計画その3 助けを求める、誰でもいいから
昔、まだカメラというものが、あまり人に知られていない頃、カメラで自分を写すと、魂を盗られる。
と、思っている人が多かったと聞いたことがある。
現代では、そんなことを考える人はいないが、少なくとも俺はそう思っている。
「楽しかった~。ほら、いい感じに写ってる☆」
リーゼントは、嬉しそうに俺にプリクラを見せている。
そんなプリクラ、すぐにでもシュレッダーにかけたかった。
プリクラの中のリーゼントは、ウインクをしながらVサインをしている。
俺は、その怪物の隣で、木の様に立っていた。
「貴方も楽しかったでしょ?」
とんでもない! お前のせいで、二度おいしい臨死体験を楽しませてもらったほどだ。
むしろ、そっちのほうが楽しかったんだ。
「楽しかったよ~」
でも、言えないよ。お母ちゃん。
俺とリーゼントは、デパートから出て、どこへ行くわけでもなく、リーゼントの意思でどこかへ連れて行かれていた。
「あのね……」
急にリーゼントが、険しい顔でそう言った。
俺は、何か嫌な予感がして、少し悪寒を感じた。
「もう少しで、私の家に着くの、だから私の両親にあってほしいの」
俺は、足を止めた。と言うよりも、止まってしまった。
俺の足は石の様に固まったのだ。恐怖で胸がいっぱいであった。でも、一つの疑問が浮かんだ。
「あ、あのさぁ、手紙の住所だと、この辺じゃなかったはずじゃ……」
そうだ。手紙を送るとき、俺はリーゼントの住所を書いたが、違う市の住所だったことを覚えている。
この辺りのはずがない。
「あの住所は、お父さんの部下の住所なの。遠距離恋愛を演出するための仕掛けなの。届いたら渡してもらうことにしていたの」
つまり、俺はやくざの部下に手紙を送っていたと言うのか……。
「今日はさ、会ったばかりだから止めておくよ……」
本音と建て前は別だ。本音を言えるはずがない。
「そんなこと言ったって……」
リーゼントは、俺から目線を離した。
俺は、リーゼントの目線を追った。大きな家が、そこにはあった。
「もう着いちゃった」
俺は、リーゼントに腕を掴まれたまま、その家の門をくぐってしまった。
どうしようもない。逃げられないのはもうわかっていた。
正直、小便がちびりそうだった。嘘。ちょっとちびっていた。
俺は生まれてから一度も、やくざの世界に入ったことがない。怖すぎである。
「……あれ?」
しかし、入った瞬間、俺は目を疑った。そこには、自分の考えていたやくざの世界はなかった。
黒いベンツがあるはずの車庫には、古い軽トラックが置いてあり、池や石の灯篭が置いてあると思った庭には、木屑やチェーンソーが置かれ、黒や白のスーツを着た顔に、傷のある人がいるはずの家の玄関には、白いタンクトップに作業ズボンを穿き、足袋を身に付けた笑顔の似合うおじさんが座っていた。
「ここが私の家よ。ただいま!」
リーゼントが言うと、おじさんが立ち上がって、リーゼントに近づいてきた。
「お帰り! 彼がお嬢の彼氏か?」
おじさんが言うと、リーゼントが恥ずかしそうに体をくねらせて言った。
「うん☆」
いつの間に!? 俺がいつお前と付き合うって言った?
「そうか! 坊主、こんな可愛い子捕まえて、幸せだな!」
そう見えるの!? 俺にはそうは見えません!
