計画その2 逃げる、とにかく逃げる
あのデパートへやって来た。
俺とリーゼントはエレベーターに乗り込み(半ば強引に)五階へと向かった。
悪いことは続くというが、まさかエレベーターから降りたその瞬間、バスケット部の後輩に会ってしまうなんて予想はしていなかった。
リーゼントは俺の腕をしっかりとロックしていたため逃げられなかったのだが、周りから見たら絶対にそうは見えない。
腕を組んでラブラブなカップルにしか見えない。
後輩は一瞬驚いたが、納得(勘違い)したらしく、ニヤニヤとしながらエレベーターに乗り込んだ。
俺は泣きながら首を振ったが、後輩は微笑みながら俺を温かく見送ってくれた。
きっとバスケット部には知らされるであろう今の状況に、俺はただ夢であってくれと祈ることしか出来なかった。
「本当に撮るの?」
リーゼントの目がギラリと光り、俺を睨んだ。
「嫌なの?」
リーゼントのドスの効いた声が、俺を恐怖へと導いた。
「い、いいえ……大丈夫です」
そうだよね。と言って、嬉しそうに俺の腕をまたロックした。
「ち、ちょっと待って!」
「何?」
俺は一瞬緩んだリーゼントロックから腕を奪い返すと、自分の腹を摩るフリをした。
「お腹痛くなったみたい……」
大丈夫? と言って、リーゼントは心配そうに俺を見つめた。
俺は、極力辛い顔をして、大袈裟に唸った。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるよ」
俺はリーゼントの返事も聞かず、トイレに向かって走った。
胸は恐怖と焦りで爆発寸前だった。何とかトイレに駆け込むと、我慢していた歓喜の声を上げた。
「やった! これであの怪物から逃げられる!」
俺は、トイレで数回奇声を発したあと、ポケットから用意していたサングラスとマスクを着け、懐から父親が最近薄くなって気にし始めた頭を隠蔽するために買ったロングヘアーのカツラを被った。
変装は完璧だ。
前にも立ち読みするために変装してばれたが、今回はばれることはない。
まさかこんなときに、父親のハゲ・コンプレックスに感謝することになるとは思いもよらなかった。
後は服を一枚脱げばいい。
幸い、服は母親が安く買ってきた頭が骸骨のマッチョがポーズを決めている、パジャマ代わりにしか使っていなかったTシャツだ。
気に入るはずがない。こんなの捨ててやる。身代わりだ。さらば骸骨マッチョ。
トイレの鏡で最終確認したあと、俺は不敵な笑みを浮かべながら、トイレを出た。
リーゼントを捜してみると、同じ場所でボーっと周りを見渡している。
「馬鹿な奴め……」
俺はリーゼントの横を忍び足で通り過ぎた。
だが、リーゼントはまったく気が付いていないようで、本物の俺を待ち、トイレの方を見ていた。
俺は、逸る気持ちを抑え、エレベーターの前までやって来た。
ここまで来れば勝利である。俺はエレベーターに乗り込み、ボタンを押した。
「よし」
神はやはり俺を見捨てていなかった。
運良く、エレベーターは途中で止まることがなく、急速に一階まで辿り着いた。
俺は安心して、マスクとサングラスを取り外した。
「はぁ……」
溜息をつきながら、エレベーターが開くのを待った。
ここまで、何かをやり遂げたと感じることは、今まで無かったと思えるくらい、充実感が心を支配した。
だが、エレベーターを降りた瞬間、異変に気が付いた。
目の前にリーゼントが立っているのだ。
「お腹もう大丈夫?」
リーゼントが言った。
俺は、その後「大丈夫だよ」と言うまでの三秒間で、様々なことを考えた。
このデパートにはエレベーターが、俺の乗ったエレベーターと、隣に一つしかない。
しかし、隣のエレベーターは、俺が見たときには一階に降りていた。
だから俺がエレベーターで降りるより先に、隣のエレベーターが往復するなんて、時間的に不可能なはずだ。
だから、リーゼントがエレベーターで降りて来たなんてありえない!(一秒経過)
エスカレーターもあるが、それで降りてくるとなると、エレベーターの俺よりも早く着くというのも考えられない。
走りながら降りれば、早く着くのかも知れないが、一方通行のエスカレーターで、同じく、下に向かい降りていく人を避けながら降りると言うのも不可能だ。(二秒経過)
では、階段ではどうだろうか?
