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第四章 紅倉VS怨霊

 大通りを自転車に乗って走っている少女がいた。

 高校二年生の彼女は夏休みを利用してレンタルショップで店員のアルバイトをし、今日のローテーションを終えて帰宅するところだ。

 ストレートの綺麗な黒髪をして、ちょっとツンとしたような生意気そうな顔立ちながら、切れ長の目をして、なかなか美しい。

 彼女は背後から迫ってきた車のライトに追い越され、思い出して自分も自転車のライトをつけた。向こうに広い楕円の光がアスファルトを照らす。

 彼女はイヤホンを装着し、携帯プレーヤーで音楽を聴きながらスポーティーに自転車をこいでいた。頭の中のテクノポップをBGMに。

 こぎながら、彼女はふと背後を振り返った。車がまた一台追い越していった。彼女は前を向いてこぎ続ける。ズダダンズダダンとドラムスが刻むリズムにピョンピョン跳ねるシンセがヒューンヒューンと甲高く円を描き、プログラミングされた女性ボーカルが「ア、ア、ア、ア、ア、」とアクセントを付ける。

 少女は音楽に合わせて

「ラララララン」

 と頭と肩を軽く揺すった。

 また、背後が気になって振り返った。走ってきた車が、脇道へ左折していった。

 少女は前を確認して、また後ろを向いた。

 たまたま、車の姿はなかった。高いところから照らす道路照明と道路沿いの建物の明かりが後ろへ流れていく。歩道に人通りもない。

 少女はまっすぐハンドルを固定してじっと後ろを見つめた。頭の中の音楽は、もう意識の中に聞こえていない。

 何か、

 嫌な感じがする。

 ふと、視界の中に暗い影が差した。

 なんだろうと思っていると、影は大きく広がり、ハッとすると、もう目の前いっぱいに迫っていた。

 少女は前を向いて、何も考えないようにして、一心にペダルをこいだ。

 嫌でも今見てしまった影が頭の中に甦る。

 黒いもやもやした影の中に、白い、女の裸の胸が見えたように思うのだ。

 少女はそのイメージを否定して懸命にペダルをこいだ。考えるな、考えるな、考えるな、

 影が、少女に並び、ハンドルを握る右腕に取り付いた。

「きゃあっ」

 少女は思わず悲鳴を上げた。「ギリッ」とした激しい痛みを感じたのだ。

 少女はそれでも必死にペダルをこぎ続けた。影は右腕に取り付いたまま離れてくれない。少女は涙が出てきた。痛い、痛い、痛いよ。なんでこんなことするの? あなた誰? わたし知らないよ、やめてよこんなひどいこと!……

