緋の髪の踊り子
竪琴の音が聞こえた。
目の前に座っていたリズの手が止まる。口元に運びかけていたコップをそのまま停止させて、しかもそのままの状態でリズは振り返った。その瞳に宿る、例の何とも表現しがたい喜びの色は、本当にほんとーに!わたしには見慣れたものだった。
いつものあれだな、そう思った。そうしてリズが次の行動に出るのを待った。
竪琴を奏でているのは二十代半ばほどの若い男である。まあ、名手と言っていいだろう。間違ってもこんな小料理屋の専属だとは思われぬ力量だ。リズと知り合って一年、相当に耳も肥えてきた最近のわたしである。そのわたしの素直な感想を言わせてもらえば、この王国の性質上きっとこの人は王宮の楽士なのに違いない。多分この店の主人の知り合いとか、ご近所さんとかで臨時にここで働いているってな状況なんだろう。
やがて竪琴弾きは一曲弾き終えた。勿論沸き起こる拍手。良いものは良いのだとやっぱりわかる。元々人の感情として芸術は理解は出来ずとも感動できるものなのだ。
リズが立ち上がったのは、ようやくその時である。つかつかと竪琴弾きの男に近付く。
その間わたしは辺りの人の協力を仰ぎ、テーブルを隅へと片付け、リズのためのスペースを作ることを急いだ。無論文句を言う人はいる。そんな時はこの一言だ。
「彼女は緋の髪の踊り子。噂ぐらい、聞いたことあるでしょう?」
そう言えば誰も文句を言えなくなる。それどころか驚きを満面に浮かべ、リズを凝視するのだ。
リズは、緋の髪の踊り子は世界に名立たる踊りの名手。その踊りを見るために大金をはたくような金持ちは大勢いる。わたしと知り合ってからの一年だとて両の指に余る数だった。けれどもリズには変わった性癖と確固たる目的があったからどうしてもこうして旅を続けなければならない。彼女は一人の人間の奏でる音楽では一回しか踊らないんだ。リズには踊りが全てだから踊らずには生きていけっこないのに、でもその性癖だけは直すことが出来ないのだと言う。次々と新しい演奏家を求めてリズは旅を続ける。きっと理想の、完全なる音を奏でられる演奏家を発見するまで。
竪琴弾きの奏でる音楽とともに緋の髪の踊り子が舞い始めた。
普段のリズはどこにでもいるような一人の少女。ただ鮮やかな赤い髪が目立つだけで。しかし舞っている彼女はまるで人ではないようで…。
魅惑されぬものはない。
軽やかなステップ。鮮やかな笑顔。ふわりと体重がないかのように舞い上がる身体。誰よりも美しい人。踊り子の、ただその身体だけで物語すら紡ぎだして見せる。そこにいるのはリズじゃなくて踊り子だった。
短くて永い時間が過ぎ、いつの間にか踊りは終わる。
だけど誰も声を上げることは出来ない。この放心状態。魅入られて戻れない。わたしはそれでも慣れているから、ふっと正気に戻るのは早かった。ただ慣れはあっても魅入られるのは同じ。リズから、いや緋の髪の踊り子からは決して目を離すことは出来なかった。
しばらくして時が爆発したように動き出す。
リズの上に降って来る貨幣たち。誰でもお金がなくても思わず差し出してしまうような力がリズの踊りにはある。
アンコールの声が当然かかるけど、この緋の髪の踊り子がもう一度踊るわけがなかった。
「次、どこ行こうか?」
ベッドに横たわって、天井を見上げながらリズが呟く。先程までの神秘的な緋の髪の踊り子の片鱗はどこにもなく、ただちょっと態度の大きい普通の子に見える。
実はこの宿は『ただ』である。リズの踊りに魅せられた宿の主人が提供してくれたのだ。勿論さっき貰ったお金は竪琴弾きの男に一方的に半額渡して残りはここにある。どうも金持ちが混じっていたようで金貨まで混ざっていた。ふふ、しばらく贅沢できるな。全く選り好みの激しい天才肌の踊り子と一緒に旅をしていると全然収入のない時期っていうのが存在してそん時の苦しさを思い出すとはっきり言って屋根の下で寝られる喜びというか、何というか…。
「ずっと西へ向かってきたけどそろそろ北上とかしてみる?」
「ああ、また西に向かってもしばらくこの国から出られないしね。ここじゃあ、いい音楽家は皆王宮に仕えてるから街にはいないしね。北の隣国へでも行ってみるのもいいんじゃない?」