ありえない。普通、五階から一回まで階段を駆け下りるとなると、多少なりとも疲れるであろう。
しかし目の前の怪物は、息一つ切らすこと無く立っている。
この怪物に疲れと言う物が存在するかわからないが、この暑い夏に、汗一つ掻かず、全力疾走で階段を降りるなんて出来ないはずだ。(三秒経過)
俺は、何だか断崖絶壁に、手枷足枷を付けられた状態で立たされた気分になった。
そう、いつでも逝ける気分だ。
もし、リーゼントに、俺が逃亡を謀ったということを察知されれば、間違いなく俺は、リーゼントの逆鱗を買い、未来を失うであろう。
でも、今の様子では、そうでは無さそうだ。
「どうしてここに?」
俺は、恐る恐るリーゼントに聞いてみた。
「え? だって、貴方の香りが一階に移動していたから」
何だって? 今、何か凄いこと言わなかったか?
「あのね、ゲームセンターって、何か独特な臭いがあるじゃない。タバコだとか、人の汗の臭いとか。そこにいたときは、貴方の香りが隠れちゃったけど、少しゲームセンターから離れたら、貴方の香りに気が付いて追ってきたんだよ☆」
お前は獣か!
何か知らんが、リーゼントは誇らしげにVサインを俺に見せた。
唖然とした俺にリーゼントの質問が飛んできた。
「どうして一階に来たの?」
リーゼントは真剣な顔で、俺に問いかけた。口が裂けても、真実は口に出せない。
「えっと……あれだ、なんて言うか……」
言い訳に困り果てた俺に、天使が舞い降りた。
デパートにあるステンレス製の看板に、ケンタッキーのシンボルであるカーネルが映っていたのだ。
それを見た俺は、彼を拉致した記憶を思い出した。
「実は、この前送ったプリクラに俺の舎弟が写っていたでしょ? 彼が少しだけ君を見たいんだって言っていたから、こっそり君を見せようと思って、呼びに来たんだ」
「え! そうなんだ! ちょっと会いたいかも☆」
リーゼントは、サングラス越しに上目遣いで、俺を見つめた。
俺は、嘔吐しそうな気持ちを抑え、話を続けた。
「いいよ! でもちょっと二人で話がしたいんだ。ちょっと上で待っていてくれない?」
リーゼントは頷くと、エレベーターで上に上がった。
俺は溜息をした後、ケンタッキーに向かった。
何故かデパートの前には人だかりが出来ていた。
そして、一台の救急車が道路に止まっていた。
見てみると、人が一人救急車へ運ばれていて、その友達らしい人が、付き添いながら何か言っている。
「本当だってば! 上からリーゼント頭の怪物がこいつのうえに落ちてきたんだってば!」
……俺は、一瞬のうちに、その怪物をイメージできたのが怖かった。
カーネルを拉致するのは簡単だ。数週間前もカーネルを、手際良く盗めたのだ。
「久しぶり。元気だったか?」
カーネルは、色が元通りになり、笑顔を振りまいていた。
「また手伝ってくれ」
俺は、前回のように、店員の目を盗み、カーネルを引き摺り出した。
しかし、二度目はうまくいかないらしい。カーネルの足には、無情にも鎖が巻かれている。
「ちっ」
俺は、舌打ちをして考えた。
……待てよ、わざわざカーネルを盗んでまで、またあいつの元へ行かなくても、このまま逃げちゃえばいいんじゃないか?
そうだよ。別にあいつと一緒にいる必要ないし、第一、俺は逃げようとしたんだぞ。
……いや、ダメだ。あいつには、恐ろしいほどの嗅覚がある。
逃げたらすぐさま見つかってしまうに違いない。逃げるのはダメだ。
俺は、とりあえず、カーネル拉致の計画を考えた。
しかし、この頑丈な鎖を外すのは至難の技だ。
鎖を繋ぎ合わせている南京錠は大きく、多少の衝撃では意味がなさそうだ。
「この南京錠さえ何とかなれば……」
そう思い、俺はしゃがんで南京錠を見つめた。
視線をずらすと、何かが落ちていることに気が付いた。
「……あれは?」
気が付いたそれは、針金であった。
俺は、その針金を手に持った。
細いわりに頑丈そうな針金だ。これを使えば、意外と鍵開くんじゃないか?