 腕がまっ赤にただれるような熱い、燃え上がるような激しい痛みを全体に感じた。

 少女は泣きながら、腕以外は体温が一〇度も一気に下がったような冷たさを感じて、脂汗を浮かべ、痛みとだるさにさいなまれた。

 ガタガタと右腕が痙攣し、必死に握るハンドルが大きく揺れて、アスファルトを照らすライトがぐらぐらと蛇行した。

 少女は死の恐怖に涙をぼろぼろこぼした。ああ、ひどい、ひどい、と何者か分からない物をひどく恨みに思って。

 ぎしっ、と、腕をもぎ取られる激痛を感じ、

「きゃあああああっっ」

 少女は精一杯叫び、左手で思いっきりブレーキを握りしめ、自転車を倒して転げるように下り、だらんとぶら下がる右腕の肩を押さえて

「……………………」

 痛みに、声も出せずに泣いた。

 黒い影は、ようやく腕から離れて、上空へ消えていった。

 解放された少女は、肩を押さえたまま横に倒れ、地面に体をこすり付けるようにして震え、泣き続けた。




 車中で、

 紅倉はギラッと赤い目を開き、

「くっそ」

 とつぶやいた。

 隣でハンドルを握る芙蓉は厳しい横目でチラッと師の顔を見た。

「やられましたか?」

「ええ。当てが外れた。思ったより遠くに出やがったわ。かわいそうに、右腕を取られた」

 紅倉は苛々と唇を噛んだ。霊に関して紅倉の勘が外れるというのも珍しい。しかし紅倉は目を光らせて挑戦するように言った。

「でもおかげで相手の姿がかなりはっきりしたわ。今度出たら、逃さないわ」

 あっち、と紅倉は内陸の方を指さした。芙蓉は車の流れを見て、脇道へ右折して入った。市街地へ入っていく。

 帰宅時間帯で交通の多い道を紅倉の指示であっちこっちと走り回る。普段紅倉は後ろの座席に座っているが、今は追跡のため助手席に座っている。芙蓉は先生といっしょに仕事をしている感じが強く、ちょっと嬉しい。しかし喜んでいる場合ではない。紅倉の横顔はいつになく険しい。

 あっちこっちと走りながら、芙蓉の運転するホワイトパールの高級ハイブリッドカーは再び海岸沿いの道に出た。




 海岸沿いの丘のレストランで、美人のOLが彼氏と食事を楽しんでいた。

 この美人も、綺麗なストレートの黒髪をして、細面に切れ長の涼やかな目をしていた。

 ハンサムな彼氏と目を見つめ合わせて微笑み、横の総ガラス張りの壁から夜の海を眺めた。静かで真っ黒な海には、沖に大型船の灯りがぽつりぽつりと小さく浮いている。

 突然その灯りが消え、岸の木々の影まで真っ黒に見えなくなった。

 何か、煙のような物がガラスの外に浮いている?、と思うと、その黒いもやもやの中に、裸の女の白い胸と、白い右腕が暗く浮かび上がった。

 美人はヒッと驚き、彼氏を見ると、彼氏も同じ物を見てギョッとした顔でじっと見つめていた。

 裸の胸と腕は前に進み、ガラスを突き抜けてきた。

 彼氏はガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、

「行こう!」

 と早口で言い彼女の腕を取って立ち上がらせようとした。

 裸の右腕がグンと伸び、彼氏の顔面をパンチした。

 彼氏は料理の並ぶ丸テーブルの上に背中から倒れて激しい音を立て、他に四組いたお客たちも何事かと振り向き、店内に侵入した黒い影と裸の胸と腕を見て、わあっと悲鳴を上げた。

