセンスかもしれない、が絵のデッサンや演奏の練習においては必ず基礎が必要になる。小説もそうだが、作品になりうるゴールまでの過程は測り難い。


社会の利益に成るか。

最先端技術を携えた研究というのは一般に物理化学、生物や数学的世界に限られたもののように思われる。

文学研究というのは常に行われている。これらの研究は現代の小説を書くという事に関しての研究ではない。物事がデータベース化され記録行為が容易になる以前の物事に関しては、部分的な資料によってしか判断できない。その隙間の部分を判断するのが文学研究、だそうな。

……だが、『あの人の作品があったから、今の私がある』という言葉は耳にする。書くことの目的がはっきりしなくても、読む側が自らの救いにしてくれるのは、恐らく作者側にとっても救いになる。


作者側の利点。

その経済面については論じることが無い。

言い方が非常に悪いが、自分の為に書くと言うのは要因にあるだろう。……だが。

その自分の為に、が何故自分の為になるのかは未だにはっきりしていない。

記録としての小説。妄想としての小説。自己存在証明の為の小説。そうやって全てを論ずるのは果たして可能なのか。

本能。動物的本能では無いが、「人間は考える葦である」という言葉が示すのは論理的思考だけでは無いのではないか。




人は誰しも自分の中に物語を持つ、と言われる。

筋書きのない物語、である。見返す度に楽しいことを思い出す、アルバムのような物語かもしれない。ページをめくるのも憂鬱な、重苦しい物語かもしれない。果たしてこの物語は何のために存在するのか、そんな物語もあるかもしれない。

だが、人一人に物語一つとは誰も決めてはいない。


魔法も展望も無い世界に生きる物語を持つ人物は、冒険と希望を別なる物語に求める。

争いと恐怖に怯える物語を持ち続けた人物は、平和と友情を物語に描くかもしれない。

管理と安寧に支配され続けた物語を持つなら、ひょっとしたら自由を物語に求めるかもしれない。

なら、私は書くということに何を求めるのだろうか。


小説の利点と言う風に指摘することは難しいかもしれないが、小説は自身のそれまでの経験とは違う事が出来る世界なのではないかと思う。現代世界では否定されてしまった妖怪も、妖精も、あるいは神や悪魔でも。あるいは、感情を持ち様々な行動をする人間たち。小説世界においては現実に存在し、共に戦い争い守り救い、愛し愛され憎み憎まれ、手を取り合うことも反目することも出来る。まるで彼等が本当に存在するかのように。


科学技術の発展は凄まじく、VRの実現はかなり近い所まで来ている。仮想を現実にする『虚数』のような働きを果たすのはまだまだ先だ。それまで、小説の特色にして利点たる虚数の力は揺るがないものに成るのではないか。



感想等ありましたらどうかよろしくお願い致します。

なにぶん自分一人では答えを出せていませんから……

書き手としての経験値も相当不足しています。

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― 新着の感想 ―
[一言] わかりにくい文章でごめん……。
2015/10/08 00:11 退会済み
管理
[一言] 小説とは何かと真面目に考えるのはいいことだ。オレは塾で仕事をしてるが常に教えるとは何かと考えてる。生徒が先生に数学って何のためにやるんですかと学校で生意気なことを言って殴られたらしいが気持ち…
2015/10/08 00:07 退会済み
管理
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