とても行き当たりばったりなわたしたちの旅なのだ。
「どこに、あたしを満足させられる演奏家がいるんだろう」
わたしの言葉を聞いていなかったように、リズが独り言を呟いた。
リズはもう十年ほども探している。彼女を満足させられる演奏家、そして音を探している。十年前、一度だけ聞いた笛の音。それを聞いた時身体が自然に動き出して、それがリズが踊った初めだっていう。その笛を吹いていた人物は当時十五歳ぐらいの少年で、おさなかったリズはそれくらいしか覚えていないけど、あの音だけがもう一度踊りたいと思わせた唯一の音だってことだ。焼きついて離れないってリズは言う。覚えてない他のことなんてどうでもよくて、でも絶対にあの音を聞けばあたしはわかるって。
「絶対見つけなくちゃ。そうでなきゃ本当のあたしの踊りが出来ない」
「リズの踊りは今のままで充分人間離れしてるのに、これ以上何を望むのさ。貪欲すぎるんじゃない。リズは、リズは見てないからわからないと思うけど、本当にリズの踊りは…」
「ユールはあの時その場にいなかったからそう言えるんだよ。あの場にいた人は今のあたしの踊りじゃ決して満足しないよ。あたしも満足出来ないんだ」
私とリズが出会ったのが一年ぐらい前のことなんだから。十年前のことなんか勿論知るわけない。それどころか多分私の年齢っていうのが十代半ばほどだと想定されてリズよりも幾分年下なんじゃないかってぐらいで、そんな私がもしその場にいたって覚えてなんかいないかもしれない。でもリズが言うんだからそれは確か。踊りだけには、本当に踊りだけにはだけどリズはとても厳しいから。
「ユールだってさ自分のこと今のままじゃ満足出来ないだろ。それと似たような感じなんじゃないかって思うんだけど」
「わたしは…」
別に今のままでも構わないけど。リズがいるし。この生活が楽しくないと言えばきっぱり嘘だし。
そうは思ったけど、やっぱり一般的には記憶喪失っていうのはつらいものかなぁとは思う。とはいっても不便はないし、この踊り子と旅をする一年間だってわたしのことを知っている人は一人もいなかったし、多分捜索すらされていないんじゃないか、そういう人間だったんじゃないか、と思うにつれ記憶なんて戻らなくてもいいような気がしてくる。
一年前、川に流れていたわたしをリズが助けてくれた。何の変哲もないような服を着て目立つような容貌なんて全くしていなくて(髪も瞳の世に多い茶色ってやつだ)、記憶すらなかったわたしをそれでもリズは気に入って、連れて歩くようになった。リズに拾われたからこその今現在。売り飛ばされることもなかったし、行き倒れになることもなかったし。
それに、リズ。緋の髪の踊り子の異名をとるこの人が踊る様を見ていると自分なんてどうでもよくなる。魅入られて動けない。悲しいことも苦しいことも憤ることも必要ない。リズの踊りにはそんな力がある。伝説の楽天使さながらに。
楽天使っていうのはあらゆる楽器を使いこなす天の楽士。神々の祭典に欠かせない存在で、その奏でる音楽は人々の悩みをしばし忘れさせ、人々を…いや神々すら幸せにするという。
リズのは踊りだけど、音楽じゃないけど。リズは大抵の楽器もこなすし、楽天使みたいなもんだ。舞天使っていうのがいたらリズかなって思う。わたしは全くそういった取り柄はないから羨ましくさえ思う。もっともそんな感情もリズの踊りの前では無意味だ。
「早く見つけたいよな」
ぼそりと言うリズの呟きには真摯な求道者的な響きがあった。人々がリズの踊りに焦がれるようにリズはその笛に恋焦がれている。わたしも今でも充分と言いながら勿論そのリズの最高の踊りを見てみたいなと思ってる。
そう思いつつ、二人でぐたぐたしているとドアがノックされた。
「はい?」
リズの踊りで食べさせてもらっているわたしはこうした客への対応を引き受けている。元々常識っていうのが非常なほどに欠如したリズは本当に踊りにしか頭が働かないからどんなことをやらかすかわからないっていうわたしの防衛本能とも言える。
「王宮のものですが」
扉を開けるとそこに立っていたのは確かに王宮の使いだって思えるような身分の高そうで服装のいい男の人だった。ただ顔立ちはどこか小動物を思わせて、リズだったら一言鼠みてえと言ってしまうところだった。