「あ…あ……」

 テーブルに仰向けになって目を白黒させた彼氏は、がっくり、顔を横に寝かせて気絶した。

 裸の胸と腕が彼女を向き、彼女は、

「キャーーッ」

 と悲鳴を上げた。




「出た!」

 語気激しく言った紅倉だが、

「くそう、まだ遠い。飛ぶわ」

 ふうっと赤い目が焦点を失い、紅倉の像がずれた。人の形をした白い光が前にずれた。

 飛ぶ、すなわち、生き霊となって敵の下へ飛ぼうというのだ。

 しかし。

 暗い海沿いの道を走りながら、前方を見ている芙蓉が叫んだ。

「先生ッ、駄目ッ!」

 真っ暗な海側からひゅるりと伸び上がった灰色の尾を引く人魂が、まっすぐ正面から迫ってきて、わあっと亡者の姿となって大口開けて襲いかかってきた。

 きゅっと瞳孔を結んだ赤い目で睨んだ紅倉は右手を振るって、

「バチッ」

 と亡者を払いのけた。

 ヒイイイーーーンン……、と鳴きながら亡者は後方へ消えていった。

「くそっ」

 また紅倉は苛々と同じ言葉を言わされた。

「やっぱり海の近くはああいうのがうろうろしていて駄目ね。仕方ない、ここからやるわ」

 紅倉は右手を突き出し、

『むんっ』

 と力を込めた。

 紅倉の右手は、真っ白に白熱した。




「キャーーーッ」

 美人OLは悲鳴を上げて逃げようとした。

 席を蹴って逃げようとすると、

 影は既に前にいて逃げ道をふさいでいた。

「キャーーーッ」

 彼女は再び悲鳴を上げ、後ろに下がり、ガラスに背中をぶつけた。

 影がスーッと寄ってくる。左側のもやもやが膨れ上がり、彼女はゾゾゾ、と背筋を悪寒が這い上がるのを感じた。

 膨れ上がった黒い影は、彼女の顔の前を過ぎ、スッと、下へ向かった。

「ヒイイッ、」

 怖気が走り、冷たい冷気に支配された脚が震え、下半身から力が抜けてしまった。

 冷たい固まりが、左脚に迫り………

「ああ、嫌ああ………」

 彼女は泣きべそをかきそうになった。


 白い光が彼女の背後に広がり、黒い影を薄くさせた。

 影はギョッと怯えるようにその腕を引っ込め、少し後退して、じっと光の正体を見極めようと身構えた。

 白い光は彼女を守るように全身を包み、彼女自身が発光しているように輝いた。

 まるで首を傾げるようにじいっとたたずむ影は、光が窓の外へずっと尾を引いているのを見た。

 いや、それはカーブしながら、サーチライトのように彼女を照らし出しているのだ。

 影は、暗黒を増し、光を弾き飛ばすようにぶつかってきた。

「きゃあっ」

 悲鳴を上げて目をつぶった彼女は、恐る恐る目を開くと、影が目の前でぶつぶつと怒り狂っているのを見てまたぎゅっと目をつぶった。しかし恐れていたような痛みや気持ち悪さは感じない。むしろ体はぽかぽかと暖かい。勇気を出して目を開けると、影は、すぐ近くに迫りながら、それ以上進めず、彼女に触れることが出来ず、彼女の発する白い光に身を焦がされるようにちりちりと輪郭の影をおぼろにしており、彼女はなんとなく影が苦しんでいるのが分かった。

 彼女は頭の中に声を聞いてハッとなった。

『あなたもオーラを発して。あの影を、弾き飛ばして!』

 彼女は声に言われるまま、自然と腹の下に力を込め、全身から熱を発するようなイメージをした。

 影の輪郭がわっと広がり、渦を巻いた。

 影は慌てて退き、天井近くに避難すると、恨めしそうに窓の外を向き、ふうっと薄くなって消えていった。

「はっ…、はああーーーーー……」

 彼女は背中をズルズルガラスに這わせ、床に座り込んでしまった。

 よくは分からないが、どうやら助かったようだ。

 反対側に避難していたお客たちもおっかなびっくり前に出てきて、

「うう〜〜ん…」

 と彼氏も目を開いた。

「由香、だ…、いてて…、だいじょうぶ?」

「ええ……」

 座り込んでいた彼女はスカートのしわを直しながら立ち上がった。

「わたしは大丈夫。なんだか……、誰かに助けてもらったみたい……」

 彼女は黒い海を向いて言った。

「死んだお祖母ちゃんかな? ありがとう、お祖母ちゃん」




 死んだお祖母ちゃんにされてしまった紅倉は

「ふうっ」

 と息をつき、背もたれに倒れ込んだ。

「お疲れさまです」

 芙蓉が声を掛けた。車は避難スペースを見つけて停車している。

「はあ……。この距離で力を放つのはやっぱりしんどいわね」

 ぐったりする紅倉に、

「手当しますよ」

 芙蓉は手を触れようとした。芙蓉の一番強い霊能スキルは癒しの効果だ。

 しかし紅倉は芙蓉の腕を掴んで治療を遮った。

「ここで力は使わないで。美貴ちゃんにはやってもらいたいことがある」

 紅倉は大丈夫!と言うように背もたれから起き上がり、ドアを開けて外に立った。芙蓉も外に出ると、

「等々力さんたちが来るわ」

 言うと、ライトが迫ってきて、紅倉たちの車の後ろに付いて止まった。

「先生、芙蓉さん。どうです?幽霊は捕まえましたか?」

 等々力とカメラを構えながらスタッフがワゴン車から降りてきた。

「残念ながら、取り逃がしました」

 と、紅倉は肩をすくめて見せた。

「こちらの一敗一分けです」

 と、芙蓉にも向かって、

「敵もダメージを負ったから今夜はもう動かないわ。はっきりと、自分の邪魔をする敵のいることを認識したから、いずれ体を取り戻して力を増したらわたしにも復讐するつもりよ。ま、そうなったら返り討ちにしてやるまでだけど、それまでみすみす被害者が増えるのを見過ごすことはできないわ。勝負はまた明日。