「あ、この人がよくスイカ切ってくれる人だよ」
スイカを切ってくれる人……俺は、記憶の底から、その単語を検索した。そして思い出した。
「あ、小指の人?」
おじさんは驚いた顔で「まいったまいった」と言いながら、恥ずかしそうに自分の頭を撫でた。
「お嬢、それまで言ったのか。恥ずかしい」
リーゼントは笑顔で、おじさんを見つめた。おじさんも何故か嬉しそうに笑っている。
「坊主、せっかくだから見せてあげるよ」
そう言って、おじさんは、俺に左手を見せてくれた。確かに小指が無い。
「どうして?」
「なんだ、それは聞いていなかったのか? あのさ、こんな遊び知らないか?」
そう言って、おじさんは近くにあった切り株を持ってくると、手の甲を上にした状態で切り株の上に手を置いた。
「この状態で、ナイフを持って、指と指の間に素早く移動するって遊びなんだよ。知らないか?」
そう言いながら、おじさんは、ポケットからナイフを取り出し、親指の横、親指と人差し指の間、人差し指と中指の間、中指と薬指の間、薬指と小指(今は無いが)の間、小指の横。という順番で、ナイフを素早く刺していった。
「あの、つまり……」
「酔ってやっていたら、小指切っちゃった」
馬鹿じゃん! 俺は無駄な想像しちゃったじゃないか! 俺の恐怖返してくれ。
「あのさ、お父さんとお母さんは?」
「えっと、頭は銀と出かけていて、姉御は教室だと思うぞ……痛っ!」
リーゼントが言った。
おじさんは、手を止めることなく、少し考えると、思い出したように言った。
おじさんの手からは真っ赤な血が滴り落ちていた。
「そっか。教室行ってみるよ☆」
教室?
俺は疑問に思ったが、リーゼントは、有無言わさず、引き摺られていたので、考える暇も無かった。
「私の母は、家で琴の教室を開いているの」
そう言われれば、さっきからポロンポロンという音が聴こえる。とても澄んだ美しい音だ。
教室と呼ばれる建物は、リーゼントの家の離れにあった。
リーゼントは、そっとドアを開けると、俺の腕を引っ張りながら、そこへ入っていった。
部屋は和室になっていて、琴が数台置かれ、それぞれに和服の婦人が座っていた。
「あら、お帰り」
和室のドア付近に座っていた和服美人がそう言った。
「私の母よ。彼が前に話した」
どんな話をしたのだろうか? 凄く怖かったが。
それよりも、俺はリーゼントの母の美しさに驚いていた。
本当に娘だろうか?
「いつも娘がお世話になっています」
リーゼントの母は、俺に向かって軽くお辞儀してくれた。俺もつられてお辞儀した。
「ちょっと演奏聴きたいな」
リーゼントがそう言うと、リーゼント母は笑顔で頷き、正面を向いた。
リーゼント母の合図とともに、曲が始まった。
和風な琴の音色は、あまり音楽を聴かない俺の中にも透き通り、心を癒してくれた。
多分、婦人だけが奏でているのなら、俺はそんな気持ちにはならなかっただろう。
しかし、俺は見つけてしまったのだ。その教室にヴィーナスがいることを。
ヴィーナスの琴を弾くその指は、白くて長く、髪型はショートで外側に跳ねていて、美白美人と呼ぶに相応しいほどの白い肌を持ち、たまに見える優しそうなで輝いた目は、俺の心を虜にした。
「あれ、私の姉よ」
そう言って、リーゼントがヴィーナスを指差した。
「えっ!?」
思わず俺は大きな声で言ってしまった。
琴の演奏は急に止まり、みんなが俺を見てクスクスと笑った。
ヴィーナスも俺の目を見つめ、謙虚に笑っていた。可愛すぎである。
本当は、もう少しヴィーナスを見ていたかったが、リーゼントが俺を引っ張り、外に出た。
「私の部屋に来てほしいの」
リーゼントの悪魔の囁きが、一瞬にして俺を現実へと連れ戻した。
もちろん、俺の意見なんか聞くことなく、俺を引っ張って元の場所へ連れて行った。
玄関前へやってくると、さっきは無かった軽トラックが止まっていた。
「あ、お父さんだ!」
リーゼントが、ある一人の男性の元へ走り寄っていった。
「お~、ただいま」
俺はまた目を疑った。
リーゼントがお父さんと呼んだ作業服姿の男性は、俺が何度か会ったことがあるやーさんだった。
「マジかよ……」
俺が小声で言うと、やーさんは俺に気が付き、大声を上げて近づいてきた。
「お~君か! 元気だったか?」
やーさんは、俺の手を取り握手をすると、嬉しそうに俺を抱きしめた。
「ねぇ、二人とも知り合いなの?」
驚いたリーゼントは、俺と、やーさんに問いかけた。
「前に、うちの坊を助けてくれた奴の話をしただろ?彼がそうなんだよ」
本当は助けてないんだが……。そんなこと今更言えるわけがない。
リーゼントは、思い出したようで、頷いている。
「それはいいとして、どうして君がここにいるのだ?」
「頭、その人は、お嬢の彼氏ですよ」
俺が、今までのあらすじを言う前に、さっきのおじさんが、やーさんに言った。
相変わらず、おじさんの手は血だらけだ。
「そうかそうか! 君が!」
やーさんが、嬉しそうに言った。俺が否定する間もなく、リーゼントが話し出した。
「かっこいいでしょ! そうだ、銀さんは? 私の彼氏、銀さん見たがっていたから」
銀さん……それも聞いたことがある。リーゼント母を姉のように慕う人ですね。
「ここにいますよ」
そう言って、銀髪で二十代後半くらいの男性が、軽トラックの荷台から降りてきた。
「君がお嬢のペンフレンドかい?」
ペンフレンド?