「何の御用でしょうか?」
聞きながらも、答えはわかっている。きっとリズを王宮に呼びたいってことだろう。
「緋の髪の踊り子と呼ばれる高名な踊り子様がこちらにいるとお聞きしまして。できれば王宮にいらして王の御前で舞ってもらえないかとお願いに伺いました」
割と低姿勢だ。なんて言うか、さすがはリズって感じだ。緋の髪の踊り子っていう名前の価値っていうのがよくわかる。ただし言葉遣いはこんな辺境な国だからあんまりよくもなかったけど。
そう思いつつわたしは振り返ってリズに尋ねる。
「どうする?」
「行ってもいいけど。満足できる音じゃないと踊らないよ。それがあたしのアイデンティティだからね」
「だ、そうですけど」
「我が王宮にはたくさんの楽士もおりますし、誇るに足る技量の者も多くおります。きっと踊り子様にも満足のいく者がいることと思います」
いなかったら帰るだけだろうな、リズの場合。だけど王宮の楽士だっていうんだし、この国の王様っていうのが非常な音楽好きでめぼしい音楽家は王宮に集めてるっていう噂なんだし、どうにかなるんじゃんってことで、依頼を受けたんである。
次の日。
昨日そのまま行くのもなんだからと思って今日こうして王宮に来た。リズと一緒にいるおかげでもう王宮だの貴族の屋敷だのっていう場所に慣れてしまってそうそうびびらなくなっているわたしだ。
「で、楽士っていうのは?」
でもせめて敬語は使ってくれ、リズ。と願わずにはおられない。勿論リズが踊り以外はどうでもいいことはわたしがよく知っているんだけどさ。
王宮の召使は全く動じていなかった。芸術家はこういうものだとでも思っているのだろう。全く正しい見解なのに違いない。
「一人一人音を出させましょうか」
「いいよ、全員一緒で。聞き分けるくらいの耳はもっているから」
リズがそう言うと、わたしたちは楽団の前に引き出された。
値踏みをする視線がリズに投げかけられる。確かに普段のリズから緋の髪の踊り子は想像できない。
召使の合図で楽団の人々はそれぞれ勝手気ままに音を出す。せめて何か曲を演奏するとか出来ないのかよっ!!でも、リズは気にしていない。
でも曲を演奏されたらされたで全体として捉えてしまうから逆にいいのかな、とも思う。リズは楽団を背後に踊ることはわたしの記憶の中では、少なくともない。基本的に地味なんだと本人は言う、全く嘘だと思うけど、一人の音を背後に踊るのが好きなんだと言う。元々の始まりがそうだったからだろう。
リズの顔を窺うとむっとした顔をしていた。でもこれがリズの考えているときの表情だった。そうしてしばらく音の洪水を聞いていたリズは一人の男に歩み寄る。弦楽器の演奏者だ。
「あんたの音、いいね」
それで決定だった。
後で聞くと百人近い楽団の中で満足できる音は彼一人だけだったと言う。辺境の王国だからってそんな…やっぱりリズは厳しいや。
そしてその日のうちにリズは王の前で踊ることになっていた。
リズは曲の打ち合わせ(って言ったてどうせどんなイメージかだけだろう)と着替え(リズに着替えなんか必要ないんだけど王の前だからって召使にせがまれた)で忙しくて私は一人与えられた部屋で夜までぼんやりしてた。
そろそろ時間かなって思ってるとリズが一回わたしのとこに来た。
高価そうな黒の衣装。胸元まで覆う、上半身は露出が少ない。下半身はふんわりとしたドレス調になっていて薄い紗を何枚も重ねたようだった。きっと踊りに合わせてふくらんで流れる。誰のセンスだか知らんが結構趣味がいい。リズにやらせなかったのはすぐにわかった。
「ユールは見てないの?」
「わたしはいいよ。王の御前なんていったら着替えなきゃなんないじゃん。ひらひらのドレスもかっちりした格好も全くもって大っ嫌いだし」
で、後になってわたしは後悔することになった。
なんとリズは三日後隣国の大使を招いての宴に踊るという約束をしてきてしまったのである。
「だって、だって、満足のいく音の人、他にいないんでしょ?」
わたしが詰め寄るとリズはけろっとした顔で、
「実家帰ってる王宮一の名手がいるんだってさ。そいつなら絶対平気だろうからって自信満々に王宮に留まって欲しいって言われたんだよ。んで、満足行かなかったら帰っちゃえばいいっしょ?」