 等々力さん、わたしをホテルまで送ってくださいます?」

「うちの車でですか? こんなむさっ苦しいのでよけりゃかまいませんが、芙蓉さんとは別行動で?」

「美貴ちゃん」

 紅倉は芙蓉をまじめな顔で見つめて頼んだ。

「腕を取られた女の子が救急車で病院に運ばれたはずだから、調べてお見舞いに行ってあげてちょうだい。急いでね? 腕だから胸をやられた子みたいに死にはしないけれど、時間が経てば完全に壊死して腕を切除しなくちゃならなくなるわ。美貴ちゃんなら手当してあげられるわよね?」

 芙蓉は頷いた。

「分かりました。しゃくですが三津木さんに電話して調べてもらいます」

「よろしく。あなた好みのかわいい子だから、よおく手当してあげてね?」

 冗談を言いつつ紅倉はしっかり念押しした。少女を怨霊から守れなかったことに責任を感じているのだ。

 芙蓉は頷き、さっそく携帯で東京に掛けた。

 芙蓉が掛けている間に等々力が紅倉に尋ねた。カメラの前でしっかり聞きたい。

「先生。腕を取られたというのは、どういうことです?」

 紅倉も心得たもので、うなずき、解説した。


「敵は女の子の霊体から、腕の部分の霊媒を奪い去ったんです。生きている人間の霊体は人体全体に人体と同じ機能で分布しています。

 霊媒というのはその霊体を構成している物質です。エクトプラズムと言えばオカルトに詳しい人なら分かりますね? 

 通常なんらかのアクシデントで霊体を失った肉体はなんとなく感覚が鈍ったような物足りなさを感じる程度で、時間が経てば自然界に存在する霊媒物質を補充して元どおりの霊体に修復されます。

 しかし今回の場合、たちが悪いのは、敵は新しい霊媒を奪い去るのみならず、自分の腐った霊媒物質を入れ替えに置いていくのです。憎しみに染まって、汚れ、腐った霊媒を急速に無理矢理注入された肉体は、汚染され、腐った霊媒の宿っていた肉体と同じ状態にされてしまいます。新しい霊媒の補充には時間が掛かりますから、放っておけば肉体は完全に死んでしまいます。治療には急を要します」


 紅倉がカメラの前で解説しているうちに芙蓉の電話は終わっていた。

「病院が分かりました。三津木さんがこちらの警察を通じて病院の方に話を通してくれるそうですので、わたしはこれから向かいます」

「よろしくお願いします」

 芙蓉は頷き、等々力にも先生をよろしくと視線を向け、車に乗り込むと発進させた。

「じゃ、我々も帰りますか」

 等々力は紅倉を後部座席に招き、若いスタッフからカメラを受け取って助手席に乗り、スタッフに運転を任せ発進させた。

 等々力は後ろを振り返り言った。

「先生、顔色が悪いですなあ? 焼き肉でも食って精を付けませんか?」

「焼き肉……」

 紅倉はううと気持ち悪そうにますます顔を青くした。

「わたし、ハムと焼き鳥の塩焼き以外お肉は食べられません」

「おや、そうでしたっけか? じゃあ栄養ドリンクでも飲みますか?」

「いえ……。鼻血出してぶっ倒れます」

 等々力は眉を八の字にして、

「そうですか。先生も色々と不自由ですなあ」

 と同情した。

 紅倉は慣れない車に気持ち悪くなり、等々力のでかい声に頭を痛くしながらか細い声で言った。

「眠ればよくなりますから、早く連れ帰ってください〜〜」

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