第一話 「首吊」 一
【一】
試験が終わった教室内は、早くも一週間後に控えた夏休みへの期待で賑わっていた。遊びの計画を立てたり、ひそかに交際しているカップル達はひと夏の経験を求めて内緒の旅行を企てたりと、それぞれの思惑は様々であったが、誰もが皆期待に満ちた表情をしていることは言うまでもあるまい。
ただその中で一人だけ、絶望に打ちひしがれた顔をしている者がいた。
「おい、拳冶。お前も行くだろ? 海」
と、声をかけられてやっと拳冶の瞳に光が戻った。だが、その返事は歯切れが悪い。
「どうかしたのか? なんか顔色悪いけど。試験あんまり上手くいかなかった?」
「いや、それ以前の問題。俺、夏休み明けたら一般クラスに移動になるかも」
それを聞いた拳冶の級友たちは一様に息を飲む。
「いいよ、わかってる。どうせ一般クラスに行ったらついていけないってことくらい。二学期に移動で学年末には成績不良で退学だよ。だから、今年の夏は思い出つくりに行こうよ……」
周りから見ていて痛々しいほどの空元気であった。
この私立邦明学園はそもそも国内でも有数の進学校であり、そこの通常クラスに移行ということは、すなわち相当の学力が要求されるということである。お飾り程度の学力試験と、実技による推薦で入学した拳冶にとって、特別クラス落ちという事実は退学勧告を宣言されたに等しかった。
結局、ひとり沈んだままの拳冶は教室をあとにし、級友たちもまた声をかけることはできなかった。
いつもより重く感じる足をずりずりと引きずりながら、拳冶は考えていた。夏休みを潰すつもりで勉強したとしても、所詮は付け焼刃だろう。自慢ではないが、入学してこのかた、真面目に勉強に取り組んだことなどなかった。今すぐ、急に勉強ができるようになる魔法でもあれば……などともはや現実逃避に等しいことを夢想しつつ、拳冶は自分の右手に視線を落とした。
――魔法。思えば、拳冶がこの学校に入学できたのはこの右手の魔法のお陰であった。
今より遡ること二十年前。いわゆる超能力理論がほぼ解明された。この歴史的瞬間に立ち会った人々は、そこに輝ける未来が広がっていると信じて疑わなかった。
だが、超能力は思っていたよりも万能ではなかったのである。
まず、こうした超能力を扱うには生まれ持った才能が必要不可欠であった。正確には、誰もが持っている力ではあるのだが、周囲にはっきりと「これは超能力である」と認めさせるだけの力を発揮できるのは全人口の〇・一パーセントにも満たなかった。
さらに、超能力が発揮されるときにもらたす作用は、それを扱う人に依存していた。すなわち、物体を動かす超能力と、火を起こす超能力は全くの別物であって、原則として一人の超能力者につきひとつの作用しか起こすことができなかったのである。
故に、超能力理論が世に出てから二十年経っても、制御し難いこれらの超能力は人々の役に立つことなど稀であり、それどころか犯罪に使われることの方が多いという有様となっていた。
いつしか、超能力者たちは「魔法使い」と呼ばれ、恐れられ、一種の不可触の存在として扱われるようになっていったのである。
こうした事態を重く見た各国は、魔法使い達を保護・観察し、さらに研究するために各種の対策を講じた。拳冶が通う邦明学園特別コースもまたその一環であり、国からの補助金を得て「世の中の役に立つ」魔法使いを育成すべく、昨年開設されたのであった。
拳冶は、特別コース開設時に全国から集められた魔法使いの一人であり、ここで魔法の腕を磨き、研究の対象となるはずだった。だが、先日行われた実技検査において、拳冶の魔法は「以後発展の可能性なし」との烙印を押されてしまったのだ。すなわち、国から役立たずのお墨付きをいただいた、と言っても過言ではない。
役立たずの魔法使いは、一般人と何ら変わりがない。まだ学校に籍を残してやるだけ有難いと思え。これから必死に勉強するんだな。
特別コースの教官から言われた言葉は、要約すればこんな塩梅だった。拳冶とて、自分の魔法が大したものでないことは自覚していたのだが、改めてそれを突きつけられるとなかなかショックは大きかったのである。
拳冶はプロになれなかった球児たちの気持ちが、少しわかった気がした。
長い廊下を経て、拳冶の足は昇降口付近にやってきていた。特別コース脱落を親に知らせることを考えると、拳冶は今から気が重かった。その思いが、拳冶の歩みをますます鈍らせていたのだが、ついに昇降口横のドアの前で立ち止まってしまった。
拳冶が立ち止まったのは、単に帰りたくないという逃避からの行動だったのだが、ふと目の前にあるドアに書かれた【生徒会室】という文字を見て、拳冶の頭に電流が走った。
生徒会。何かが引っかかる――
この状況を打開する策があるような気がする。
拳冶は鞄の奥に手を突っ込み、なにかを探しはじめた。やがて、表紙が折れた生徒手帳を見つけると、そこに書かれた校則をひとつひとつ確認していく。
(生徒の生活について……いや、違う)
ページをめくる手に熱がこもる。入学した直後くらいだったろうか。拳冶は確かに「退学にならない」という何らかの校則を目にした記憶があった。
そして、「生徒会役員の権限について」と書かれた項目に行き当たり、拳冶は目を見開いた。