…そこで帰ったら面目丸潰れの王が怒り狂うだろうとか全く考えなかったんだろうなってことはわたしには簡単に想像できたのであった。
瞬く間に三日が過ぎ。
留まることを知らないわたしの生活的には非常に物足りない王宮の堅苦しい生活に飽き飽きしつつ、戦々恐々としている日々の中。
実家に帰っているという楽士はなかなか帰ってこなくってリズは結局ぶっつけ本番ってことになってしまった。いや、むしろそれはいつもなんだけど楽士の音が気に入らなかったらどうするんだ、一体。
そんなわけで今回は不本意ながらしょうがないので宴にひそかに参加することにした。なるべく地味な衣装をお願いしたけどね。
辺境の王宮ながら王城の美しさだけは大国に引けを取らない綺麗な城だったけど中でも大広間の美しさは格別だった。緋の髪の踊り子の噂を聞きつけた貴族やらなんやらで結構込み合ってはいたけど、一体この大広間には何人の人が入れるんだろう。
「リズ、大丈夫かなぁ」
隣にいる、リズをつついた。
「知らんよ。駄目だったら帰るだけだろ」
「そう簡単に帰してくれるかねえ」
あくまでも能天気だな、リズは。もっとも名に負いし緋の髪の踊り子を害せるほどに根性のある王様なのだかは疑問だった。ただ激情は後悔の仲のいい友達だしな。
今日もリズは黒の衣装だった。この間とは違う、広く胸元の開いたドレスだった。旅を続けている割に鮮やかなほど白い肌と漆黒のドレスとそれから炎のような緋色の髪が彼女を飾り立てていた。でもそれも踊る彼女には無意味なのだったけれど。
わたしまでも能天気にそんなことを考えているとリズの出番が来たようだった。
リズが無言で広間の真中に進んでいった。
竪琴が奏でられ始める。
だけど。
リズは踊ろうとしなかった。凛とした姿勢のよいその姿のままで立ちすくしていた。
で、同時にわたしも気がついていた。この音を出す人の演奏でリズは踊ったことがある。多分あれだ。城に来る前日料理屋で演奏してたのはこの人だ。
緋の髪の踊り子は同じ人の演奏では踊らない。
広間全体がざわめきだした。踊り子が、踊りださないから。
「何故踊らない!」
国王が怒りのこもった声で言う。
「この演奏では踊れない」
思わずわたしはリズに駆け寄る。
「一回踊ったことがある。あたしは同じ者の演奏では二度は踊れない」
国王が手にしたグラスを床に叩きつけるのが見えた。
「リズ」
「踊れないものは踊れないよ」
「何の為にわざわざ国宝『天使の竪琴』を持ち出したと思ってるんだ!」
『天使の竪琴』。
言葉が耳に引っかかって、繰り返された。
『天使の竪琴』。
おろおろとまごついている楽士の手にする竪琴は。
あの美しい、銀色に光る、至宝。
「天使の竪琴…?」
「ユール?」
覚えがある。どこかで。そう、この竪琴の音色に。さっき奏でられた音がもう一度頭の中で響きだした。忘れない、忘れなかったこの音。この音色は間違いない。間違いなく。
「踊り子。もう一度訊く。どうしても踊らないと言うのだな」
「あたし、緋の髪の踊り子は同じ者の演奏では踊ることは出来ない。あたしの踊りは魂だもの。魂を偽ることは出来ない」
遠くに聞こえるリズの声。
「踊り子とその連れをひっ捕らえろっ!」
どこから駆け寄ってくる兵士たち。
わたしは駆け出す。迷いもせず。天使の竪琴の元へ。
わたしは楽士から竪琴を奪い取る。
紛うことのないこの感触。吸い付くこの手触り。忘れることなぞついぞなかったはず。
そして。
奏で始めた。
リズの顔が驚きから歓喜に変わるのがわかった。
兵士の手を振り払い。踊り始めた。
緋の髪の踊り子が踊り始めた。最早その場は彼女のもの。
遠い昔、わたしは知っている。この音色。天使の名を冠する楽器の音色。今、わたしは誰よりもこの楽器を使いこなせる。
呆気に取られている人々。だけどすぐにリズの舞に捕らわれる。捕らえて、離さない。
わたしが知るなかで最高の舞だった。まさしく天使のようで。リズの背に天使の白い翼が見えた気がした。軽やかに舞い上がる身体。その指先一つの動きから紡ぎ出される物語。艶やかに、舞う。寂しげにしてから、楽しそうに笑って。誰も、目を離せない。
