始まりの始まり
はっきり言おう。彼は、己の行動を後悔していた。
彼は、自らの宣言通りに、復活することに成功した。復活した、と言うよりも生まれ変わったと言ったほうが正しいのかもしれない。
彼は、今際の際に吐露した言葉の通り、世界に舞い戻ってきた。
術は成功したのだ。
実はというと、彼――魔王――は勇者が現れたと聞いたとき焦りを覚えた。負けるのではないか、と不安になったのである。勧善懲悪など、よくある話だ。魔王といえど、巷に溢れている御伽噺を知らないわけではない。むしろ、様々な御伽噺を聞いて育ったと言ってもいいくらいなのだ。倒されないと言い切れる自信などなかった。
しかし、部下の前でそんな痴態を晒せるはずもなく、長年培ってきたポーカーフェイスでその焦りをなんとか隠した。
ふんっ。勇者といえど所詮は人間ではないか。この魔の王たる我の力を以てすれば恐るるに足らん。蹴散らしてくるわ!
とまで言い切った。部下たちを含め同胞の者は皆、そんな彼を褒め称え、勝利を確信した。そうして魔族の結束はより強固なものになった。そのぐらいには余裕があったのだろう。が、勝つ自信(と書いて虚勢と読む)を口にできたのははじめのうちだけだった。一つ二つと、村々を制圧していた部下が倒されたと報告が入って、本当の意味で焦ることとなった。少数精鋭。その言葉の通り、勇者はたった五人の仲間と悪の手から滅び行くはずだった人間を救っていったのである。魔王は非常に焦った。最初の比ではないくらいに焦った。負けるつもりはなかったが、負けるかもしれない可能性は高かった。何か方法はないものかと文献を読み漁り、考えに考え、長考の末に、古代の魔術を見つけ出すことに成功した。
それは、とても複雑な魔術だった。通常の魔術は、魔力を声に乗せて呪文を唱えるだけで行使するものだが、その魔術は呪文を唱えるのではなく、使用者の体に直接刻み込むものだった。そのうえ、一文字一文字に魔力を丁寧に注ぎ込んで刻まなければならず、結論からいくと一人では使えない魔術だったのである。しかも、死んですぐに復活できるわけでもない。長い年月を要するために、十年やそこらというわけにも行かない。最短で一〇〇年。悩みに悩んだものの、これはただの保険だしこの魔王たる我が負けるはずないだろう、と使うことにしたのだった。
我、負けないし。勝てるし。最強だし。
そうやって、最も付き合いが長く、そして一番信頼している部下に頼むことにしたのである。
(復活の呪文って、魔王様逃げ腰すぎじゃないですかーあははは)
今でもあの馬鹿にしくさったような言葉をはっきりと覚えている。思い出すだけで腹立たしい。一発殴りつけて、薄ら笑いを浮かべる部下に呪文を彫らせたことはいい思い出…………なはずがない。
予想通り勇者に負けて、悔し紛れの捨て台詞を残して、そうして復活したはいいが、何をどう間違ったのか、自分が死んでから一〇〇〇年もの時が経っていたのだ。いい思い出に出来るはずがない。ドヤ顔すらもできない。一〇〇年と一〇〇〇年では、違いが大きすぎる。うっかりなんてレベルでもない。歴史書では世界で最も愚かな、絵本では、間抜けでうぬぼれ屋で自信過剰な馬鹿と、あらゆる媒体を介して魔王という存在が虚仮にされていた。しかも、母体が悪かったのかわからないが、生前の頃の半分にも満たない程の魔力しか備わっていない。おまけに女になっている。
更には、
「………………………」
ぐるりと周囲を見回して、通り過ぎるどの人間の中にも見知ったものがいないことを確認し、溜息を一つ。ビュウ、と吹きすさぶ北風が目にしみて痛い。そして寒い。ぶるりと身を震わせて、もう一度周囲を見渡してみる。どこを見ても、人、人、人、人。街の中には人で溢れかえっている。が、その中に探している人間はいない。もう何時間もこうして待ちながら探しているのに、見つからない迎えに来てもらえない、ということは、答えは一つしかなかった。
「……これは、すてられた、とかんがえるべきであろうな…」
魔王――今世ではマオと名付けられた少女――は、ある日突然、見知らぬ街の片隅に母親に置き去りにされてしまったのだった。
今にも雪が降りそうな、曇天に覆われた空の下での、5歳を迎えたばかりの誕生日の日のことである。