……あ、俺か! そうだよ! 俺はあくまでペンフレンドだよ!
ビックリした。みんなから彼氏とか言われるから、真実忘れかけていたよ!
良かった、まだペンフレンドだと考えてくれる人がいたなんて、心から歓迎ですよ!
「銀さん! 彼が私の彼氏よ」
黙れ、怪物! 俺はお前の彼氏じゃないんだよ!
銀さんは、俺の顔を一瞬睨むと、リーゼントに言った。
「ちょっと彼と二人で話していいですか? なんかいろいろと話してみたいんですが」
俺と銀さんは、三人から離れた場所にある、木製のベンチに座って放し始めた。
「あのな、俺が思うに、人にはそれぞれ人権って物を持っているから、自分のことは自分で決めればいいと思う。だから、君の考えを否定するわけじゃないんだが、少しだけ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
何だか回りくどい言い方だなと思いながら、俺は頷いた。
「あのさ、言いにくいんだが、君は本当にあんなのが彼女でいいのか?」
涙が出てきた。
このリーゼントテリトリーに入ってから、俺のリーゼントに対する価値感が変なのかと思い始めていた頃だったので、彼のその言葉が、地獄に垂れ下がった、蜘蛛の糸のように貴重に感じた。
「ど、どうした? 俺が何かまずいこと言ってしまったか?」
俺が、突然泣き出したので、銀さんは動揺していた。
「いや、僕はあんなのとは付き合いたくないんです。気が付いたら、彼女の彼氏に祭り上げられていたので」
「そうか、やっぱりな」
俺は、銀さんの手を取ると、硬い握手をした。
「僕、あなたとは仲良くなれそうです」
「そうだな、俺もそう思うぞ。もう、俺たちはマブダチだ、敬語なんていらない。俺もずっとお嬢は可愛くはないと思っていたが、気があったのは君だけだ!」
銀さんも嬉しそうだったが、俺の方が数倍嬉しい!
「いいんですか? じゃあ俺はあなたの事何て呼べばいいですか? やっぱ、この家のみんなと同じように『銀さん』ってあだ名のほうがいいですか?」
銀髪だから「銀さん」とは、わかりやすいあだ名だ。
「あぁ、それでもいい。でも、俺には名前が無いんだ。俺が赤ん坊の頃、川に捨てられて、老夫婦に拾われて、五歳になった時、と言っても、年齢とかは結構推測なんだけどな。その頃、老夫婦が共に死んで、それから、たまたま出会った、日系イギリス人のポールって人に育てられたんだ。そしたら、ポールが不法入国者だったらしく警察に捕まってね、十歳になった頃、この家でお世話になることになったんだ。だから、自分でも名前を知らないんだ。たまたま、この家にお世話になる前に、見習い美容師と出会って、髪を銀に染めてもらっていたから、単純に銀って呼ばれるようになったんだ」
「なんか銀さん、荒んだ人生を送ってきましたね」
まあ、いちいち呼び方を考えるのは面倒だから、銀さんでいいや。
そう思い、俺はもう一つの質問をすることにした。
「あの、ここって何をやっている家なんですか? やくざじゃないですよね?」
「は?」
おかしなことを言うなと言って、銀さんは笑った。
「俺たちは大工だよ」
なるほどね。大工なら組だわ。まんまと騙されるところだった。
「みんな懐に短刀隠し持っていませんよね? 俗に言うドスってやつ」
さっきのおじさんは、ドスに近い物を持っていた。みんなそんな物を持っているのだろうか?