時が止まっていた。わたしとリズ以外の世界が無彩色に染まっているようだった。
…曲が終わった。
やがてざわめきだす人々。至高の体験を彼らはしたのだ。
踊り子が満面の笑顔でわたしを見て、
「もう一曲」
わたしも微笑を返す。
次の曲は儚い恋の物語。
遠い過去の、神々の物語。そう、神でさえも恋をする。況や、天使をや。あの方は天を堕した。あの方は翼を折ることを望み、あの方は他の天使に罪を負わせた。
天使の名を冠する楽器でなければ演奏できぬ、曲。特別な曲。
失った記憶のなかできっとわたしはいろんなことを知っていたんだ。
踊り子は神を、天使を見事に演じていた。踊っていた。緋の髪の踊り子、奇跡を可能にする彼女の素晴らしさ。
やがて曲が終わって。
わたしは我に返った。
「ユール、竪琴弾けたんだ?」
汗をびっしょりかいたリズが近くに寄ってくる。
「ええっ、知らない。だって出来ないよ、わたし。あれ?何で今出来たんだろう」
「だって、今のって昔あたしが聞いた音だよ。もう一回踊りたかったって音だよ。もしかしたらさあんた、あの人の妹とかさ関係者なんじゃない?」
「え、知らないよ。だって記憶ないもん。だってこれまで全然楽器なんて…」
そう、わたしが言いかけたとき、ものすごい拍手が巻き起こった。周りを見回せば、広場にいる全員、そう兵士までも、全員が拍手をしていた。
「あたしとあんたへの拍手だよ」
リズが呟く。
「ええっ」
なんかびっくり。だってわたし何がなんだかわかんないよ。
でも中には涙まで浮かべてるような人がいて、本当に感動してくれたんだ。凄くびっくりした。だってわたしは何も出来ないと思っていたから。本当にびっくりした。
わたしはそれでも何とかお辞儀だけは出来たけど疲れきっていてすぐに部屋にもどるとそのままベッドに倒れこんでしまった。
そして次の日になるとわたしはいつものわたしに戻っていた。
勿論楽器なんて一つも演奏できないわたしに。
「うそっ!?もったいない。ああっ、もう一度踊っておけばよかったっ」
リズは地団太踏んで悔しがる。
「ええっ、何?もう一回踊りたいって思ったの?」
「だってあの音なのにっ。天使の竪琴でも駄目なの?」
「試したけどね」
勿論国王にお願いして天使の竪琴に触らせてもらったけど。駄目なものは駄目なのだった。由来も聞いた。けれど旅人の献上品だとかできっちりした由来はないと言う。記憶の手がかりにはならないし、もう弾くことの出来ない楽器。
「あれはやっぱ一回だけの奇跡だったんだね、きっと」
そうわたしが言っても、リズの悔しさは収まらないようだった。
「じゃあ、じゃあっさ、他の天使の名を冠した楽器を探してさ、それを一回ならあの演奏できるんじゃない?」
確かにそれはわたしも考えたんだけど。記憶喪失になる前のわたしは天使の名を冠した楽器を知っていたはずだからとは思ったけど。それで記憶を取り戻せるかもしれないとは考えたけど。
「どこにあるかわかんないよ」
天使の名を冠した楽器がいくつあるかわかんないし。どこにあるかもわかんないのに。
「探すっ。意地でも探す。やっと見つけた音なんだから」
半ば宣言するようにして言うとリズは荷物を背負ってすたすた歩き出す。
「ちょっと待ってよ」
慌ててわたしは後を追う。横に並ぶとリズがはにかんだような笑顔を向けてきた。
「やっぱさ、運命だったんだよ。ユールとあたしが出会ったのもさ。ユールはあたしの楽天使なのかもしれないよ。ユールがいるから今まで踊ってこれた。これからはユールの演奏があるから踊れる」
初耳だぞ、それは。わたしがいたから踊れたってどういうことさ。
訊こうと思ったけど。ばかばかしいのでやめた。代わりにわたしも言ってやる。
「じゃあさ、リズはわたしの楽天使だよ。リズがいるから生きてこられた」
そしたらリズは真っ赤になって照れちゃってた。
なんか楽しいな。こうしててもそれだけで。
わたしは幸せかもしれない。
「行こっか。楽器探しにさ」
「うん。きっと見つかるよ。わたしの勘はあんま当てにならないけどね」
「なんだよ、それ」
ひとしきり笑いあって。わたしたちは歩き出した。
いつか見つかるだろう音を探して…