そこには「生徒会役員に選ばれたものは、学校から退学勧告を受けることがない」と書かれていた。
なぜこんな項目があるのかはわからない。古い学校なので、何らかの理由で過去の校則が残ったままなのだろうか。だが、現在の拳冶にとってはまさに一縷の望みであった。
通常、生徒会役員は選挙によって選ばれるが、必要に応じて生徒会長が任命することができる、とされている。ならば、生徒会長に直談判して強引に生徒会役員になってしまえばいい。
かなり無理のある論理展開ではあったが、もう後がない拳冶にとってはたとえ無茶苦茶であろうが、すがってみる価値はあった。理由は、あとで考えればいい。とにかく、生徒会長に頼み込まねば。役員になるためならば、土下座も辞さない覚悟である。
あらためて生徒会室のドアを前にし、拳冶は大きく息を吸い込んだ。
そして、思い切ってドアをノックする。
「……どうぞ」
中から女性の声がした。決して大声ではなかったが、よく響く声というのだろうか、透き通った綺麗な声は拳冶の耳に心地よい感覚を与える。
拳冶はドアを捻り、生徒会室に足を踏み入れた。目の前には会議などで使う大きな机。その奥には、さきほどの声の主であろう女生徒が座っていた。
夏休みを目前にし、今日の気温もかなり高いはずだが生徒会室は廊下に比べてずいぶんと涼しい。風通しが良いのだろう、カーテンが風にそよいでいる。その動きに合わせ、女生徒の長い髪も揺れていた。
綺麗な亜麻色の髪は毛染めによるものではないだろう、拳冶は直感的にそう感じた。女生徒は拳冶に一瞬目をやると、すぐに机に置いた書類に視線を戻す。ややうつむいた状態だと、彼女の睫毛の長さがよくわかる。よく通った鼻筋、さきほど一瞬見ただけでわかる意志の強さを感じさせる大きな瞳。どちらかといえば、恋愛沙汰に興味の薄い拳冶でさえ、思わず息を飲む美少女であった。
「なにかご用ですか?」
つい見とれてしまっていた拳冶は、思わずうろたえた。
「あの……生徒会長さんにお話があるのですが」
「私が生徒会長の吾妻アリアです」
この人が――そういえば、と拳冶は入学式のことを思い出した。確か、挨拶をしていたような気がするが、壇上が遠かったのではっきりと覚えていない。
(半分、寝てたしな)
だが、この人が生徒会長であれば話が早い。拳冶は、今の自分の状況をなるべく同情を引けるよう話しはじめた。
アリアは、書類に目を落としたまま聞き流していたが、拳冶が苦し紛れに言った「なんでもします」という言葉を聞き、ぴくりと体を動かした。そして、それを見逃さない拳冶ではなかった。
「生徒会長のためなら、どんな仕事でもやってのけます」
それを聞いたアリアは「どんなことでも」と小声で反芻すると、拳冶に質問をしてきた。
「本当に、どんなことでもしてくれるのですか?」
「は……はい! もちろんです!」
チャンスだ。と、拳冶は思った。なんだかわからないが、この生徒会長――吾妻アリアは人手を探している。
アリアは、腕を組むと天井を見上げ、しばし思索にふけっていた。そして、拳冶の目をまっすぐ見て、念押しするように尋ねた。
「それが、危険なことでも?」
危険? 生徒会の仕事にそんなことがあるのだろうか。拳冶は、よくわからないまま「はい」と頷く。
そして、拳冶を見つめたままアリアはふっと笑みをこぼした。拳冶は、再びその美しさに見とれてしまう。
「わかりました。あなたを生徒会役員として迎えます」
即決。あまりの決断の早さに驚きながらも、拳冶は心のなかでガッツポーズをとっていた。これで退学を免れることができる。拳冶の頭の中には、もはや喜びしかなく、アリアに対して言った「なんでもする」という言葉は早くも消えかかっていた。
「ところであなた――」
「あ、一年の仁志拳冶と言います」
「仁志さん。あなたは特別クラスということは、魔法使いなのですよね?」
それを聞いて、拳冶は妙なところを気にするな、と思った。生徒会の仕事と、魔法使いであることにいったい何の関係があるのだろうか。
「実は、あなたにお願いしたいのは生徒会の仕事ではなく、個人的に頼みたいことがあるのです」
「個人的なこと……?」
「ええ」
と、アリアはここで少し間を溜めた。やや迷いが見られる表情だったが、やがて決意したように口を開く。
「先日、杉田沙織という生徒が校内で首を吊っていた事件はご存知ですか?」
その事件は、拳冶の記憶にも新しかった。入学して割とすぐの出来事だ。校内での自殺ということで、一時はマスコミが学校付近をうろついており、拳冶も質問を受けたことがあった。
「覚えています。たしか、夜に学校で自殺したっていう――」
自殺、という言葉を聞いてアリアの顔色が変わった。もとより大きな眼は、さらに見開かれ、肩が震えている。まるで、何かに怒っているようだ。
「あれは……あれは自殺ではありません。沙織は、殺されたんです」
殺された? 一体誰に?
「殺されたんです。この校内の誰かに」
アリアは、確信を持って言い放つ。
「校内に潜む、魔法使いに!」
拳冶の頬に汗が一粒つたった。それは夏の暑さのせいなのか、それともアリアの気迫によるものなのか、拳冶自身にも判別がつかなかった。




