第一話 「首吊」 二
【二】
夕暮れの道を歩きながら、拳冶は先ほどアリアから聞いた話を思い出していた。
杉田沙織は自殺ではなく、誰かに殺された。
校内に沙織を殺した魔法使いがいる。
それを探すのを手伝って欲しい、と。
仮に、アリアの語った内容が本当であれば、たしかに危険な話である。魔法を使った犯罪は年々増加の傾向にあり、殺人などといった凶悪なものも中には出始めていた。
魔法を使った犯罪は、凶器が不在という大きな特徴がある。そのため証拠が残らないことが多く、未解決となってしまうケースが多数だといわれている。
国が魔法使いの育成・研究を行う背景には、魔法使いの能力を正確に把握し、犯罪抑止に役立てようとしているとの見方もあるという。
それ故に、拳冶は迷っていた。
もし、本当に校内に危険な魔法使いがいたとして、それと対峙することになった時、自分は無事でいられるのだろうか。
なにしろ、相手は殺人まで犯すような輩である。追い詰められた時には何をしでかすかわからない。そして、拳冶の魔法では、おそらく自身もアリアも守ることなどできないであろうことは明白である。
退学こそ回避できたものの、今度は命の危険があるかもしれない。
(ちょっと、早まったかな……)
拳冶の足どりは、再び重くなっていった。
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翌日の放課後、拳冶はふたたび生徒会室にやってきた。
中に入ると、前日と同様アリアがひとりで書類の処理をしている。
「あの、会長……」
と、声をかけていいのか拳冶が迷いつつもアリアに問いかける。だが、アリアは「ちょっと待っててください」と、目線も上げずに答えただけだった。
生徒会室は沈黙に包まれる。押し黙った拳冶の耳には、カツカツというボールペンの音のみが響いていた。
(昨日も思ったけど、生徒会ってこの人しかいないんだろうか)
そんな拳冶の考えを見透かしたかのように、アリアが沈黙を破った。
「生徒会の任命権は、生徒会長である私にあります。この学校の生徒会は大した仕事をしているわけではないので、今は私ひとりで運営しています」
「今はってことは、前は誰かいたんですか?」
口にしてから拳冶はしまった、と思った。アリアの方を見ると、手をとめて見つめている。
「前は、沙織が」
「……ごめんなさい」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。拳冶は、所在なさげに生徒会室をじろじろと物色していた。その間にも、アリアは次々と書類を片付けていき、最後の一枚を書き終えるとペンを置いた。
「さて、これから仁志君と一緒に色々調べていきたいのだけれど……」
「あ、拳冶でいいです」
「まずは、仁志君がどんな魔法を使うのか見せてもらいたいかな。今後の参考までに」
拳冶の軽口をさらっと流し、アリアは拳冶にとって痛いところを突いてきた。拳冶はすっかり黙ってしまったが、アリアのまっすぐな瞳が「早くしろ」とプレッシャーをかけてきた。
「いいですけど……たぶん、がっかりしますよ」
結局、観念した拳冶はそう言うと、右腕を大きく前に突き出した。そして、それを大きく振り上げると、そのまま振り下ろした。
アリアは、何が始まるのかと期待の目で見ている。
「以上です」
ん? アリアは、辺りをきょろきょろと見回した。別段、普段通りの生徒会室だ。拳冶自身にも、何か変化があったようには見えない。
「……どういうことですか?」
「あの、言いづらいんですけど……『右腕が動く』っていう魔法なんです……」
「えっ――」
アリアは、思わず言葉を失った。そんな心中を察してか、拳冶は続けて説明をする。
「実は俺の右腕、昔の事故で動かないんです」
十年前、トラックが下校中の小学生の列に突っ込む事故があった。泥酔していた運転手を含め三名が死亡。五名の重軽傷者を出す大事故であったが、拳冶はその被害者の一人だった。
かろうじて一命は取り留めたものの、半年はベッドで寝たきりを余儀なくされた。全身も満足に動かせない日々は、辛いなどという言葉ではとても表すことができなかった。来る日も来る日も、拳冶は同じ天井だけが映る景色を眺めるだけ。だが、そんな苦しみも、後に行われたリハビリの過酷さに比べたらどうという程ではなかったのである。
全身の筋力が低下した状態の拳冶は、まるで這うことしか知らない赤ん坊のような状態となっていた。立ち上がる、ただそれだけの動作をできるようになるまでに数ヶ月要した。
それから、杖や手すりを使って歩けるようになるまで半年。杖が不要になるまでにはさらに時間が必要だった。だが、どれだけ訓練しようとも、結局拳冶の右腕だけは動かないままだったのだ。
そんなある日、医師がとある人物を紹介してくれた。その人は、魔法を医療に応用できないかと研究しており、拳冶にその被験者となってくれないかと打診してきた。
これまで、どんなリハビリを受けても、動くどころか感覚すらなかった右腕を、また動かすことができるかもしれない。駄目で元々と、拳冶はこの申し出を受けることにした。
右腕の筋肉を魔法で動かし、自在に動かす。これを、ほぼ無意識に行うことができるようにする。それが拳冶の新たなリハビリとなった。
通常意識的に行う魔法の行使を、無意識に行う。かなり高度な技術が要求されることだったのだが、拳冶は生まれつき素養が高かったのか、実験は予想を上回る成功を収めた。今では、普通の人と変わらないほど無意識的に右腕を操ることができるようになったのである。
これが、拳冶が魔法使いとなった顛末であった。
全て話し終えて、拳冶は黙って俯いた。きっと、アリアを失望させてしまったに違いない。拳冶の脳裏に、教官たちの言葉が蘇った。
「――……い」
と、アリアがなにかをつぶやいた。
「え?」
視線を上げた拳冶の目の前に、アリアの顔が迫っていた。
「すごい!」
アリアの言葉に、拳冶は思わず耳を疑った。
「……何がすごいんですか。俺の魔法はこれだけですよ。ただ右腕が動くだけ。普通の人と何も変わりがないんですから」
「そんなことない! 本当にすごいわ!」
と、アリアはここで距離が近すぎたことに気づいたのか慌てて距離を離し、軽く咳払いをすると、今度は落ち着いた口調で拳冶に語りかける。
「私が知る限りでは、魔法の力はもっと大雑把なものだと思っていました。でも、あなたのは違う。指の一本一本まで、まるで普通と変わらないような繊細な動きができる。もし、あなたが動かしているのが右腕じゃなくて人形だったら、人間と同じように自在に、しかも無意識に操ることができるということでしょう?」
「それは、まぁ……」
魔法の力の繊細さ。これまで、拳冶はおろか誰も意識したことがなかったことである。これまで特別コースでは、あくまでも魔法の出力のみに主眼を置いており、正確さなどは二の次であった。だが、拳冶の経験上、一番大変だったのは何よりも指を動かす細やかな力のコントロールだった。
「そのことに気づかないで、あなたを評価しないなんて、見る目がない人達ですね」
そう言って、アリアは優しく微笑んだ。
瞬間、拳冶は心にかかっていたモヤが晴れたような気がした。
これまで、ロクなことがなかった。幼いころの事故。辛いリハビリ。それに伴う学力低下。さらに追い討ちをかけるような追放処分……誰からも、必要とされていない、世界に自分の味方などいないと思っていた。
だが、今は違う。この人なら、自分を必要としてくれる。俺は、この人のためならば、どんなことだってやってみせる。
拳冶は、改めてアリアに問う。
「それで、俺は何をすればいいんですか?」
もう、拳冶の言葉に迷いはなかった。