「……まさか。漫画じゃないんだから……」
俺は前回の同じように、カーネルを引き摺りながら、デパート内へやって来た。
多分、リーゼントは、五階にあるエレベーター前のベンチに座っているに違いない。
そう考え、俺は大変だったが、階段で上まで行くことにした。
「やっぱり」
五階までやってくると、予想通りリーゼントは、ベンチに座っていた。
俺は、ポケットから、黒いマジック(油性・極太)を取り出して、カーネルの髭と眼鏡を塗った。
こうすれば、カーネルではなくなる。
「ここで待っていてくれ」
俺は、階段の踊り場に彼を置き、リーゼントの元へ向かった。
臭いとやらに気が付いたのか、速攻、俺に気が付き、近づいてきた。
「も~、遅いじゃない」
リーゼントは、眉間に皺を寄せ、俺に言ってきた。
俺は、体が震えているのに気が付いた。怖すぎである。
「いろいろと舎弟と話していたら、遅くなっちゃって」
ふ~ん、と言った後、早く会わせろと要求してきた。
「ほら、あそこにいるよ」
俺は階段の方向を指差した。そこには舎弟がいた。
ちょうど手すりの陰で、肩から上しか見えていない。
「あ、あの人がそうなの~?」
リーゼントが喜びながら、舎弟の元へ向かった。
やばい! 俺はそう思い、咄嗟にリーゼントの腕を掴んだ。
その行動に驚き、リーゼントは俺を見た。
「どうしたの?」
リーゼントは俺に不思議そうな顔で聞いてきた。
「ちょっと……まずいんだよね。基本的に」
自分で何を言っているのかわからなかった。
リーゼントも首を傾げ、俺と舎弟を交互に見ている。
「だって、会えばいいじゃない」
このままでは、舎弟がカーネルだとばれてしまう。
まずい……何かいい案はないだろうか? 言うのか? あれを言ってしまうのか?
待て、それはまずいぞ、俺!
「君とのデートを、誰にも邪魔されたくないんだ」
言ってしまった。禁断の呪文を。でも、しょうがなかった。死にたくはない。
「☆☆☆☆☆」
どうやら、惚れられたらしい。俺は怪物に抱きつかれている。
腕の力が半端じゃなく強い。痛い。苦しい。
「お……お願……い、放し……」
意識が遠のくのが、薄っすらとわかった。
あ、あれは何だ? ……でかい川が見える……。
向こう岸には花畑が……あ、天使が飛んでいる……。
そうか、三途の川なんだな……。そうか、俺はもう……。
え、何?閻魔様ですか? あ、どうも、始めまして。
……はい。手続き? あ、天国に行く手続きですか?
それはしてないですね……。だめ? 天国には行けない?
あ、僕は地獄行きですか……。
この切符は地獄行きのやつなんですか……あ、わかりました。
地獄行きます。でも僕、悪いことしていませんよ?
あ、したんだ。というか、し過ぎですか……。
あ、僕ってやっぱ死ぬんですか? わからない?
閻魔様でもわからない微妙なところ? あ、わかりました……。
「ねえ、プリクラ撮ろう☆」
逝けなかった。リーゼントが、紙一重なところで、放してくれたからだろう。
でも向こうより、今時点の現実は、地獄であった。
すっごく忘れていたが、プリクラを撮るという現実を忘れていた。
それが嫌で逃げたのだった。
でも大丈夫だ。撮らなくて済む方法はまだあるはずだ。
意外に、このリーゼントは単純で、言葉巧みに丸め込めば、何とかなりそうだ。
よし、考えたぞ。これなら、何とかなりそうじゃないか?
いい案だ。こんなにもすごい案が浮かぶなんて、俺はやはり天才だ。
善は急げと言う。すぐに行動を起こそうではないか。きっと成功する。
「あのさ……」
「ハイ、ポーズ。カシャ!」