「ドスは持っていないよ。みんなサバイバルナイフは持っているけどね。あれ、意外と役に立つんだ」
間違ってない。確かにリーゼントの話は間違っちゃいないよ。
「じゃあ、みんな刺青しいたりします?」
「それに近い物はしているね。俺はしてないけど、妻子持ちの人は、妻や子供の名前を刺青にしているよ。ヤクザみたいな刺青はしてないけどね」
みんなヴェッカムなんだ。ヴェッカムも家族の名前を刺青していたな。
「じゃあ、みんななんで彼女のお母様を姉御って呼ぶんですか?」
良く知っているなと言って、銀さんは俺に教えてくれた。
「俺以外の社員は、頭の妻だからっていう、極道的な考えでそう呼んでいるけど、俺は昔からこの家にいるから、頭も姉御も兄・姉みたいな存在だったから、姉御って呼んでいるんだ。まあ普通の人にはわからない境遇だから説明しにくいけどね」
そこまで聞いて、リーゼントに植えつけられた不安を全て取り除くことが出来た。
「お嬢は、暴走すると、自分の思い通りになるまで執拗にそのことに執着しちゃうんだ。知らぬ間に、相手に恐怖を与える誤解を与えたりもするし、きっと、今の質問もそれだろ?」
俺は激しく頷いた。誤解を招く会話なんてよくあるが今回は酷すぎる。
「だから、お嬢よりは上お嬢のほうがいいと思うんだ」
「上お嬢って?」
「知らんのか? お嬢には姉がいるんだよ」
銀さんの言葉で、琴を弾くヴィーナスの姿を思い出した。俺だってそう思う。
確実にヴィーナスの方がタイプだ。
「見ました。俺もそっちがタイプです!」
「そうか! 実はな、上お嬢には彼氏がいないんだ。上お嬢は性格重視で、今まで何度か告られたらしいんだが、顔がいいのに性格悪そうな奴ばかりだったらしくて、今までに付き合ったことないんだ。君なら性格よさそうだし、まさにぴったりだと思うんだ」
俺は、舞い上がるほどに嬉しかった。
付き合ったことがないなんて純粋さは、まさに理想の女性ではないでしょうか!
しかし、まだラスボスが残っている。
「でも、僕まだあいつと付き合っていることになっています」
俺が悲しそうに言うと、俺の肩を叩いて、俺に笑顔を見せた。
「俺に任せろ!」
心強かった。本当にこの人がいて良かった。
この人の力を借りれば、リーゼントから離れられる気がする。
「ねぇー」
悪夢が突然、俺の心に足を踏み入れた。リーゼントが痺れを切らし、俺の元へ歩み寄ってきたのだ。
「そろそろ、私の部屋行こうよ」
一瞬、体が硬直したが、自分で自分を落ち着かせた。
恐れることはない。こっちには最強の協力者がいるんだ。
「あのね、銀さんが君に話しがあるみたいよ」
銀さんがどのように助けてくれるかわからなかった。
でも、さっき見せた目は、本当に心強かった。きっとなんとかしてくれる。
「銀さん? どこにいるの?」
何言っているんだ……? ここにいるじゃ……?
「え?」
いねぇ! 逃げやがった! 自信満々なこと言っておいて逃げやがった!
「ね! 行こうよ」
リーゼントは俺の腕を掴んだ。俺は周りを見渡し、銀さんを捜した。
ふと、上を見上げると、家の屋根の上に銀さんがいるではないか!
しかも土下座して! あの野郎! 許さねぇ!