始まりの出来事
これからどうしていくべきか。考えなければならないのはそれである。
うんうん唸りながら、けれどいい案が浮かぶことはなく、薄汚い路地裏で唯一与えられていたボロボロの外套にくるまりながら、ガタガタと震え、似たような境遇の人間からとこかから拾ってきた残飯を分けてもらい突き刺すような寒さに打ち震えること二日。わかったことと言えば、そうそう救いの手を差し伸べるような数奇な人間などいないということぐらいで、もうこのまま死ぬか、スラム街の最年少ギャングとして華々しくデビューするかの二つしか道はなかった。大人の庇護もなくたった5歳の子供がまっとうに生きていけるはずもなかった。
さてどうする。どうすべきだ。真剣に悩む中、諦めかけていた薄汚い身なりの孤児を拾うような数奇な人間が目の前に現れてくれたことは、一番喜ぶべき幸福であるのかもしれない。ガタゴトと慣れない振動に揺らされながらマオが連れて行かれたのは大きく立派な、いかにも貴族が住んでます、と主張している屋敷だった。
あ、これ知ってる。領主様の屋敷だ。
5年間の短い期間で学んだ数少ない知識が、その屋敷がなんであるかを導き出し、マオの行先を明るいものにして……くれるはずがなかった。
マオが領主の地位についている貴族の屋敷に連れてこられたのは確かではあるが、これは保護でもなんでもなかった。それは、手足に付けられた、無骨で温度を感じさせない無機質な光を放つ重たい鎖が物語っている。保護だったらこんなもの付けられていない。
おまけに、マオは一人ではなかった。マオと同じように手足を拘束されている人間が他にも複数人いた。その誰もがみすぼらしい布を纏っていて、マオもその例に漏れることなくみすぼらしい身なりをしていた。その集団を囲むようにして、鎧を身にまとった兵士のように、否、兵士にしか見えない男たちが歩いている。その視線はとてもじゃないが、同じ人間に向けられているとは思えないほどに冷たい。あれだ。蛆虫か生ゴミを見ているような目だ。どんな目だ一体。
ついつい反れてしまう思考を元の軌道に戻すべく頭を軽く振り、今の自身が置かれた状況を考える。
可能性その一。この周囲の浮浪者は罪人で、マオもその仲間だと思われていて犯罪者の一人として拘束されている。
これは、恐らくというより、かなりの可能性でないと言い切れる。5歳児に一体どんな犯罪が犯せると?いや、確かにギャングデビューという選択肢もあったけど、あれはただ考えただけだから。ちょびっと思っただけだから。先っぽだけだったから。それともあれか。前世か。前世でやっていた魔王の罪か。勘弁してください。今は普通の行先不安だらけのたただの子供なんです。ほんとマジで勘弁してください。
可能性その二。マオは今、浮浪者だと思われており(あながち間違いでもないのがなんともいえない)、これからどこかへと労働者として売られるもしくは奴隷にされようとしている。
これも、可能性がないわけではないが、有り得ない…と思う。よくわからない。街に浮浪者が増えてしまえば治安だけでなく景観や経済面でも何らかの影響が出てくるかもしれないので、思い切って浮浪者たちを外に追い出すために外地開拓と称して厄介払いしよう、という試みなのかもしれない。口減らしとは、領主様もなかなかの悪人だ。
結果。
マオの予想は気持ち悪いくらい当たっていた。しかも、両方共正解だったのだから笑えない。マオは、スラム街の罪人である浮浪者と一纏めにされ、奴隷として、男爵家に売られてしまったのだった。
そこまでの流れがあまりにもスムーズすぎて、マオは自身の置かれた状況をいまいち理解できていなかった。前世を含む、今までの出来事が走馬灯のように脳内を駆け巡り、その走馬灯が最近のものを移した頃になって漸く我に返った。
はっとして目の前の光景を視界に映し直すと、どういうわけか図体のでかい男達に取り押さえられていた。
「…………へ…っ、?」
間抜けな呟きともとれない吐息と共に、背中に何かが押し当てられた。
―――――塊。塊だ。痛い塊。それ以上はよくわからなかった。ただその塊が触れている部分だけが異常に痛く、小さな範囲にもかかわらず体内に電流が流れ込んだかのように体が大きく痙攣した。少しでもそれから逃げようと仰け反る背中。しかし、ほぼ真上から肩や手足を押さえつけられて逃げることは叶わなかった。歯も食いしばっていなければ身構えもしていなかったマオの唇から張り裂けんばかりの悲鳴が上がる。チカチカと視界が点滅し、何かが焼けるような不快な臭気が鼻腔をついた。あまりにもマオの悲鳴が五月蝿かったのか、真正面にいた男の一人が煩わしそうに顔を歪めて、その隆々とした大きな拳を振り上げた。それだけが、どうしてか鮮明に視界に映った。
そして、マオの意識は、重い衝撃と共に闇に飲み込まれた。